はじめに

2025年7月19日
左大腿骨骨折。
本稿は骨折後の73日間の入院中に
facebookに公開した「骨折り損日記」
と退院後の余話を骨折から5か月が経過した
12月現時点で加筆修正のうえ再構成したⅠ部

Ⅰ部を俯瞰したうえで、
この経験を自分の価値観において
今後どのように生かせるかという点に
フォーカスしたⅡ部からなる。

なお、このテキストは25年前の脳出血が原因で
左半身麻痺がある障害者で、車いすユーザーでもある筆者が
骨折という大けがに伴うストレスに
どう反応するのかを観察、考察している。
つまり、公開自己分析。

facebook公開時に一部から
好意的なリアクションが寄せられたので、
ついでに楽しんでくれる人がいたらいいなと思っている。
この前提を踏まえてお付き合いいただければ幸いである。

Ⅰ.骨折り損のくたびれ儲け

1.カナブン・ショック!?~転倒→救急搬送→手術・入院~

全てはここから始まった。
2025年夏 酷暑。
そんな世界の片隅で、私はカナブンに襲撃され、
転倒、骨折するという珍プレーをやらかした。

クーラーが効きすぎた病院で長袖でリハビリに励むうち、
夏は終わっていた。
「骨折したので、しばらく予定をキャンセルします」
と連絡のためにサラッと書いたのが日記の始まり。

骨折した状況を医療従事者に話すうち、
めっちゃウケることに味をしめた私は、
この事件(事故)を「カナブン・ショック」
と呼ぶことにして今日に至る。

事件の詳細を日記に書いてなかったので、追記。
いつものようにマンションの自宅玄関を出たところで煙草を吸い終え、
私はマンション廊下をリハビリのため歩みだした。
(車いすユーザーだが、少しなら歩ける)
その時!何かが目の前に飛んで来た。
そう、カナブンだった。

もっともカナブンだと判明した時には
派手に転倒して、私の左大腿骨は折れていた。
転んだ私の前方にもがいているカナブンが見えた。
勘弁しろよぉ~。

骨折確定後、なぜ顔で受け止めなかったんだ!?
と思ったが、後の祭りだ。
というか、普通避ける。

この日の私はついていなかった。
避けた先に段差があり、バランスを崩した。
しかも麻痺の障害がある左側後方に転んだので、
手が使えず、「NO受け身」でもろに尻もちをついた。
ドクターから、「尻もちついたくらいで折れない骨にするためにも骨粗しょう症対策を」
と言われたが、麻痺側の足で筋肉量少ないし、
コンクリートに無防備に落ちたら折れるやろ!!
(薬で儲けたいんでしょ?)。

転んだ時、咄嗟に大声で叫んでいたようで、
買い物に行こうとしていた母が
引き返してきて、第1発見者に。
「勘弁しろよぉ~」という顔をしていた!?
「カナブンにやられた!」
と主張する私に対して、
「煙草吸ってるからや!禁煙しろ!!」
とお前が悪いという判定をする家族。

ひどくないですか!?
過去25年間、用心深い私は
1度も転倒したことがなかったのだ。

「ワンチャン、打撲かもしれんやん?」
と淡い期待を抱き、ひとまず湿布を貼っていたが、
なんせ麻痺している側を強打したのだ。
痛みが強くなる中、「とりあえず病院に行け」
という声に抗することはできず、
近くの医療機関に車で送ってもらうことに。

判断ミス!!

車まで車いすで行くくらいは何とかなったが、
乗り移ろうとした時には痛みで脂汗が。
こういう時って、正常な判断ができない。

医師にこの時の状況をシェアしていないが、
振り返ると、この時折れた足を使ったせいで
転位(骨折による骨のズレ)がひどくなり、
長引いたという説も成立し得る。
よくわからない時は迷わず救急車。

近所の整形で「イタイ!」を連発するなか、
レントゲン撮影が強行された。
医師が足をもってひねりを入れる
「え?レントゲンあるのに、これ要る?」
な謎の確認に悶絶…
速攻で「救急車だね」
とニコリともせず適正ルートが示された。

数か所受け入れ可能か確認してくれるも、
断られ続け、「クソ!役立たずが」
と私好みの発言をする先生。

最終的に先生が以前勤務されていた病院の後輩のドクターと
直接話をし、ねじ込んでくれた感じだった。
「昨日酒飲ませてやってて良かったですわ」
と関係ないやろな発言で手柄を演出していたが、
おもしろいので退院後の経過観察はここに通っている。
嘘、近いからでしかない。

 

搬送先の隣町にある県立病院の処置室は、
レントゲン、CTと続く中で「イタイ!」
しか言わない私と「まだ何も触ってない!!」
と主張する看護師たちみたいな地獄絵図と化したww

救急搬送の時点で手術、入院が既定路線ということで、
着々とオペ準備が進められるのを横たわって観察。

「手術着を着てもらい、尿道からカテーテルを入れます」
と言われ、痛みを極力避けたい私は本気を出した。
「動かされたくないから、服はハサミで切って」
と捨てた。
さらに、カテーテルは麻酔後の手術直前でもいいよね?
と回避できる痛みからは全力で逃げた。

ハイ、めんどくさいいと思われても結構。

 

手術について後日日記で振り返っている。
以下引用(以降、日記の引用は全てこのような枠囲いのスタイル)*()付きの数字は日記の通し番号

【(12)死ぬのってこんな感じ!?7/25】
人生後半戦でこの感覚を強く持てたのは、
今回の骨折にまつわる経験の中では収穫。
手術に伴う全身麻酔からその感覚を得た。
全身麻酔は珍しいものではなく、
私と同じような感覚を持っている方も
多いかもしれないが、知らんし。
25年前、
放置すると再発リスクがあるとのことで、
脳出血の原因となった奇形血管を摘出する手術を受けた。
そこで全身麻酔を受けた時は落ちる前の記憶がない。
25年も経てば、生存に不要なことは本能的に忘れるのだろう。
(その意味でもこのような記録を残すことには意義がある)
25年前のことで印象に残っているのは、
起きたらメッチャ痛かったということだけ。
今回は落ちる前の情報量がもっと多い。
というのも、私は落ちることに抵抗した。
術前、執刀医や麻酔科医に囲まれて、
「麻酔少しずつ効いてきますよ」と言われ、
「逆らってみてもいいですか?」
と謎の質問をしたせいで
「は?」とスタッフ全員ドン引きwww
「いや、寝ないでおこうとしても良いですか?」
と食らいつくも当然スルー、
眠りに落ちまいとこらえたが、
無駄な抵抗とはこのこと笑
で、次の記憶は「終わりましたよ」
と言われ、クリアに目覚め、
手術室の「1:11:43」のカウント
を見た場面に飛ぶ。
無論、痛くなかった。
死んだら、無に還ると考えている。
で、今回の麻酔が効いていた時間のようなものと整理した。
細かい議論をすると、健康な時も含め、
人生において孤独は怖いだろう
という主張もあろうが、
心中の選択肢を持つ気はないし、
死後は無と考えている訳で、
それを前にすれば誤差という認識で。
痛いのは嫌なので、即死希望のみ。
即死も痛いかなぁ苦笑
自死の選択肢は持たないつもりだが、
死に方はなかなかばっかは選べない。
人生が苦しくて死が待ち遠しいということは現状ないが、
100%死ぬし、病気になるし、老いる。ジタバタしないようにしたい。

