あなたこなたです。今回は初めてリレー記事に挑戦します。
たまたま表面化したという印象
今回のリレー記事のテーマ、神出病院での患者虐待ニュースを聞いて、まず思いましたのは、
「あぁ、表に出たんだ」ということでした。
というのも、精神科病院や福祉関係の入所施設では、
大なり小なり人権侵害に抵触する可能性のある事をしてしまっているところがあり、しかもそれは少なくないと感じていたからです
(この内容は単純ではないので、また改めて記事を書きたいと考えています)。
今回は、たまたま神出病院が何らかのきっかけでニュースになった。そう受け取りました。
実際、主犯とされる和田容疑者は、別件の強制わいせつ罪で逮捕され、取り調べの際にこの件が発覚しました。
関係者にとっても、警察にとっても
事件の発覚は突然のことだったと思います。
それだけこの虐待の状況が
施設内で常態化していたことが伺えます。
またこの事件は、主犯が27歳の看護助手であり、
本来なら看護助手の虐待を制止、
改善指導をすべき立場の看護師が、5人も共犯として逮捕されました。
そして職員があわせて6人も逮捕されたにも関わらず、
病院は記者会見も開かず、説明責任を果たさずに今にいたるようです。
また、看護師の口コミサイトでは2015年ごろにはすでに神出病院の患者対応が
患者の尊厳を尊重していないものであった
という書き込みがありました。
これらを総合すると、私には、
この病院の在りようがそもそも異様に映ります。
事件の背景にあるもの
今回の事件は神出病院という一つのコミュニティシステムが大きなストレスを抱えた状態であり、
それがシステム内の弱いところ、
つまりはストレスを受けやすい人やストレス耐性の低い人に蓄積し、
それを発散するためさらに立場の弱い無抵抗な利用者に対して虐待を行ったと考えます。
神出病院のコミュニティシステムが大きなストレスを抱えるようになった要因には、想像ですが、
長年の地域社会との関わり方もあったのでは、と考えられます。コミュニティシステムとは入れ子構造(注)だからです。
コミュニティ内の大きなストレスが蓄積して、職員がそのストレスをうまく発散できす抱え込んでしまった。
そのため、立場の弱い患者へ虐待を行うことで発散した、今回の事件をそのように捉えます。
誤解して頂きたくないのは加害者の責任回避や擁護をするために
このような考え方を表しているわけではないということです。
注:「入れ子構造」とはユリー・ブロンフェンブレンナー博士が提唱する生態学的システム理論と同じイメージです。
各階層(地球全体⇔国家間⇔国内⇔地域⇔企業等の集団や家族など⇔部署等の組織⇔身近な人間関係)
が分離独立しているのではなく相互に影響を与えあっている構造の意味で使っています。
今回の事件を、2016年の相模原障害者施設殺傷事件と共通するものとする議論が一部にあります。
確かに被害者が障害者という点、
被害者の抵抗力が小さい、またはほぼ無い点は共通しています。
しかし、私が注目したいのは被害者の共通点ではなく、加害者の共通点です。
なぜなら、そこに再発防止のヒントがあると思うからです。
今回の加害者心理としては、
むしろ神戸市立東須磨小学校校における教員間いじめ事件に似ていると思いました。
つまり、加害者は自分の所属するコミュニティ内で生じる仕事や日常からのストレス
をうまく処理することが出来ず、所属するコミュニティの中で自分より弱い立場の者に対して
自分のストレスを吐き出し、押し付けて発散し続けたという捉え方を私はしているのです。
もちろん2つの事件とも、単なるストレス発散にしては、
やることがひどすぎるのではないかという感情をみなさんがお持ちになるのは当然のことです。
しかし、コミュニティシステムのストレスというのは
私たちが思っている以上に、わかりづらく、強力です。
それは時間をかけて所属する人間の心を蝕みます。
加害当事者のストレス耐性等の適性もあるでしょうが、
コミュニティ内のストレス量がそれほど甚大であったとも考えられます。
コミュニティシステムの病理
相模原障害者施設殺傷事件の場合、私たちが向き合わねばならないのは植松死刑囚の独善性だと思います
(この件もいずれ記事にしてみたいと思っています)。
しかし、神出病院事件において向き合わねばならないのは、運営管理責任者の職責と倫理、職員教育の効果測定、
第三者チェックの妥当性と健全性、入院患者のQOL(生活の質)の評価方法と開示、地域社会と神出病院との関わり
