わたし自身は、神戸市西区の医療法人財団兵庫錦秀会神出病院で起きた事件をネットニュースで知りました。
同じライターで相談支援専門員のaruiru(アルイル)さんが提言してくださって、バリアフリーチャレンジとして取り組むこととなりました。
「何も言わないことが黙認となるのであれば、わたしは発信していきたい。」
そんな思いで今回の企画に参加いたしました。
ニュースを読んでも驚かなかった
わたしは、ニュースを読んでもびっくりしなかったのです。
なぜなら、入院中の当事者への虐待・暴行は…残念ながら多いとお聞きしていたからです。
医療・福祉・教育…そして、家族といえども虐待をする可能性はどこにでもある。よく聞く話。
でも、一番残念なのは、内部告発で事件が発覚したのではなかったことです。
だれか見ていないのかな?
言えない環境なのかな?
学校でおきる「いじめ」に似ているのかな?
いろいろ想像しました。
「本人の気持ち」を尊重したい
わたしが普段から大切にしているのは「本人の気持ち」
学校・福祉・教育・相談機関と話をする際に
「お母さんは、どう思われますか?」とよく聞かれます。
しかし、「あなたは、どうしたい?」とわが子に尋ねるようにしています。
親と子はちがう存在であり、ちがう意思をもっている
好きなものも嫌いなものもちがう
とらえ方や感性だってちがう
「想像」はできても「断言はできない」
そう考えています。でも、強度行動障害など本人だけでなくご家族もしんどいケースもお聞きします。
家族として、「大切なわが子を預けるのであれば、【信頼】できる施設にお預けしたい」
という想いがあります。苦渋の決断として施設にお預けするのは、そこに信頼感があるからこそ。
わが家にもおこるかもしれない
自分の子が、もしからしたら「二次障害を起こして入院する可能性もある」と考えています。
保護者としても信頼できる施設に預けたい。そのためには、施設を1回見るだけではなく、本人もわたしも何回か見て雰囲気を感じたい。
そして、入院後も預けるんじゃなくて、何回か様子を見に行きたい。
入院後は差し入れもしたいし、顔も見たい。
保護者も「気にかかています」「放置はしません」とアピールすることが必要かと考えました。
「コミュニケーション」がキーワード
本人に会えない
面談がかなわないこともあると思います
それでも、本人との「コミュニケーション」は手紙でも些細なひと言でも
見守っているよの雰囲気があるとないのとでは違います。
また、主治医や担当の看護師さんと話す機会を持ち、感謝の気持ちを伝えるコミュニケーションをとらないといけないと思いました。
実は、わたしも当事者です
わたしは、現在「うつ病」です。
お薬を飲み、福祉サービスを利用しながら生活をしています。
でも、だれもわたしが「うつ病」だとわかりません。
見た目には、わからないし…
一見元気そうに見えるからなのかもしれない。
薬を飲まないと眠れない…
朝に起きられず、家事もできない…
食欲がなく、朝は薬を飲むために牛乳を飲む…
気がついたら、お昼ご飯を食べていることも忘れてしまう…
夕飯を少しでも食べすぎるとリバースしてしまう…
ひとりだとなにもできず、1日中座り込んでいたこともあります
気分のアップダウンが激しくなるのは「家」
お風呂上りにめのまえがまっくらになり倒れるのも「家」
家の外からでは、わかりにくい「障害」だからこそ
自分から「助けて」が言えないから伝わらないのかもしれない…編集長の記事を読んでそんな風に思いました。
だったら、自分から発信することによって「なに」に困っているのかが相手にもわかるようにすればいいのではないか?
それなら…
「助けて」が言えるように
当事者である本人がSOSを発する力を持つということは大切なのかなと感じました。
わたしが育児している中でたいせつにしていることがあります。
それは…
「親にも言えないことを相談できる人を作る。」
友達でも
先輩後輩でも
相談員さんでも
学校の先生でも
ご近所のおじいさん・おばあさんでも
だれでもよいのです。
まず、ひとりでも信用・信頼できる人を作ることが、「いっぽ」
これは、防犯の練習にもなると思いました
「仕返しが怖いので、ぼくからだと誰にも言わないでください」
「コッソリ聞いてください」などの
助けての具体的な言い方
実際に大声を出す練習
その場から逃げる練習も時には必要です
「いざその時」にパニックをおこしたり、固まってしまったりしないように、練習・経験も実際にしておこうと思います。
これを子どもの時から積み重ねておけば、学校での対応・登下校の防犯にもつながるのではないか?と感じ
わが家も家庭療育として取り入れていきたいと思いました。
今回わかったこと
もちろん、支援者・施設側の環境を整えるっていうのは、必要だし
保護者として求めていきたいです。
しかし、本人がSOSのサインを出さないことには「外からわかりにくい」のが現実。
今回の事件で虐待・暴行が常態化してしまわないように【本人も発信する力を身につけていく練習をしなきゃいけないな】と思いました。
家族側として、取り組むべき課題を提示したところで
次の方へバトンタッチします。
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