「新しい柔軟剤に変えたら、ノリの匂いがしたの。息子も“のりちゃんのにおいだー”って

穏やかな笑顔でそう話してくれたのは、紀子ちゃんのお姉さんだ。

2024年1月末、彼女の一周忌のために来てくれたお姉さんとお母さまにお会いした。

日常生活の中でふと感じる紀子ちゃんの話を聞いて、私はうれしくなった。

彼女の写真は、友人たちから届いたたくさんの花に囲まれていた。

そうしてこの原稿に取りかかったが、筆というかキーボードが進まない。

ノータッチのまま時間が過ぎゆき、もはやここまでか。

大体の構想は頭にあるからスラスラ書ける、と思いきや、これがなかなか進まない。

なんでだ?書きたいこと沢山あるのに。

そうか、

この原稿は彼女の命日に合わせた「締め」と言われているからだ。

「締める」とはしめくくる、むすぶ、という意味がある。

そこで一区切りにしたり、終わらせたり、まとめたりすることだ。

だから書けないのだ。

だって紀子ちゃんの存在がなくなっても、いろんな場面で彼女を思い出し、思いを馳せる。
私たちの人生が続く限り、連綿と続いていく営みだと思うからだ。

だから締めの原稿なんて書けない。

講演中の大西紀子

紀子ちゃんは、強い人だ。

人に喜んでもらうために全身全霊を尽くす人。

見返りをもとめず、心深く愛する人たちを守るためにどこまでも強くある人。

そして超楽天的で、天然を超える天然で日々ネタを量産する肝っ玉母さん、まさに「無双」。

 

そんな彼女から珍しく弱気なLINEが届いた。

2022年12月15日のことである。

「もし私が死んだらかりんちゃんから、しまちゃんに連絡してもらえる?

死ぬ死ぬ詐欺の締め、かりんちゃんに書いてもらいたい。あとがきみたいな。」

このLINEをもらった私は、いささか動揺した。

これまでも彼女とは「死について」「生きるとは」そんな対話をよく重ねていたし

私たちの間では違和感なく出てくるキーワードでもあった。

でもどこかで他人事の様な感覚もあった。連載エッセイのタイトルに「死ぬ死ぬ詐欺に憧れて」とつけるくらい。

以下は2022年9月10日、彼女からのメールである。

最近は体調の波もあり、1日の中で御飯づくりか?

買い物か?自分の楽しみ?娘とのお出かけ?何を優先するか

調整しないと、体力的に難しいし、全部できないもどかしさに

アップアップしてしまうから、計画立てるのが難しいよ。

食べ物もそう!

たくさん食べたい気持ちはあるんだけど

朝食べたら昼無理だったり、甘いもの食べたいけどもう入らないとか。

晩御飯づくりが無理になって、冷凍餃子にしたら、家族はま~喜んでるけど

なんか自分的につまらないもの食べちゃったな…。とか。

絶対的に他の人より終わりが近くに見えてるから

楽しまなきゃって、焦ってるのかもね。

 

生きる意味、死ぬ意味、ほんとなんだろうね。

今は、まだまだちょっと具合悪いだけの病人だけど

寝たきりになったら、もっともっと考えるのかな?

その時はまだ考えを巡らせることに付き合ってね。

寝たきりになったら何ができるのかな~

パソコンで書くことはできるかな?

手話はできるのか?目力で伝える?どんなんだろうね~

ま~いろいろ考えるけど今は、大変なこともあるけど

楽しめることもたくさんあるからそこを楽しんでいくよ。

ではではよい週末を~

旦那は隣で「長瀞(ながとろ)の川下りしよ~」って言ってるし(笑)

私の病人を忘れたか⁉丁寧にお断りしました、と言っても多分どこかに連れてかれる~!

