今回のライターのリレー企画は一昨年から去年にかけて複数の男性看護師たちが、重度の精神疾患で入院する50代から70代の男性患者3人に対し、
全裸で椅子に座らせ、水をかけたり落下防止用の柵がついたベッドを逆さにして、下に閉じ込めたりしたとして、
準強制わいせつや監禁などの疑いで逮捕された事件がきっかけです。

この事件を最初に見た時、「またか…。」
というやり場のない無力感がこみ上げてきました。
同時に心ない行動への憤りも感じました。

僕らは何度もこの手の事件を繰り返してきました。
あと何人悲しみに暮れる当事者が現れればことは改善されるのでしょうか?
あとどれだけの嘆きや悲しみ、怒りがあれば社会は変わるのでしょうか?

お察しの通りです。問題は「人数」でもなければ、「回数」でもないです。
ではどこにあるのでしょうか?

▼悲劇の構造

すでにライターチームの大隅順子さんが書いてくださっているこちらの内容を少し引用してみたいと思います。

こころを蝕む職場の4条件(こちらの記事より

①「注意する人も褒めてくれる人もいない閉鎖的な環境」(密室)
②「被害者が被害をうまくことばで表現できない」(加害者優位)
③「人手不足で精神的に追い詰められやすい環境」(慢性的なイライラ)
④「自分の仕事が社会から忘れ去られている」(世間からの隔離)

 

この中で加害者優位についてもう少し僕の観点を足してみたいと思います。
僕たち人間の間には大なり小なり力の差があります。勉強を教える人、学ぶ人。介護する人、してもらう人。治療をする人、受ける人。
具体的にいうと、先生 – 生徒。介護士 – 利用者。医者 – 患者です。

これらの関係性の間には情報の非対称性があります。
生徒、利用者、患者の側には見えないことが先生、介護士、医者には見えています。

この力の差。通常は人に分かち合うGiftとしてその人の才能やセンス、能力となります。
この力の差とは他者に貢献するために存在するものでもあります。
だからこそ、先生は生徒に「何がわからない?」と聞きます。
また、介護士は利用者に「どうしたいですか?」と聞きます。

医者も患者に「どこが悪いですか?」と聞くでしょう。
それは彼らがより良い仕事をしようとしているからです。

しかし、当然、この力の差を裏返して使うことも可能です。
つまり、簡単に人よりも優位に立てる力でもあるのです。

先生は生徒に「こんなこともわからないのか」といい、
介護士は「どうせばれないだろう」とたかを括る。
医者は患者に「わかるはずがない」と馬鹿にすることができるのです。

現実にはもっとややこしいこともあります。
塾で勉強が進んでいる生徒は先生に「こんなことしか教えられないのか?」
と思うこともあるでしょう。
利用者は契約関係を持ち出し、顧客であると主張することもあります。
患者は医者に対して怒鳴りつけて業務の進行を滞らせることもできるでしょう。

この力の関係というのは非常に微妙なバランスですので、
いつでも先生、介護士、医者が高いというわけではないです。

少し脱線しましたが、関係性の中で施設の利用者は大抵の場合、力が低いでしょう。
そして、その力の差を私たちは何で埋めているのでしょうか。
おそらくは「職業倫理」というやつです。

▼倫理の瀬戸際で

大隅さんをはじめ、他のライターの皆さんも言及されていますが、
今回のことを加害者本人の責任だけに帰するのは非常に危険だと私も思います。
もちろん、本人の意思や責任感などは間違いなく重要な要素でありますが、
個人の責任に全てを帰するのは2つの面で問題があります。

1、その人の中にある加害者性を増長する力が環境の中に仕込まれていることに気づけない。

2、加害者性が育っていることに誰も気づけない。

 

今回の事件の加害者グループのLINEから30本の動画が見つかったとされていますが、
これが初犯だったとは考えにくいでしょう。

毎日毎日真面目に仕事をしていて、ある日突然性的暴行の動画を撮影するようになったと考えるのは直感的に無理があります。
おそらくは利用者のいないところでの陰口、差別意識のある発言などから始まり、徐々に体に触れて介助する時など
本人をモノ扱いするようになったり、露骨に態度で暴言を履いたりするようになったりしたことでしょう。

そして、第一回目の犯行に及んで、なんかの拍子に動画で撮影したくなった。
ここにエスカレートの流れを想像します。

このエスカレートをドライブする要因は環境です。
環境を改善していく必要性はここで改めて僕が強調するまでもないでしょう。
一方、このエスカレートを阻止する要因は「倫理観」です。
ガンジーの有名な言葉にこんな言葉があります。

今日、私がすることは世界を変えるには小さな行動に過ぎない。それでも私が行動するのは私が世界に変えられないためである。

一言一句正しいかわかりませんが、こんなニュアンスだったと思います。
ガンジーさん、ちゃんと覚えてなくてごめんなさい。
ただ、これが倫理観だと思います。僕たちの倫理観とは世界に変えられないためのものだと僕は思います。

では、この倫理観をどうすれば僕たちは磨くことができるのでしょうか?