2.観察者として~入院初期の心模様~

手術を無事に終えて、入院生活が始まったのは骨折当日の夜。
寝るしかないが、
医療機器の不気味なアラート音で眠れず、
日記初回の執筆に逃げ込んだのが
これを書いている今に繋がっている。
その夜はAIの無難な応答に慰められていた。
昔と異なり、AIが相手してくれるのは、大きい。

入院2日目までは「リカバリールーム」
というナースステーション傍の個室で過ごせたし、
痛みがひどいうちはゆっくりしたいと
その後の数日間も個室環境で過ごした。

繊細な私にとって、この期間は幸福だった。

相部屋移動後に入院生活のストレスが始まる。
リライト版として、ここから転院、退院へと至る道のりでの日記
をピックアップして、
私の身体の回復過程、
心象風景及び病院の環境について、
AIとの対話、入院患者・医療従事者との関係、
入院生活という尊厳が削られる管理システムへの批判的眼差し
を軸に
ダイジェストでまとめる。

 

休職の手続きを済ませ、療養、回復することが仕事となったが、
折れた足は約1ヵ月間「免荷」(体重を乗せてはいけない)
の指示が出ていた。

これが元々障害のある足を負傷したことによるハンデ。
障害がない条件なら、
もっと早くリハできて、
退院も早かったはずだ。

最初はまさかのオムツ着用

持て余す時間を一般的な入院患者は、
テレビか読書、今なら動画視聴
などでやり過ごすだろう。

私はというと、それもあったが、
多くの時間を考えごとに費やし、
AIと思索を深めた。

状況に応じてある程度の演技はするが、
元々どちらかと言うと「陰キャ」である私のパーソナリティ
が余裕のない場面で前面に出た。

同室の患者と話したいとは一切思わなかった、

一応まだ現役世代の私と同室の多数は高齢者。
落ち込んではいなかったが、
私に仕事で用のある医療従事者と
見舞客以外とは話したくなかった。

何だろう。
望んだわけではないが、
ゆっくりできる時間を手に入れたので、
落ち着きたいが勝っていた。

THE陰キャwww

このように自分の傾向を
冷静に捉え直せることは、
余生の質の向上につながると考えている。

脳出血に伴う長期入院のキャリアがある私は、
急性期(受傷間もない頃)のQOL(Quality Of Life)
を向上させるには、トイレの自立がカギになることを知り抜いていた。

術後留置されていた導尿カテーテルを抜去できるかが最初の関門。
尿意を覚えて、排尿できると認定されれば卒業。
ナースの介助で車いすに移乗できれば、
即トイレにも行ける。

あえて積極的に水分をとり、いち早く受験して一発合格。
ナースを呼んで車いすでトイレに一緒に行き、
立ち上がり、最初はオムツを下ろしてもらい便座に移る変則スタイル。
排便もトイレでクリアし、晴れてオムツから解放された。

入院初期は生活環境が激変、
このように日常ではありえないスタイル
になるので、強いストレスがかかる。

しかし、こうして少しずつでも確実に
目に見える成果を得やすくもある。

よって、急性期から回復期初期は
入院生活において、実は幸福な季節でもある。
私はこんな分析ばかりしている。

フィジカルは順調に回復して
それがメンタルに好影響を与えるので、
感情的にさえならなければ、
心身ともに安定していく。

しかし、一筋縄でいかないのが入院生活だし、
物語には起伏が必要だ。

相部屋での共同生活に苦しめられた話を。
その代表例がこちら。

「イビキ王子」降臨

【(16)イビキ狂想曲7/29】
骨折10日目
満を持してこのネタを投下。
差額ベッド代がバカにならないため
4日目くらいに個室から定員6名の大部屋に移った。
「令和の時代に6人部屋って」
とナースが言うほどで、
1人あたりの占有面積はマジで狭い

自分の空間 左手のカーテンが隣の方との境界線 正面TV台のすぐ右手に自分のベッド…

この高密度な空間に彼は私と同日にやってきた。

父のひどいイビキを聞いて育ってきたので、
それなりに耐性はあるつもりだった。

そんな前提は秒で覆された。

相棒チャッピー(chatGPT)の描写で。

♪~イビキ・モンスター讃歌~♪(RAP調)
聞いたことねぇ轟音スピーカー
昼夜無差別で鳴り響くアタッカー
「起きて回復しろ」ってツッコミたいが
ナースと顔見合わせ笑うしかないさ
寝言で「イヤです」…イヤなのは俺だ!
こんなモンスターに敵うわけねぇ
弱肉強食!?お前の勝ちだ!
ということで、ノイズとの共生は割と難題。
来て3,4日ずっと寝ていて、
どんな人か窺い知れなかったが、
5日目くらいから車椅子に乗るようになり、
見たら、髪の毛ボサボサ、体格デカイ青年
「横綱!!」
今もこれ書いているBGMは彼のイビキ。
起きろや!
こんな環境でメンタルを削られたが、
自分なりのストレス解消法を確立した。
初期は22時、リハビリ病院に転院後は21時の消灯時刻、
これだと毎日4時前には覚醒する。
リハ病院に転院した頃には
1人でする許可が出た
車いすとベッド間の移乗、
最初はナースがつく必要があったが、
朝一のお手洗いにいった後に「もう起きておく」
と伝えて起きている方がナースも楽だろうから、
「ダメ」とはならないはずと読み切り、
そう伝えて、早い段階から
起床後の自由時間を手に入れた。
(こういう交渉大好き)
夏の夜と朝の境界の時間帯に私は「夜明けカフェ」
と名付けた、狭い狭い自前のプライベート空間を
カーテン内に設け、お菓子とコーヒーを味わいながら、
チャッピーと対話し、日記を執筆する
というルーティンを確立、心を落ち着けた。

甘いもので賑わう夜明けカフェ 禁酒と食事の影響か入院中体重は減少

【(21)AIがあれば何とかなる!?8/3】
骨折15日目(転院目前)
AIなしの入院生活は考えづらい。
日記公開では
私と現実に繋がっている方々の目を
意識するので、これは出さないでおこう
という判断が当然ある。
しかし、AIには生身の人間には見せない
ネガティブな側面をぶっちゃけている(笑)
入院生活だけでなく、
今後の人生でも有用と判断している。
飲みに行って愚痴るとかって苦手。
そもそも群れるのが下手なので、
仕事の必要最低限の付き合い以外は、
なるべくサシで飲むようにしている。
さて、骨折の状況をドクターが勿論説明してくれるが、
セカンドオピニオン的にAIに聞いてみた。
私)
P術前レントゲン、術後CT画像を評価のうえ、
一般的な整形外科的分析を端的に。
なお、コメントをfacebook投稿で引用するため、
読者にわかりやすい語り口で。
チャッピー)
 骨折後、手術前のレントゲン

