ゴールドコンサートとの出会い
11月21日。
東京国際フォーラムで開催された第17回ゴールドコンサート本選に出演しました。
今回はその当日の様子を書きます。
まずはその前に、予選のことを書いていこうと思います。
私が初めてゴールドコンサートに出たのは、昨年、大学2年生の時のこと。
2年前にヤフーニュースでたまたまゴールドコンサートの存在を知った母が、
大阪予選に勝手に申し込みをしたことがきっかけでした。
予選会当日、障害受容が出来ていなかった当時の私は「何で出なきゃいけないの」
と、母と険悪な雰囲気になりながら予選会場に向かいました。
しかし会場は温かな雰囲気で、みなさんの演奏は素晴らしいものでした。
徐々に心は和み、まるでサークル活動しているような思いになりました。
ちなみにこの時は特別曲を用意しておらず、クラッシック曲(ラヴェルのソナチネ1楽章)での参加でした。
賞はオリジナル曲で参加した方々が獲得し、私は受賞することが出来ませんでした。
予選会の終わりには、来年はオリジナル曲で出ようと固く決心していました。
そして翌年。 今回の本選で弾く事になった「誓い」で予選会に臨みましたがその時はまた落選してしまいました。
本番の衣装を着ての練習風景です。
音源予選に通過
しかし、その後予選会に出場した人も応募可能な音源応募で再チャレンジした結果、本選出場が決定しました。
音源応募したのが2月で決定は7月と、出した事すら忘れていた時期の知らせでした。
作曲の勉強をあまりしていなかった時に作った曲で絶対落ちると思っていただけに、
「えっ?」という思いでした。
障害者が社会に参加していくという事
決定後はコロナ禍で「本当に開かれるのか?」と不安の日々でした。
ところで、ゴールドコンサートを主催しているバリアフリー協会の会長さんの言葉を紹介したいと思います。
(発言の要旨で原文のままではありません)
今この時点で一人も参加辞退の連絡がない。
それは障害のある人達がみんな社会に出たい、
このチャンスを逃したくないと思っているんだと思う。
だから感染対策を最大限して何としても開催にこぎ着けたい。
※結局、不参加の方は数名のみでした。
私は、この言葉に感動をしました。
これは障害のある方すべての思いではないでしょうか。
直前に感染者が急増しましたが、私に出ないという選択肢はありませんでした。
この状況下東京に移動した事には批判もあるかもしれませんが、当日の挨拶で会長さんは、
「外に出る事が困難な障害のある方が、この場(ホール)に来ることに意味がある」
とおっしゃっていました。私は社会参加がしたいのです。
本番当日~バリアフリーが当たり前の世界に
そして、11月21日、大会当日。
開催場所は東京国際フォーラム、ホールC。
始発に乗り東京へ向いました。
朝早くしかも本番が苦手な私の心臓は飛びでそうになっていました。
けれど、会場には温かなスタッフの方々がいたので、心がほぐれていきました。
そこからは、慌ただしく本番に向けての準備が始まりました。
説明会、サウンドチェックリハーサル、ヘアメイク・メイク、テクニカルリハーサル(ランスルー)、隙間時間に昼食。
側には常に担当ボランティアの方がいてくださり、しかも自分の楽屋まであったので、
まるで芸能人にでもなったような気分を味わっていました。
美容師さん達も温かく、髪を丁寧に編み込み、舞台で映えるメイクもして下さったので本当に夢のようでした。
サウンドチェックでは指に鍵盤をひっかけミスタッチをしてしまいましたが、
本番のチェックにはなり良かったです。 リハーサルのたびにソーシャルディスタンスを取りながら大移動。
東京国際フォーラムは完全バリアフリーで、車いすの方も苦労なく移動できていました。
『日本中のホールすべてがこうであって欲しい』…車いすの編集長の事をふと思い出し ました。
いよいよ本番
コンサートが始まりました。
午後3時半開演、私は二番目。
本番が近づくにつれ、舞台袖で緊張がピークに達していました。
一番の方のインタビュー中にピアノの前にスタンバイし、いよいよ私の演奏の時間です。
ライトが強く光り、私から客席は見えませんでした。
無観客とは言っても沢山の招待客がお越しで緊張が高まっていました。