こういうことが幸せなのね(笑)

こんな感じのノリで「生きる意味、死ぬ意味」についてのやりとりをしていたこともある。

しかし12月のこの時

彼女は「私が死んだら」と明確に自分事として伝えてきた。初めてのことだった。

「そんな実感があるの?」と尋ねると

「日に日に弱っていくのを実感!胸の胸水とお腹の腹膜播種(ふくまくはしゅ)のダブルだからねー
明日は管たくさん繋いで帰るよ!」と明るく返答が来た。

それから在宅看護となり一ヶ月半。

ほぼ毎日紀子ちゃんに会っていた日々を思い出す。

私は彼女の気持ちを分かち合いたかった。

今この時をどんな気持ちで過ごしているのか。

どんな考えを巡らせているのか。

ひとり涙を流すこともあるだろう。

彼女は何を感じていたのだろうか。

でも彼女は弱音を吐かない。

ベッドの上で粘土をこねてお皿をつくった日から4日後。

ベッドの周りで井戸端手話の会を開いた日から3日後。

「今日もだるくて、足に全く力が入らないよ。」といいつつも
「息子が顔出してくれて、元気そうでよかった!とLINEでつぶやいた2日後。

体調はどう?会いに行くという私に

「ごめんねー。今日は無理そうだわ」「ありがとう✨」とLINEをもらった次の日。

ご主人から連絡をもらって駆け付けたときはまだ温かかった。

眠っていたけれど呼吸もしていたし、手に触れると握り返してくれた。その数時間後。

息を引き取った。

彼女は弱音を吐かなかった。

 

 

数日後、ご主人から「実は…」と話しがあった。

紀子ちゃんの書きかけの原稿があるのだという。

 

 

 

 

それを読んだ私は、言葉が継げなかった。

これまで多くの書物を読んできた中で、
これほどまでに、どのように受け止めたらよいのか分からない文章に出会ったのは初めてだったからだ。

のこした原稿のタイトルは「弱音」。

紀子ちゃんは強かった。

天然な肝っ玉母さん、最強だった。

でも、最後まで弱音を吐ききれなかったのが、彼女の唯一の弱さかもしれない。

ほんの数行で、余白がずっと続く。

やわらかな日のひかりにふれ、小さな呼吸をする。

 

 

 

 

 

「弱音」(2023年1月24日10:43~10:53)

前回、「いよいよの時が」なんて書いてしまってから1カ月も生きている。

いったい、どんな気分なのかというと全く優れない。私の中では「死ぬ準備」というところだろうか。先日テレビでやっていた「パイレーツオブカリビアン」の呪いをかけられた海賊たちのように。鼻から管を入れられている状態で「貴族」のように味わったとしてもお腹に入る満腹感はなく、体ももちろん動かなくなっていているし「むくみ」もところどころ出てきている。栄養は1日1回の500mlの点滴のみ。そんな究極の状態で1カ月も生きているのだ。痛みや吐き気がほとんどないのだけが救いだ。でもやっぱり人間。欲望はどこまでも出てくるのである。この辺で「弱音」でも吐いておかないと、どこまでも前向き人間に思われてしまうので、思う存分吐いておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから一年の歳月。

目に見えないことと存在しないことは同じではない。と今は思う。

彼女の存在がなくなっても、

井戸端手話の会は続き、しょっちゅう紀子ちゃんが話題になる。

いまだに笑わせてもらっている。

紹介しきれなかったネタだって大量にある。

そのことに救われている。

人はその存在がなくなってもなお、のこされた思い出や言葉でつながり

新たな発見をし、その人と共にある人生を紡いでいくことができる。

愛する人を喪い、悲しみの底を生きる私たちをなぐさめるのは

時に存在をうしなった、その愛する人でもある。

 

愛しい人を喪って感じる気持ちは「悲しみ」ではなく「愛しみ(かなしみ)」なのだという。

作家の石牟礼道子さんはある本でこのように書いている。

かなしみが、何かを愛したところに生まれるものであるなら、
生きるとは、かなしみを育むことである。

それは、人を愛することは同時に悲しみを育てることになる、ということなのだろう。

大切な人を想えば思うほど別れは悲しく、耐え難いものであるから。
でもそれほど深く愛する存在が、人生の中にある。
かけがえのないものを育んできたのだ。 ご家族も友人も、私も。
そんな存在に出逢えたことは奇跡でもある。
だからやっぱり締められない。

締めるのではなく、これからも紀子と「共に」。

©Mariko Tagashira (第九のきせき2022)

P.S 

紀子ちゃん。締めは私たちが再会したときにやろう。

極上のお酒を用意しておいてね! 

 

かりんより