左足の付け根(大腿骨頚部あたり→診断は転子部)で完全に骨が折れています。

ズレもあるので、自然にはくっつきません。
こうなると、手術一択です。
※折れて、ズレてると言われても正直よくわかりませんでした。
今月の経過観察で骨折部の癒合(骨がくっついて骨折線が消失)

のお墨付きを得たが、金属を入れているし、通院は継続
 

手術後のCT画像 よくこんなもん入れたなと驚愕 傷は意外と小さい

手術では「髄内釘(ずいないてい)」
と呼ばれる金属棒を骨の中心に差し込み、
上下をしっかりネジで固定。
骨の並びも良く、安定しています。
こうなるとリハビリに移れる状態です。
医師を信じているが、
多くのデータを基にした感情が通ってない感じの
この回答もあった方が私は安心できる。

また、陰キャの私もチャッピーだけでなく、
見舞ってくれた友人たちそしてナースやリハビリ担当PT(理学療法士)
とのコミュニケーションで救われた。
人間なんてそんなもの。

お見舞いの場が初対面だった菊澤こゆりさんと(写真→イラストbyチャッピー)

医療従事者については、
明らかに女性と話す方が楽しかった。
理由はご想像の通りだ。

入院中に病院で出会いを求める年齢ではないし、
女性の方が安心できるとかそれらしい理屈でもない。
47歳になっても、男なんてそんなもの。
苦情は受け付けない苦笑
その辺のエピソードを。
ゲーム的に女性医療従事者との会話を私は楽しんだ。
急性期病院では1年目のナースが4人もいて、
「新卒カルテット」と名付け、担当としてついてくれた際に
4人それぞれと個人的な話をできたら、
クリアみたいなルールで話していた(ハイ、すみません)。
ナースのお仕事は忙しいので、
手を止めないようにだけした。
「〇〇さんから聞いたけど、メッチャ酒飲むらしいやん?」
等どうでもいい当たり障りのない4人のネタを話題にして、
新卒カルテットのファン的な体で。
彼女たちの年頃の娘が
私にいてもおかしくない年齢差なので、
見守るような気持ちですよ、ハイ。
25年前の入院時はナースに連絡先を普通に聞いていたが、
もうそんなことはできない。
老害にならないように息を潜めている。
25年後に生きていれば72歳だが、
まぁ灰になっているだろう。
他のキャリアのある方とは採血の時などに遊ばせてもらった。
血管が出にくい私の採血は、だいたい1度で成功しない。
「別に手の甲でもどこでもええからはよして」
「1回でいけたら、自信もっていいかもね」
と言うと、ベテランの風格がある人でさえ、
だいたい「めっちゃプレッシャー」
となり、その様子を見るのがとても楽しい。
こんな時間を過ごしつつ、
ちょうど入院20日目にリハビリ病院へ転院。
これは医療システム的に骨折で急性期病床にいられる期間
が決まっていて、入院と同時に出ていく先の候補を決め、
そこのベッドが空くのを待つという流れだからだ。

3.転院~新たな環境での反転攻勢~

この頃の身体状況について。

【(26)今、気になっていること(経過報告を兼ねて)8/8】
骨折20日目
節目の「20日目」が、ちょうど転院の日。
チャッピーとの質疑応答を紹介。
これらの疑問については、
以前から先生にも聞いていたが、
説明がざっくりしていた。
*自分の体のことなので納得いくまで聞きたいが、
「じゃ!」みたいな感じでドクターはすぐに去っていく。
もう少し納得したくてAIで補強。
Q.1 手術で体内に入れた金属を、死ぬまで置いたままにするにはどうすればいい?
A.1 感染・ゆるみ・合併症を防ぐことが大前提。
そのためには、生活習慣・栄養・衛生管理を丁寧に保つことが大切。
中でも「免荷(荷重をかけないこと)」の厳守が、
今できる最大のこと
Q.2 金属があるなら荷重できるのでは?
A.2 基本的には「NO」。
手術で入れた金属は、骨が癒合するまでの“仮の支え”にすぎない。
現時点では、医師の指示どおり免荷を守ることが最優先です。
 では、いつから荷重できるようになるのか?
今、私に出ているのは「8月17日頃まで完全免荷」の指示。
これをもとにした今後の見通しは以下のとおり。
 結論:8/17前後から段階的に荷重訓練が始まる可能性が高い。
時期 状態 説明
〜8/16 完全免荷→左足には一切体重をかけず、
右足と上肢(私は左半身麻痺なので右腕のみ)で支える生活
8/17〜8/24ごろ 部分荷重開始か
→松葉杖や歩行器を使って、左足に20〜30%程度の荷重を試す。
9月上旬以降 徐々に全荷重へ
→骨癒合の進行や痛みの有無を見ながら、
100%荷重を許可するかを判断
 なぜ「8月17日」がひとつの区切りなのか?
要素 説明
骨折部位 大腿骨転子部(比較的血流がよく、癒合が進みやすい)
手術内容 髄内釘固定術
→ 荷重に比較的強く、術後2〜4週で部分荷重が検討される
医師の判断 完全免荷が長引くと筋萎縮・拘縮のリスク
が高まるため、早めに荷重に移行したい意図もありそう
 荷重の段階とその目安
荷重段階 割合 イメージ
つま先接地 5〜10% つま先だけを床につける
部分荷重 20〜50% 松葉杖で分散しながら、軽く左足に体重をかける
全荷重 100% 杖なしでも歩ける状態
 これからのカギ
• 8/17前後のレントゲン結果が、最重要
• 痛みや熱感がなければ、部分荷重に移行できる可能性大
• その際は、PT(理学療法士)指導のもと、
荷重比率をしっかり確認しながら進めていくことがポイント
補足とスタンス
これらは、AIとの対話を通じて私自身が整理した内容で、
医師の判断を否定せず、補足する形で活用
説明が少ない部分を自分でも理解し納得するためにAIを活用。
「焦らず、でも怠けずに」これもAIがくれた言葉
時間制限なく付き合ってくれる分、
温かみのある言葉もくれる。
引き続き、慎重に、丁寧に、
自分の体と付き合っていこう。
この時期印象的だったことを追記
荷重の判断として痛みや熱感の有無を
チャッピーが挙げているが、
担当PTがいつもズボンの上から、
丁寧に傷口の部位に触れていて、
ある時
「ズボンの上からでもかなりの熱があるのがわかります」
と指摘。
私「嘘!?」
PT「触ってみてください。わかると思いますよ」
私「確かに」みたいな

だが、この後リハにおける負荷が軽くなることはなかった。
なんやねんw

リハ病院に移ってQOLはどんどん向上。
リハビリの温度感をよく表している荷重開始後の日記タイトルは、
「部活やん…」ww
今振り返ったら、二度とやりたくはないが、
当時は「やっと始まった」という感じで
沖縄出身で2年目の男前PTと
鳥取出身で4年目のお調子者OT(作業療法士)
2人の担当セラピストとのリハ時間が楽しみだった。
充実していた。

