<聞き手:島本昌浩>
対談実施日:2016年3月4日
大学生をナンパ!?
今回は昔メルマガで連載していたインタビューの蔵出しです。
当時はゲストのお名前を公開していましたが、今回はネット上に記事が残るということもあってか
個人を特定できる情報は伏せてという条件で記事公開の許諾を頂いたので以下ゲストのことは「青年」と記載します。
当時関西の大学に通われていた青年と知り合ったのは2015年秋のこと。
過去にインタビューさせて頂いた株式会社ミライロのユニバーサルマナー講師・岸田ひろ実さんの講演会で
ご縁が幸運にも繋がりました。
質疑応答で積極的に質問をされていた青年に講演終了後、
私が声をかけて名刺を渡しました。
「僕は名刺を持ってないです。」名刺を持っている大学生は珍しく、こちらも名刺がもらえるとは思っていませんでした。
はにかむ彼に好感を持ったのは言うまでもありません。
そんな、まるでスカウトのような始まりからこのインタビューが実現しました。
異色の組み合わせと言える、私たちの出会いに関する質問からインタビューを始めました。
(島本)
講演会などにはよく行かれていて、あのように積極的に発言もされるのですか?
(青年)
自分に質問するチャンスがあるなら、登壇者のみならず、会場の方にも覚えてもらえるので
積極的に発言したいと思っています。
街づくりに興味があって、その関係の講演会などによく参加しています。
(島本)
会場でこういう風に声をかけられたことって過去にありましたか?
(青年)
名刺を渡されたのは初めてです、(笑)。
濃厚接触者は、私が初めてだったようです。
その時講師をされていた岸田ひろ実さんにインタビューをしたことがある等の話をしました。
その後、私のメルマガを読んで頂くようになり、私の主催講演会にもご参加いただき、
このインタビューに繋がった次第です。
(島本)
インタビューのオファーを受けて、率直にどのように思われましたか?
(青年)
広がりができるという自分にとってのメリットを感じたので抵抗はありませんでした。
声をかけて頂いた時からお互いにとっていいことと思い引き受けました。
随分と大人びた回答です。
(島本)
今日はどのようなことを伝えたいとお考えですか?
(青年)
これまでのやりとりの中で、僕のような人が新鮮というか
あまり会ったことがないタイプとおっしゃっていたので
自分らしさというか、自分の考えをできるだけそのまま出して
島本さんと僕との間で新たな感覚や気付きが生まれることを期待しています。
先天性眼球振盪症ってなに?
青年はとこの疾患による弱視の視覚障害者です。
どんな障害があるかを語っていただくより、どのように生きているかを語っていただくのが対話の本筋でしょうが
私は自分の経験から、障害当事者と話す際は相手の障害特性を知ることが必要だと考えてなるべく質問しています。
そこで、インタビューの作法として、障害についてはご本人の言葉でお話しいただいてきました。
その上で、障害特性をキチンと知るための質問をあれこれしましたが、私の意識とは裏腹なやりとりになりました。
(島本)
先天性眼球振盪症について、簡単に説明をお願いします。
(青年)
僕もこの疾患について詳しく調べていなくて、発症確率などは僕自身も分かりません。
回復の方に行くかも分からないし、先天的なモノなのでこの状態を維持できれば・・・。
(島本)
生きていくうえで、病気の性質にはそこまで興味がない?
(青年)
そうですね。
(島本)
先天的ということは遺伝性のものですか?
(青年)
両親とも違うので原因不明です・・・。
(島本)
維持できればいいという話がありましたが、悪化する可能性はあるのでしょうか?
(青年)
進行性ではないので、それはないです。
(島本)
了解です! この疾患により、障害の認定を受けていらっしゃいますが、
具体的な不自由さとしては、遠くのものが見えにくい?
(青年)
そうですね。遠くのものと、細かいものです。
例えば、新聞の文字は見えなくはないですが、長時間見ていると目が疲れます。
(島本)
障害の中では、視覚障害の弱視に該当しますね。
弱視の障害特性を大まかに言うと、見えにくいということでいいのでしょうか?
(青年)
そうです。見えにくいです。眼球振盪って眼球が揺れている状態で、人間の眼は眼振で揺れているそうです。
ただ、僕の場合はその揺れ幅が大きくて焦点が定まりにくいんです。
(島本)
日常生活で困ることを、あて挙げるとどのようなことですか?
(青年)
外出先で駅の表示を見る時とか、建物内の掲示を見る時は困ります。
(島本)
語弊があるかもしれませんが、伺っていると、
私のような肢体不自由の車いす利用者だと、重度の障害があると分かりやすい。
それに比べると、一般の人が危なっかしいと思う感じはしないけど、もどかしいですね?
(青年)
それはありますね。
青年の「生きづらさ」
次に、青年の原点と私が感じた、10代の頃から23歳の今まで抱き続け、
また、将来にも影響を与え続けるであろう「生きづらさ」について語っていただきました。
東北の小さな街で生まれ育った青年。
小学校から高校の初めまで、環境にほとんど変化が無く、
周囲の人にも恵まれて、障害を意識せずに過ごすことができたそうです。
しかし、高校での環境変化が彼の人生を大きく変えていくことになります。
(島本)
高校で環境が変わり、現在、ご自身が発信されているキーワード
「生きづらさ」を感じ始められたんですね?
(青年)
そうですね。
(島本)
障害は小・中の頃も既にあったにもかかわらず、
高校でいきなり「生きづらさ」を感じたのは、環境に原因があると考えるしかありませんよね?