といったシステム面だと思うのです。
社会におけるコミュニティシステムは入れ子構造をしています。
つまり、このような入所施設において、入居者の様な社会的弱者が被害を受けてしまう問題は、
その地域社会を含めたコミュニティシステムのストレスが大きく影響していると思います。
そして、ストレス耐性の弱いところにそのストレスが集中し、さまざまな問題が生じると考えられます。
中医学ではその人の体質の弱いところに病気が出るという考え方があります。
例えば、同じ風邪でも、消化器が弱い人は下痢になり、呼吸器が弱い人は咳やくしゃみが生じるという感じです。
つまり病気の症状は原因によるものだけではなく、生物の性質との相互作用で生じるということです。
その考え方を応用すれば、このような問題の生じ方はコミュニティの病と捉えることが出来ると思うのです。
今回の事件はコミュニティシステムの機能不全が長期にわたり重症化し、発覚も遅れたことで、
被害者が甚大な被害を受けてしまいました。
そして、このシステムの病理はなにも障害者が関わるものに限った話ではありません。
自分の体が病気になったら治したいと思うはずです。
同じように、自分の所属するコミュニティが病気になったら治そうとは思いませんか?
神出病院事件、小学校教員間いじめ事件に対してシステム論的に再発防止対策を講じることは、
コミュニティシステムの病への治療行為です。
それはシステムの入れ子構造ゆえに、同時に
私たちが所属する全てのコミュニティシステムを
治療することにもつながると思うのです。
そういう点からも、この神出病院事件を障害当事者の問題だけではなく、
全ての人間の問題として考えることが重要だと思います。
システムの病への対処法
ではシステムに対する対処法としては、具体的にどのような方法があるのでしょうか?
これは、システムに変化を起こすための私のアイデアの一つです。
それには、大きく分けると二つあります。
「医療・福祉のサービス提供者の意識改革と行動変容」
例えば、日報には毎回「今日、利用者の誰誰からこのようなことを学んだ。」
「これは私の人生・生活にこのように活かせる」ということを書いていくことから始めてもよいかもしれません。
施設運営管理者は、利用者だけでなく、従業員からも学ぶ姿勢が必要であると思います。
相手から学ぶ姿勢は自然と湧き出るものだけではなく、自ら作り、躾けていくものでもあると思います。
自分を成長させてくれる相手、自分に沢山の事を教えてくれる相手をストレスのはけ口にするでしょうか?
職員は自分がサービスをして「あげている」という考えではなく、
サービス提供中に患者、利用者から色々「教えてもらう」
という意識を自分に教育する必要があります。
ここに立場の逆転、システムの変化が起きるのです。
「コミュニティ全体でのストレスケア」
これも正しくできるようにする必要があります。
なぜなら、このシステムの変化が起きた場合、立場の弱い人に押し付けていたストレスのはけ口が見つからず、
今度は、そのストレスが自分を攻撃するようになるからです。
(これは家庭内の不和で、ストレスを吐き出す先の無い子供が自傷行為に至る例が近いイメージかもしれません。)
私たちが所属するコミュニティ全てが、ストレスを正しく捨てる方法を身につける必要があります。
今回の神出病院事件をコミュニティシステムの病として捉えたからといって、
加害者の責任が軽くなる訳ではありません。
犯罪事実は劣悪かつ重大で、行ったことの責任は取らねばなりません。
しかし、それだけでは再発防止にならないでしょう。
その時、やはりまた立場の弱いものが被害者となり、その人の人権は傷つけられ、取り返しがつかないことになります。
それは加害当事者の責任問題、罪を償えば済むという問題ではないと思うのです。
どうすれば同じ事件を起こさなくて済むか。
これは社会に所属するすべての人の問題です。
言葉足らずな内容が多く、うまくお伝えできたか不安はありますが、
そこは自身の今後の課題として頂きつつ、次の方へバトンを渡したいと思います。
投稿者プロフィール
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齢30代。ケアの仕事の地位向上を目指して右往左往と日々勉強中
保有資格:はり師/きゅう師/介護福祉士/公認心理師/登録販売者/整体師/心理カウンセラー/家族相談士/SNSカウンセラー