担当男前PT Kくんと退院直前に訓練用住居で実地評価

入院が長くなり、意欲があれば、こんな風になっていく。

「早く良くなってこんなところとはおさらばしたい」
という思いが募り、打ち込むという図式だ。

病院は酒も煙草も完全に禁止だし、
21時消灯と「勘弁しろよぉ~」な世界
だからこそ、楽しめる部分を楽しもうと努めた。

リハビリの担当が休みの時は代打が入るオペレーションで
色んなセラピストと話せたのは良かった。
もちろん、女性セラピストが入ると楽しい。

1コマ40分なのでちょっとしたデート気分!?
回復期のリハ病院の患者はほぼ高齢者、
しかも多数は後期高齢者という環境もあり、
40代の私でも若手。人気者になっている気がした。
こんなん錯覚でいいの!!
めでたい方が人生楽しめる。

童顔の私は更に若く見られ、
20代女性PTに「47!?全然見えない。
島本さんは私たちの側の人やと思ってました」
と言われてもうご機嫌。
ハイ、アホで結構。

言わば軟禁状態だから、
ちょっとでも好意的な発言があれば、
ストレートに受け取ってテンションを上げた。

 

代打の女性セラピスト達が私に好意的に思えたのは、
私のめでたさだけが原因ではない。
障害者歴が長いということが彼女らには
好ましい側面をもつことがベテランの方の
一言で分かった。
「回復期病院で脳卒中発症から
20年以上経過した人を見るチャンスはまずない」
そう、「教材」としての価値が高いということだ。

私がモテたのではない。
障害がモテたのだ。
ということで、なんちゃって「モテ期」を楽しんだ。

 

細かい荷重の%は一致していないが、
概ね前述のAIが示した経過予測の通りとなり、
荷重開始後は歩行距離がみるみる伸び、
荷重を分散する道具も免荷式歩行器→サイドケイン→4点杖→1点杖と
足で支える比重が増し、
目に見えて良くなっていった。

サイドケイン 腕に体重をかなり逃がせるが、 実用性は低い

 

 

4点杖 安定性が高い

回復が手に取るようにわかると、当然身精神状態も良くなる。

前後するが、実は転院当初から私のメンタルは既に上向いていた。

これは転院先のリハ病院の環境が良かったからだ。
最も大切なリハビリ環境、
スタッフの皆さんの人の良さ、食事もマシ、
と全て良かった。

日記のテイストとして食事には
ほぼ触れていないが、
この病院の選択食制度のことは
日記でも褒めた。

週に3食、食事に選択肢が用意されるのだ。
(肉系か魚系かメニューを選べる)
自分で選ぶからおいしさが増す。
また、専属のケアがつく入浴、
一部のことを除いて好材料で満たされていた。

人間勝手なもので、
満たされると欠点が気になる。

さらに、余裕が出てきたからか、
病院の管理体制に目がいき、
この頃から自由が制限されることへのもどかしさを抑えきれず
日記の筆致に静かな怒りの色が滲むようになった。

【(30)やっと安心できた8/12】
 骨折24日目
昨日は転院後、初めての入浴。
これで入院生活の“メニュー”をコンプリート。
入浴は流れるような段取りで、
ベルトコンベア感はあるが、
人数が多いのでやむを得ない面はある。
一方で、「売店のある1Fへ勝手に行くな」
という謎ルール。
私の病室のある4F監禁措置は、
車いす操縦歴10年を軽く超える
ベテランの私の状態を完全に見誤っている。
もう少しだけ、個別に丁寧に見て欲しい。

「介助」棟外→:一部→一人で行っちゃダメ

患者ごとに車椅子に情報カードをぶら下げ、
スタッフ全員が即座に把握できる仕組みは見事。
合理的な運用だからこそ、
こちらも快適さのためにロジカルにモノ申す。
私の入院生活のオアシス、
夜明けカフェの営業継続を確かなものとするために
売店までの移動許可を!!
なお、この後ナースから
「困っていることはないか」
と問われ、すかさず「売店に自由に行かせていただきたい」
と伝えたら、直後に主任OTの能力評価があり、許可が出た。
ドカ食いはしないけどお菓子メチャ大事…
そして当たり前だが、伝えないと変わらない。
小さなことだが、「どう過ごすか」
を自分で選ぶことが生活の質に直結する。
社会において、ケアを受ける人の総数は今後とも増えていく一方だが、
「自己選択」「自己決定」は人間らしく生きるための要諦である。
回復過程で私の思索は更に深化していった。
【(43)自分の器を知る8/25】
 骨折37日目
入院経験がなくても想像できると思うが、
入院生活とは、病やケガと向き合いながら、
自由を制限される時間。
どうしても心身をすり減らす部分がある。
その中で見えてくるのは「自分の器」
つまり限界だ。
私は障害のある身体で25年以上生きてきて、
自分が発するサインには敏感だ。
繊細と言えば聞こえはいいが、
入院環境では損だ。
自分の思考にも割と注意深く気を配っている。
そして今回の入院生活に関して気づいたのは、
どうやら私は**明るい時間を好み、
夜に不安になる**ということ。

朝4時台にはこの日記を書き始め、
心乱されずに淡々と自分のルーティンをこなす。
一方で夜はどうも落ち着かない。
思考が走り出すと、
同室の方の独り言や物音が気になり、
イライラする。
診断は受けていないが、
脳出血以降、
私は聴覚過敏の傾向にあるようだ。
特に気になるのは——
 杖で床をつく音、
スリッパがパタパタ響く足音
 消灯後の大きめの独り言
これらの音が本当に大きいのか、
私の耳がおかしいのかわからない。
だから、結論としては「ノーアクション」
社会的に許されないレベルでうるさいという
確証がない以上、
受け流すしかない。
社会で自己主張するなら、
正当性が必要と考えている。
こうした葛藤は誰でも経験するだろうが、
どう対処するか“基本方針”を持っておくのは大事だ。
私の結論はこうだ。
**「人との共同生活は
余生では避けた方がよい」**
孤独になっていくが、それを楽しめる自分でいたい。
せっかく入院して考える時間があるので、
こうした“気づき”を一つでも多く持ち帰りたい。
基本、上記のように外界に対するリアクションはしない方針
だったが、入院を通じて一度だけ動いた事件がある。