それでも見えない事が幸いし、演奏に集中でき、私の世界を作り出せました。
(世界中にネット配信されていると思うと緊張するので、なるべく考えないようにしました)
とにかく自分の音だけに集中しました。
ピアノの音が会場全体を回り自分に返ってくる、
その会場で出せる精一杯の音の響きを考えながらピアノを奏でました。
一番不安だったオクターブの連続も外す事なく、大きな失敗なく演奏を終える事が出来ました。
講評が宮川彬良先生だったのには驚きました。
小さいころ毎日のように見ていたNHKの子供番組「クインテット」の先生だったからです。
誉めて頂けた所、辛口だった所すべてがためになりました。
心残りだったのは、最近の作品を宮川先生に聴いてもらえなかった事です。
この瞬間、これからも作曲の勉強に励み、もっと進化した作品でこの舞台に戻ってこようと誓いました。
演奏後のインタビューは、とにかく恥ずかしかったです。
小さい声ながら自分の「音楽家(困り事のある子に対するピアノ講師・作曲家・ピアノ演奏家)になりたい夢」
について語る事ができ良かったと思います。
審査員特別賞を受賞
自分の出演時間が終わり舞台袖に帰った後はホッとしました。
「みなさんの素晴らしい演奏を楽しみたい!!」
という要望に応えてもらい、客席後ろで鑑賞する事も出来でき、コンサートを満喫出来ました。
コンサートも大詰めを迎え最後の表彰時、出演者は再び舞台袖に集められました。
作曲の勉強をあまりしていなかった頃の作品での受賞はないと思っていました。
だから自分にはあまり関係のない時間だと思い、のんびりとしていました。
そこに 「西濱さんおられますか、 西濱さんは前の方に…」というスタッフさんの声
「えっ?何か取れているって事?えっ?えっ?」わけがわからないままに前の方に進み立っていると、
「審査員特別賞は西濱優衣香さんです!」の声。
気が付いたら再びステージ上に立っていました。
この場面のリハーサルは無かったため心の準備が出来ていなくて、状況を呑み込めずにいた私。
どうしたらいいのか分からず目は完全に泳いでいました。
しかも手にはマスクを持ったままだったので、「キャー何してるの」と焦っていました。
、100%受賞はないと思っていたので受賞コメントは全く何も考えていませんでした。
咄嗟に当たり障りのないコメントをしてしてしまいました。
後で映像を見ると他のみんなのコメントは素晴らしく、
こんな事なら何か考えておくんだったと後悔しました。
当日の動画を↓でご覧いただけます。
私の演奏は 1:03:38~1:10:00 あたりです。
出場者全員への花束贈呈シーンは 2:24:15~2:24:40 あたりです。
そして審査員特別賞を頂いているシーンは、 2:29:50~2:32:47 あたりです。
感動ポルノではないゴールドコンサート
最初は嫌々関わったゴールドコンサートですが、
一歩一歩進んで行く事で心は変化していきました。
障害の受容が100%出来たわけではないけど、
自分が動く事で周りが変化し、多くのものが得られる事を実感しています。
またゴールドコンサートは感動ポルノではなく
高いクオリティを求められる芸術的表現での真剣勝負
そこが私のモチベーションを高めてくれました。
私のピアノに対する思い、音楽に対する姿勢は決して賞を取る事が目的ではありません。
ですが、いつかグランプリをこの手にしてみたいです。
これからもピアノ・作曲活動を頑張っていくつもりです。
最後にゴールドコンサートでお世話になったスタッフの方々ありがとうございました。
そして、ゴールドコンサートを視聴し応援して下さった皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
投稿者プロフィール
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神戸女学院大学音楽学部ピアノ専攻卒業
にしはまピアノ教室(障がい等困り感のある方も受け入れ可)講師
ピアノ曲を作曲、演奏動画もアップしています。
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