▼脆い倫理観と向き合う

僕らしくこの記事を締め括ろうと思います。
僕なりの倫理観の磨き方の提案です。
賛否両論分かれて、もしかしたら怒られるかもしれませんが、あえて書いてみたいと思います。

— — —

目の前に自分よりも「弱い人」がいることを想像する。
お世話を必要としているかもしれない。何かを教えて欲しがっているかもしれない。
私はこの人に暴力を加えることもできる。同時に自分がこの人の力になることもできる。

そこには実は薄皮一枚ほどの境界線があるに過ぎない。
いや、本当はそんな境界線はないのかもしれない。
そんな境界線も含めて、自分の中にある優越感を自覚してみる。

きっとここにある優越感が全ての始まりだ。
「私にはあなたよりも力があるのだ!!私のいうことを聞きなさい!!」
と怒鳴りつける声が私の中から聞こえる。

その「私」は優越感を持ったまま、今度は「弱い人」になって「私」を見つめていると想像してみる。
その「弱い人」から優越感を持った私はどんな存在に見えるだろうか?
怖く感じるかもしれない。鼻持ちならないやつや気持ちが悪い奴に見えるかもしれない。
そんな中、「弱い人」の中から「強い気持ち」を感じる。「私はそんな奴のいうことには従わない。

私は私を対等な人として関わってくれる人のそばにいたい。私は私を自分で守ることができる。」

 

今度は自分に帰ってきて、その「弱い人」の中にある「強い気持ち」を見つめているところを想像する。
その「強い気持ち」はどこに現れているだろうか?
目つきが違うかもしれない。動きが荒れているかもしれない。ただじっとしているだけかもしれない。

気がつくとその「弱い人」は「尊厳を自覚する人」に見えてくるかもしれない。
少なくともこの文章を書きながら、想像を巡らせている私には今そういう風に見えてきている。

目はまっすぐこっちを見つめ、どっしりと深く椅子に腰掛けている。
その存在の大きさは腕力や知力ではなく、人本来が持つ尊厳の大きさだと気づく。
「油断できない気持ち」が湧いてくる。こんな気持ちなっているのは、「弱い人」がその境界線を超え、
一人の尊厳ある人として振る舞っているからだと自覚した。

私の中にある優越感とは力への奢りであると同時に他者に対する油断であった。

— — —

倫理観はとても脆いものだと思います。
強い倫理観は抜け道を作って倫理を守れないことを教えてくれるかもしれません。
今回のワークから僕は本当に仕事に誇りを持っている人はおそらく油断なく仕事に携わっているのではないかと感じました。
そして、ある意味では利用者の皆さんが人間としての尊厳ある行動を取れるような施設づくりも必要なのかもしれません。
尊厳ある人間に対して私たちは奢りや油断ができないのかもしれないと学びました。

再発防止ではなく、利用者に尊厳を取り戻すこと。それが施設の至上命題なのかもしれません。

スタンフォードの監獄実験というよく知られた心理学実験があります。
看守と囚人に役割を分けるとその通りになるというものです。

今の精神科の病院内にどれほど患者の尊厳が守られたケアが行われているでしょうか?
知らず知らず、「囚人」扱いしてはいないでしょうか?

ちなみに、この実験には続きがあります。
実は看守は実験者によって意図的にきつく当たるように命じられたという都市伝説のような話があります。
ところが、冷静に考えると「役割」としてきつく当たるように指示されると僕らはそれに従ってしまうのです。
これはこの実験だけでなく、電気ショックを使った実験でも証明されています。
人は権威や役割にハマりやすいのです。

もし、施設の職員関係でヒエラルキーがあり、上役が撮影を命じたとしたら?
「私は言われたからやっている」という言い訳ができてしまったら?
実は組織構造、施設の利用者の「扱い方」など色々なものが絡み合ってこの問題が生じているように思えてなりません。

利用者にも、職員にも人間としての尊厳を取り戻せる組織を作らない限り、
私たちはこの問題を生み出し続けるでしょう。

でも、尊厳ある人間に対して私たちは謙虚になることができると思います。
だから、方法がないわけではないです。
繰り返しになりますが、利用者に尊厳を取り戻してもらいましょう。
そして職員に働くことの誇りを取り戻してもらいましょう。
ぜひ、施設内でこのことについて対話してみていただきたいなと思います。

さて、皆さんは何か気づきがあったでしょうか?

投稿者プロフィール

荒川隆太朗
荒川隆太朗
特例認定NPO法人Gift副理事長
https://giftboxcharity.org/db/
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