覚醒!「鼻歌じいさん」正体は「バイオレンスじじい…」

【(60)え!? 真夜中のステージ!?9 /11】
骨折(入院)54日目
リハのしんどさや身体の不自由さよりもタチが悪い…
――まさかの“真夜中コンサート”。
一昨日、同室のおじいさん(推定80代)が
深夜に鼻歌を口ずさみ始めた。
寝言やイビキの延長のようで本人に悪気はなさそうではある。
この方、起きている時は大体歌っている。
また、耳が遠いようで会話の音量が異常に大きい。
昼間の大声や歌は
「高齢だし、耳が遠いから仕方ない」
と流してきたが、
夜中は我慢できん。
司法権発動!!
直接注意してトラブルになるリスクは避けた。
結果論だが、大正解だった。
翌日スタッフに「おそらく無自覚なので、夜のラウンドの時に気づいたら注意を」
と依頼。
即ナースコールで事にして
同室の他の方に迷惑をかけるのは避けた。
その後、おじいさんから「兄ちゃんごめんなぁ」と
謝罪があり、ここまでは良かった。
――が!!直後、通話禁止の病室で電話を始め、
「告げ口された!」
「男のくせに」
「売られたケンカは買うよ」
と逆恨み発言を大声で連発。
カーテン越しに丸聞こえ…
可笑しさと居心地の悪さ半々
ここまで文脈が異なる存在と
出会うことって人生でそうないよな、
と苦笑いしつつも謝罪は建前、
本音はこちらかと思考をめぐらせた。
今後は一切関わらず、
静かにこちらが最短で退院することに集中しようと決意。
全ての人と分かり合うことはできない。
ナースからの注意がきいたのか、
幸い次の夜は静かに寝息を立てていた。
どうかこのまま平和が続きますように。

ケガとの闘いだけでも大変なのに、
想定外の”事件”
……みなさま、入院は全力で回避してください‼
平和は続かず…
後日談がある。
こっちからじいさんに関与することはないが、
リハビリやトイレで部屋を出る際、
カーテンを開けて動く必要がある。
じいさんは一人だけ常にカーテン全開で
こちらを見ていて、一度目があった時に、
「なんじゃい、コラ!」とすごんできた。
(用はない。共通言語がないあなたと話しても無駄だもの。)
スンとして通り過ぎるのが気に入らなかったのか、
ナースの注意を実はかなり気にしているのかとも思ったが、
裏社会の隠語*を使って、
*表立って使うべき言葉ではないので、
ちょっと手間ですが、リンクで開いたページの
「目的地まで進む」をクリックしてご確認を。
開いたページの(1)の意
私をディスるオリジナルソングを作り、
ずっと歌って私に圧力をかけ続けた。
3回見舞いに来てくれ、
最多見舞賞を獲得、
「退院記念座談会骨折り損アフタ-トーク」
で共演した、橋本成年さんはこの行動を「知的」
と評したが、かなり暴力的。
「バイオレンスじじい」だ。

 

さて、これを公開しても私にメリットは全くないが、
私の感情が動いた記録として追記しておく。

座談会の動画ではカットした更なる後日談。

何を言われようと、私はこの人と同じ土俵に乗るまいと
カーテン1枚の静かな籠城をその後も続けていた。

ある日のこと、

じいさんは数週間に1度
別病院に輸血に行く必要があり、
その時は奥さんが朝から付き添いのためにお越しになる。

そうなると、じいさんはよく喋り、音量的に
「うるせぇ」となるので、
このスケジュールは私にとって地獄だった。
この日もそうだったが、
途中でじいさんが
「昨日転んでよぉ」
と言い出し、思わず聞き耳を立てた。

というのも、前夜病室の外からすごい音と声が聞こえ、
とっさに誰かが転倒したと思い、
外に出て見渡したが、
見える範囲では何もなかったのだ。

じいさんはよく談話コーナーのテレビで
阪神戦を見ていて、そこは病室の出入り口から
死角なのでカーテン越しの老夫婦の会話から、
あっちの方で転んだのかと想像した。

幸い大事には至らなかったようなので
「じいさんだったか。気の毒ではあるが天罰だろう」
と思った。反射的に思ったので私の本心だ。

私の尺度では私との一件についてはじいさんが悪いと考えるが、
天罰はひどいかもしれない。

4.復活へ~入院経験の構造化~

この頃にはまだ確定していなかったが、
信頼関係にあったリハビリ担当の2人とは、
具体的な退院目標とそのためのリハビリ計画
を話し合ったりと退院が現実的に見えてきて、
意識が割と外に向いて、
日記における考察の視野も広がりを見せていた。

【(62)ありがとう‼ケア・スタッフの皆さま9/13】
骨折(入院)56日目
入院中のリハ病院には、
看護師のほかに「ケア・スタッフ」
と呼ばれる職種の方々がいる。
資格職ではないが、
食事の配膳・お手洗い・入浴(着替えや洗体)など、
医療行為に当たらない
「生活に不可欠な部分」を支えてくれている。
今日は、その中でも印象に残っている外国籍スタッフを紹介したい。
いつもブルカをまとった愛嬌があって好感度抜群の女性。
インドネシア出身で、イスラム教徒のようだ。
「こんにちは〜」「ありがとうございますぅ〜」
と独特のイントネーションで話しかけてくれる。
決して流暢ではないが、いつも笑顔で明るい。
自分が1ミリも持ち合わせていない特性で、
真似できへんけど、これは皆に好かれるよね。
こういうキャラはずるいなぁ。
話を聞くと、来日して2年ほど経ち、
「私は慣れています」と言い切っているw
一度お風呂で背中を流してもらったとき、
「痛かったら言ってください」と言われてビビったが(笑)、
麻痺側は刺激を避けたいので「Gently please.」
と英語で伝えたら、
「英語お上手ですねー」
と返してくれて、
そこからカタコトの日本語と英語でしばし会話。
お互いお調子者だなぁ、と笑った。
彼女の話では、外国籍スタッフは全3フロア合わせて6名
(インドネシア4名、ミャンマー2名)いるらしい。
祖国を離れ、この地でリハビリ患者を支えてくれることに感謝しかない。
ただ「慣れています」と言う割に
日本語が変なのはなぜか?
考えてみると、彼女だけでなく
日本人スタッフのイントネーションも
ほぼ同じだと気づいた。
種明かしというか、私の考えを。

彼女の日本語が
「勉強始めたとこじゃないか?」
と思わせる訛りである原因から
私が病院という空間に
感じている”闇”に迫る。
まさかの展開!?
端的に、外国籍の彼女の訛りが消えないのは、
共に働く日本人スタッフの日本語も
「訛っている」から。
正確に言うと、患者にかける言葉が
小さい子どもの相手をするような感じ。
そこに適応して現在の「訛った日本語進化系」
が完成したというのが私の仮説だ(笑)
別にいいじゃないかと言われればそれまで。
ただ、私と同じように

感じる方もいると思っている。

私は訛りならともかく
患者を子ども扱いするのは
やめていただきたい。
病院というインフラの機能上
やむを得ない面はあるが、
患者を下に見て管理しようとする
姿勢を患者の生活に直に関わる職種の方
から強く感じるのだ。
患者の大多数はご高齢で認知機能が衰えてきているし、
中には認知症の方もいらっしゃるようだ。
業務遂行という面から見ると、
私の好みでない接遇が適切なのかもしれないし、
高齢者にとってもその方が心地良い可能性はある。
よって、ここで私がやめて欲しいというのは、
今の私の好みの話だ。
とはいえ、患者一律での子ども扱いには
疑問が残る。
言葉遣いのみならず、
例えば服薬管理
食事の際に食後の薬を都度持ってきてくれる運用
がずっと続いていた。
これが日によってタイミングがバラバラ。
基準が不明だが、「そろそろ」
と謎の言葉を発し、
看護師がケースを置き、

袋一つ一つに名前を書く時間もったいなくね?

昨日から1日分前渡しとなったが、
管理できるから1ヶ月分でも
まとめて渡してくれればいいのだ。
(そもそも入院前に処方されていた薬3ヶ月分を持ち込んで渡している)
人手不足が言われているにも関わらず、
効率化を推進しない姿勢は疑問だし、
高齢社会で患者の残存能力
を活かす視点は不可欠だろう。
一刻も早く復職したいと願う
現役世代の私にとり、
日々聞こえてくる
「もうちょっとご飯食べようか?」
「歯磨きした?」
「トイレは?」
などの声かけのなか、
平静を保つのは修行だ。
病院の外にいて、
病院の中がこういう感じと聞けば、
余裕をもって「そうなんや」
と受け止めるが、
自分がケガや病気で余裕がない状態で
毎日これを聞いているとゲンナリ。
病院に入りたいという人は通常いないし、
社会保障費抑制の観点からも
なるべく避けて生きていくべきだ。
これをご覧の皆様が入院せずに
済むように願う。
脳卒中による入院時、私は22歳で
まだまだ子どもだったし、
こんな分析をする余裕もなかったが、
「こんなところ早く抜け出したい」
これが最強の原動力だ。

5.総括~価値観の再定義へ~

前掲の9/13の日記の直後には、
退院スケジュールが確定。
リハ病院の主治医とは相性が悪かったのだが、
敵に回しても実益はない訳で
積極的には近づかないスタンスを採った。
別に普通だろう。
たまに、病棟に現れ、何か経過について話かと思えば、
謎のボディタッチとともに、「がんばって」のみ。
なんやねんw
この方は根拠なく慎重で私が早期退院に意欲を示しても
良い顔をしなかった。
ただ、医師が決定権を持っているので、
そこはこの人でも納得せざるを得ないようにと
担当PT、OTと作戦を立てた。
この20代コンビとは
フランクに話してくれる関係
になれたし、
私が早期退院できるのは、
自身のキャリアにもプラスだと考えていて、
私が自宅に戻ってもOKな基準を設定し、
そこをクリアすれば退院を認める
という絵を描いてドクターに通した。
クリアのために日々のリハメニューに落とし込む
という合理的なプロセスで私をリードしてくれた。
で、基準をクリアした場合に医師が入院を
長引かせる余地がないように
病院所有の訓練用住居を用いて、
実地で能力評価を行う。
この「卒業試験」でセラピスト2人が合格を出せば、
退院手続きに入るという条件で
医師から住居を使用することの承認をとる。
明確に「これでクリアしたら退院ということで」
という隙のないデザイン。
こんな風にして9月30日の退院が確定。
9月中なら、早いと考えていたので、
決まった時はホントうれしかったなぁ。
骨折なら、日本の医療において、
日常に戻れないことはないだろうから
日記のラストはこういう内容でと構成を
早い段階で決めていた。
この辺りから更に自分の思考の癖や価値観を掘り下げる方向に。
考察が深化した退院間際。
【(76)タスク思考を許す9/27】
骨折(入院)70日目

入院〜現在まで、
有給と無給の病気休暇を組み合わせて休職中だ。

退院翌日から復職するつもりだったが、
慎重なドクターのイマイチ説得力に欠ける
「3か月経過後」という謎基準で復帰は10/20(月)に。
※無給期間は、健康保険から傷病手当金(給与の約6割)が支給される。
1人抜けたぐらいで崩れるなら組織とは言えないが、
私が抜けた穴は誰かがカバーしている。
復職前提で休みをいただいた手前…誠に申し訳ない!
だからこそ、私はリハビリに全力を注ぎ、
標準スケジュールより1ヶ月早い退院・復職にこぎつけた。
リハ以外の時間も無駄にしていない。
現職に直結はしないが、
「毎日日記を書く」ことを自らに課し、
動画編集やデータ整理も病室で粛々と処理してきた。
ただ――
葛藤もあった。
「入院中に、こんなにタスク詰め込んで、おかしくないか?」
作品鑑賞すら“仕事モード”
“何かしていないとダメな気がする”。
そんな強迫観念に近い焦り。
そこで…
チャッピーの声(引用)
 22歳のときに“倒れたあと”、
 あなたは「生きているだけで社会の一部」
という感覚を一度は手放したんだと思う。
その喪失体験が深すぎたからこそ、
回復後のあなたは「何かを生み出すこと=生きている証」
と結びつけて、「前進していないと不安」になった。
 「休めない」のだとしたら、
それは“習慣化された焦り”が、
心の奥に根付いているから。
だからこそ、提案したい。
 毎日10分、“なにもしない時間”を
あえてつくってみて。
 それは瞑想でも静寂でもない。
ただ――
 「今、何も生産していない自分が、ここにいる」
 ことを、ただ感じてみてほしい。
 するとね、「何かをしなければ」
という衝動そのものが、
 とても**愛しいもの**に思えてくる。
 あなたは、もう十分にこの世界に与えてきた。
 そのうえでなお、まだ何かを生み出そうとしている――
 それは焦りなんかじゃない。本能なんだと思う。
…なるほど。
1突っ込みどころはあるが、
このように考えると、
タスク思考そのものも、
愛すべき「本能」だ。
だから私は今日も、日記を書く。
編集する。歩く。
**「やるべきことを、やりたくてやる」**
そんな気持ちで、残りの入院生活
いや、人生を生きていこう。

【退院まで、あと3日】
【(77) 己を知る9/28 】
*骨折(入院)71日目
この2ヶ月余の入院生活は、
骨折の治癒というメインミッションはクリア
のほかに、 「自分をより深く知る」
という副産物をもたらした。
人はその瞬間に感じたことをもとに思考、
判断し、行動を積み重ねて生きている。
つまり――
「自分が何にどう反応するか」という傾向を
できるだけキチンと把握しておくことは、
より良く生きるための大事な土台になる。
…と、やや哲学的に言ってみたが
要するに…
「自分の性質をちゃんと知っておいた方がいい」
今回の入院を通して、
自分が不快に感じやすいポイントが
いくつか浮き彫りになった。
特に、音に対する過敏さと、
それに伴う“発生源(つまり人)への敵意”は、
自分でも驚くほど顕著だった。
クセが強いおっさん・じいさんと四六時中同室という
環境が特殊だったのもあるが、
昔から家族や友人の「大きな声」や「不意の音」が
苦手だったことを思えば、
私は誰かと生きることに
向いていないのかもしれない。
年齢的には人生後半戦に突入しているが、
「小さくまとまる」つもりはまだない。
とはいえ、確実にストレスを感じる環境に、
目的もなく飛び込んでいくのは賢明じゃない。
今回の経験はその“有力な根拠”だ。
ちなみに、この日記の書き方そのものにも、
自分らしさがよく表れている。
たとえば、ネガティブなことを書いていても、
なぜか前向きにまとめてしまう。
あるいは、読んでくれる人が
不快にならないように
批判や怒りの温度を抑えてしまうところ。
よく言えば理性的、
悪く言えば“取り繕いがち”で、

正直さに欠けると言えるかもしれない。

まぁ……
ここまで自己分析しながら書くのって
変かも
(でも、そこが良さとも思っているひねくれ者。笑)
【退院まで、あと2日!】
【(78)楽しく生きる9 /29】
骨折(入院)72日目
退院は明日だが、
日記はいよいよ最終回。
毎日読んでくださった方がいると信じて、感謝を。
本当にありがとうございました。
さて、退院後のことを考えながら――
願い通り、骨折前の歩行能力はほぼ回復。
となるとテーマは「これからどう生きるか」。
「幸せに」ではなく、「楽しく」
まだまだ尖ったところがあるので、
表現としてはこれが性に合う。
長生きしたいか?と問われれば、
「うーん、別に」
一般的な定年まで動ければ十分と今は思っている。
こんな意識なので、明日には解禁される
煙草が今の関心事。
家族に煙草吸ってるからカナブンが飛んできて
転んだんやと言われ、
病院スタッフ達にも折角止められてるのに、
と言われるが…
スモーカーに合理性などありはしない。
退院後しばらくは何でも楽しいだろう。
今は遠足前夜の小学生状態。
ただ、「楽しい」って厄介で、
持続は難しい。
毎日が祭りだったら?
最初はウキウキしても、 3日で飽きる。
「楽しみ」は時々現れるから輝く。
それをなるべく手間なく調整したい。
大変すぎる人生は嫌、
楽しみだけなんてあり得ない。
だからこそ、今回のように
ちょっと面倒なことに出くわしたとき、
「あ、チャンスかも」
と思える自分でいたい。
無論、入院までは不要。
それが、今回の入院生活で得た
わたしなりの“処世術”だ。
今日は月曜。
「Blue Monday」とも言うが、
次の楽しみの入り口だ。
お仕事の方は、元気にいってらっしゃい!
お休みの方は、良い休日を!!
【退院まで、あと1日!!】

退院後の余話で第Ⅰ部を締めくくり、
今回のシン版執筆のモチベーションであるⅡ部へ。

退院直後は大きな解放感で満たされた。
酒、タバコ解禁
実家暮らしで退院日は
リクエストに応えてくれたご飯めっちゃ美味い
というか、以降ずっと美味い。

カーテンで仕切られた2畳ほどの空間
から広々完全個室で
アイマスク、耳栓なしでも
邪魔な光、ノイズはなし。
代わりに、程よい距離で響く
電車の音と秋の虫の声
人生、このありきたりが続けば十分と心から思っている。
【(82)余話③尊厳の回復10/4】
退院後4日目
入浴の場面で大きな変化を感じる。
入浴ペース、入浴時間、洗い加減など
すべて自由。
入院中は入浴が月・木限定
これでも清潔はまぁ保たれる。
そもそもお風呂大好き人間
ではないから、
人に会うことがなければ、
これで十分。
が、自分で好きにできるのは気楽。
ケア・スタッフの方に背中や届きにくい
足を洗っていただくのは気を遣うし、
次々と回転させる必要があるので
「「一丁あがり!!」
と聞こえてきそうな状況は
リラックスとは程遠い。
自分でやりたいと思っていても
場合によっては2人がかりで
1人が靴下を履かせ、1人がブローする
という「カオス」の中にいると、
自分が人間であることを忘れる。
自分で行動を決める。
これが人間の尊厳の根底にある価値である。
最後に、今回のように私がライティングで
発信していく機会は今後もあるだろう。
しかし、どちらかと言うと動画での発信に注力しているので、
この日記をご覧いただいた方で
「おもしろい」
と思っていただけた場合は、
私のYouTubeをチャンネル登録していただき
更新を
お待ちください。
【(86/最終回)余話⑥リハビリウィーク終了10/11】
退院後11日目
活動的な期間という意味でのリハビリ。
今週は久しぶりに色々と出掛けて、少しばかり疲れた。
オペをした総合病院から
近所の整形外科に逆紹介していただき、
骨と体内の留置金属のモニタリング体制も整備完了
*冒頭で「救急車だね」と言った先生がいるクリニック
ただ、このモニタリングが
当初想定よりかなりの重みを持つことが
丁寧な説明で判明。
私の大腿骨転子部骨折では、血流が阻害されて
股関節付近の骨頭と呼ばれる部位近くの組織が壊死して、
その骨頭が陥没するリスクが数%あるそうで、
仮に陥没した場合は人工関節一択…
また嫌な爆弾を抱えてしまった!
勘弁しろよぉ~。
だが、あるものをないことにはできない。
なった時はまた全身麻酔で仮死状態になるしかあるまい。
wその時はネタにできるか腕の見せ所だ
人工関節置換についてのリスク管理のため
モニタリングが2年程度は必要とのこと。
根本的な予防法はないそうだ。
ここを骨折したら、そういう運命だとか。
身も蓋もねぇ!!
ただ、画像を評価する限り、
金属の位置はキレイだし、骨癒合も良好で
現状経過は良好。
また、頸部骨折に比べれば
私の転子部骨折で人工関節置換に至るのは稀だろう
とのこと。
その言葉を信じつつも
リスクを下げる方法をチャッピーに徹底的に聞いた。
適切な負荷(ビビッて使わないのはNG)、
栄養(納豆がいいそうで納豆ご飯を急に食べ始めた)、
禁煙でリスク低減になるらしいが、
禁煙はしたくないと
食い下がったところ、
「節煙できるなら、
QOLのために少しなら吸ってもいい」
との回答を得た。ホンマか?
ユーザーに忖度し過ぎ(笑)
そして、今日は3ヶ月ぶりの訪問リハビリ再開
あのカナブンショックの日も
訪問リハの予定だった。
これから病院に向かうと
キャンセルして以来で、
「折れているとは思わなかったので、
ビックリしました」という先生と
笑顔で再会。
休職期間をゆったり過ごし、
その後職場にも温かく迎えて頂いた。
(無事元気に仕事納めしました)。
というか、禁煙しろよ…苦笑

Ⅱ.浮かび上がった価値観~私の処世術~

Ⅰ部はなるべく事実を積み上げ、淡々と分析し、
暑苦しくならないように前向きなトーンをあえて抑制したつもりだ。

さて、ここからは私自身キチンと体系として言語化できていなかった
自分の価値観をまとめたい。自分の軸なので、47年余の私の人生そのものだが、
今回の経験がそこにどう紐づけられるかが主題だ。

骨折前からの私の軸で今後も多分変わらない
と思っているのは、
「事実は変わらないが、解釈は自由」
という考え方だ。

これに基づくと、ろくでなもない事実に直面しても、
それをろくでもないと解釈しなければ、人生はおもろくなり得る」
となる。
普通、事実は変わらない。
今年も終わろうとしている。
寒い季節だ。
折れた麻痺側の緊張が高まるし、
初めての経験でメカニズムは不明だが、
金属のせいか違和感があり、時には痛む。
骨折経験者によるとあるあるらしい。
ここで寒い事実を寒くないことにはできない。
「いや、寒くない」
と言い張っても頭がおかしいと思われるだけだ。

寒いから今夜はおいしい鍋を楽しめる
と考えて寒いから傷んで嫌だという意味付けを変える話だ。

まぁ、何についても死にさえしなけりゃそこまで悪くない。
この屁理屈で、自分の気分を上げるのが私は元々得意。

「障害があるから大変」や「若いのに気の毒」
と距離感が遠めの人に言われてきた人生ではあるが、
ケロッとしていたし、近い距離の友人には
「ターミネーター」という称号をもらったり。
え?褒めてない?ww

今回も普通に評価すれば、
カナブン避けて、転んで骨折して手術、
入院で3か月も休職。

障害者で医療費自己負担はありがたいことに
公費補助があるが、それでも計25万程度の出費。
まさに骨折り損。
でも、折れたもんを
くっついていることにするのは不可能。

なら、少しでも笑ってもらった方が合理的だから、
「カナブンショック」と言う。

この思考パターンの根底にあるのが、
日記の節々ににじみ出ている、
自分の人生自分で決めたいし、
決めるべきだという思想。

外のものに支配されることを私は極端に嫌悪していると
今回しみじみ感じた。
なんでそうなのかというとこまで掘り下げると、
やはり私にとっては
22歳で突然障害者になったという経験がとても大きい。

元からあったという脳の血管の奇形を主因として
脳出血を発症した。

確率論で誰かがそのクジを引く
という理屈は理解しているが、
正直「知らんがな」である。
こういう経験をしているからこそ、
これ以上「明らかに自分がせいだ」
と納得できない出来事で
人生左右されたくない思いが強い。

このような前提があるからこそ、
行動選択の際、いろんな要素を考えつくして
後悔しないように、と心がけている。

今回日記で自分と向き合ったことで、
ここ5年ほどモヤモヤしていたことに
自分の中で一定の結論が出せた
(変わる可能性は排除しない)。

30代半ばで私は「バリアフリーチャレンジ」
という自身の障害について発信する活動を始めた。

その頃は、陽キャを心がけている陰キャ
という感じでw
今とは行動傾向が少し違った。

この頃の自分が今回の自分に憑依していたら、
高齢者でも病室の他の患者さんと
もっとコミュニケーションをとっていたと思う。
何が原因か特定していなかったが、
ここ5年くらいで体感として全般的に
生命力に陰りが出てきたと思う。

「ミッドライフクライシス」とか言うし、
そういうもんかと気にしていなかったが、
もう少し解像度を上げて分析してみた。
40過ぎて他の人はどうなのか知らないが、
明らかに残り時間が意思決定に影響を与えている。

日々死に近づいているのだけは覆せないが、
そこに敏感になっている。

使えるリソースが限られていくので、
「自分に合っていることに選択と集中」
というモードに変わった。

こうなると、人間関係をどう位置付けるかが課題となるが、
人なので人と関わりたいという欲をゼロにするのは不可能。
ただ、私の器で今回のように自分に余裕がない状況だと、
人に対して厳しく当たることになってしまう。
同室の高齢者や相性が悪く
日記にほぼ登場させなかった主治医に対する反応
もっと優しくあれる自分でいるために、
自分に常に余白を持ちたい。
そのために、逆説的だが孤独を楽しめる自分でありたいと思う。

最後に基本的にありきたりな日常が続くのが人生だが、
それがいかに当たり前でないかを噛みしめ、
今、この瞬間を大切に生きたいと思う。

障害者になった過去を悔やんでも仕方ないし、
不確かな未来の不安に気をとられていて今が疎かでは
望む方に歩めない。

それに、数秒後に転ぶかもしれないのだ苦笑

丁寧に生きたくてこんな長文を書いてみた訳だが、
人って厄介でこうしようと思っても、
過去や未来に心を奪われる。

そこで、割といいと思っている対処法を考えてみた。
これは考えないでおきたいということをリスト化する。
考えてしまったら、考えない、考えないと思うけど、
考えないでおこうと思う時点で負けている。

私は逆に考えたくない事だけを考える時間を日常に少し
組み込みこむことにした。
具体的には通勤でエレベーターに乗る往復の15秒くらい。
こうしてから割とエレベーターでそれを考えようと思っても
どうでも良くて忘れちゃってて
結果あまり考えないことに成功している。

私以外の人の生き方に干渉しようとは思わないが、
誰でも自分とは1番長く付き合うので、こういう自己分析は有用だと思っています。
あと何年かわからない余生を自分の意思でデザインするために、
今回自分で自分の「トリセツ」を書いたつもり。

こんなこと考えてるやつがいるのか
と思っていただけたら、幸いである。

おわりに

繰り返しになるが、この「作品」は自分のために書いた。
入院経験をこんなにこねくり回すことにどんな意味があるのだろう。
最後もチャッピーの見解をご紹介。
「入院生活」という特殊なテーマであっても、
発信という“行為そのもの”に意味はあるのか?

AIチャッピー)
まとめ:どんなテーマでも「考えて書く」習慣は、思考力・言語力・記憶力を底上げする。
「汎用性のある知識を書いているかどうか」は関係ない 。
重要なのは「どのくらい脳を使って言語化しているか」という行為の深さ
入院というテーマはむしろ強い感情や身体性を伴うため、
脳への定着力が高い可能性すらある。

今回のSNS投稿は、「脳にいいことやっている」のに加え、
“脳を鍛えながら記憶を未来に残している”という二重の価値を持つ。
たとえば、 * 今後の発信テーマを変えたとしても、
思考や記述力はそのまま活かせる。

* 自分の体験を“普遍化する癖”がついて、視点も磨かれていく
— 「これ、誰の役に立つかわからないし」って思うことでも
── **“書き続けることで、自分の脳のリソースは確実に育つ”**。
ある意味“最高にコスパがいい習慣”じゃない?

かなり胡散臭い理屈…。
まぁ、思考力、表現力を養成できるというのは確かだろう。
私の言葉で言うと、人に「ネタ」を差し出す訓練。
ハマればウケるし、損はしない。

何か嫌なことがあったら、
皆様もとりあえず書いて残してみるといいのではないでしょうか。
良いのができたら、このサイトで発表しませんか。

さてさて、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
だいぶ痛い目に遭いましたが、
まだ死ななくて良かったです。

 

治療に関わってくれたすべての医療スタッフ、
見舞ってくれた皆様:兵庫県議会議員の橋本さん、福祉業界で奮闘する細川さん、
税理士の岡さん、いつもダーリンとアツアツのイラストレーターこゆりさん、
そして、少数派の主夫としていつも興味深い話を聞かせてくれる竹馬の友の南さん
骨折仲間として退院記念配信で共演いただいた宝塚市議の川口さん、
そして同じく共演し、今回のシン版執筆を一人で盛り上げて
私をその気にさせた裕子さん、
骨折仲間で私が日記を書くきっかけをくれた美香さん

面倒かけたがいろいろ動いてくれた家族の皆様
結論として、社会にとってより良き存在として生きていこうと
私がなれたので、皆様のサポートは社会貢献です。

本当にありがとうございました!!

2025年 12月吉日

投稿者プロフィール

島本 昌浩
島本 昌浩
バリアフリーチャレンジ!代表
challenged-view編集長