(青年)
そうですね。
(島本)
とはいえ、環境要因に加えて、この時期ってやはり自分の頭で色々考えていくと思います。
それが相まって環境に馴染めないということになったと私は感じたのですが。
(青年)
ええ。
(島本)
大人の私の視点からすると、もう少し周りに助けを求めても良かったかな、と言うこともできます。
そのようなことを言う大人は、当時、周りにいませんでしたか?
(青年)
自我の発達が絡んでいるのは、そうだと思います。
当時、自分から助けを求めるというか、そうしてはどうか?
というアドバイスがあったかもしれません。
(島本)
あったんですか?
自分でそちらに向かうことはなかったのでしょうか?
(青年)
当時、自分の出し方が分かりませんでした。
高校に入って、僕自身の眼について(薄々気付いていたのかもしれないけど)
家族からも障害と言われず、先生も障害という言葉を使わなかったので、
障害だとは思わなかったし、人より少し目が悪いとしか思っていませんでした。
(島本)
それは腫れ物に触る感じだったんですか?
(青年)
そういう雰囲気も感じませんでした。
親は大してそこに関心がいってなかったのかな。
(島本)
別に障害があろうがなかろうが育てばいいだろうくらいの感じですかね?
(青年)
そうですね。
普通校で生活してきたから、そのまま行けると思っていたと思います。
そんな環境で自分も何となくそのまま行けると思っていました。
(島本)
でも、本来あった不自由さを、小・中時代は周りの助けによってカバーできていたという事実に
この段階で気づいた訳ですね。
(青年)
そうですね。なんだろう・・・。
(島本)
学校生活において具体例を挙げるなら、板書とかですか?
(青年)
そうですね。
(島本)
小・中では周りが自然と助けてくれていたのが、
高校では人間関係ができていなかったこともあり、それがなくなった。
「ああ、これはただ眼が悪いんじゃないんだ」という認識に繋がって行きましたか?
(青年)
目が悪い人と話してると、「俺も0.1だけど」って言ってても眼鏡で矯正できているので、
中学くらいから薄々気づいてはいました。
でも、自分の中でこれが障害だという感覚はありませんでした。
どう説明したらいいのか、自分の見え方についてもあまり考えたことがありませんでした。
そのツケが高校の時に回ってきました。それについてはかなり甘んじてきたんでしょうね。
(島本)
二元的に、外向的・内向的で分けると、
どちらかというと内向的かなという印象を受けます。
障害を捉え、周りに説明することについて甘んじていたということですが、
それまではそうする必要がなかった。つまり、障害だと認識していない。
見えにくいことで周囲に劣等感を抱くことさえなかったのでしょうか?
(青年)
劣等感はゼロではなかったとは思います。
ただ、見えないということが、自分にとってそこまで大きな問題ではありませんでした。
(島本)
でも、高校生活に適応できない状況が続く中で限界を迎えた。
(青年)
そうです。
変えるための決断
そこで、青年は状況を打開するために、特別支援学校に再入学するという大きな決断を下されました。
(島本)
この選択はすんなりできたのでしょうか?
(青年)
地元の高校には1年余通っていて、高2の頭にクラス替えもあり、また環境が完全に変わりました。
その時にしんどくなり始めて、休学しました。
その年の夏くらいに、特別支援学校の情報を知りました。再入学は、親の薦めで選択肢として検討していた時に、
地元にいても変わらないかも知れないという感覚があり、場所を変えてみよう、と考えてのことです。
また、特別支援学校に入学することで、自分には障害があることが明確になるというか。
(島本)
親の薦めがあったということは、その頃にはご両親の接し方も「こちらに導いてあげないと」
という感じに変わっていたのでしょうか?
(青年)
そうですね。よくよく話を聞いてみたら、大体、特別支援学校って幼稚園のところから高校まで分かれている。
眼科の先生から、そこの中等部を薦められていたことを後で聞いたんですけど。
(島本)
その時、ご両親は気にされていなかった。
(青年)
さっき言ったように、「そのまま行けるんちゃうか」みたいな感覚だったようです。
(島本)
笑。
このインタビューでは、全体として、私よりかなり若い青年に対して、私が「どう生きたいのか」を問いかけています。
(島本)
特別支援学校入学の段階で、障害者手帳を取得されたんですね?
(青年)
そうです。
(島本)
先天性の疾患ですから、それまでも認定される状態にはあった?
(青年)
そうですね。特別支援学校に入ると、皆手帳を持っています。
強制ではないんだけど、福祉の割引等で使うため、校外学習の時に手帳を回収されるので、
取っておいた方がいいよという話でした。
(島本)
入学手続きの一環のような感じですね。
この時に手帳を取得して、自分の中で変化はありましたか?
(青年)
みんな取ってるから、そうするものなのかな程度の感覚でした。
親は僕の眼のことを高校の初め頃まで軽く考えていました。
ですから、この親にしてこの子ありというか。
(島本)
笑。『プラスハンディキャップ』というネットメディアに寄稿されている記事で、
ご自身の障害について「中途半端」と形容されていますね?
この認識の萌芽は、特別支援学校に入り、今度は「よく見えている」
という逆のベクトルで集団の中で浮いたという事でしょうか?
(青年)
浮いた訳ではないんですけど、「見えていた」のは事実です。
でも、数値としては僕より見えている人もたくさんいました。
で、視力が低くても「視認力」と言って、視力とは別の指標で僕より高い人もいます。
僕の場合、視力の部分で見ると視野も色覚も異常がなく、視野欠損がほぼないので、両目とも今0.1です。
それを基準にすると、周りの弱視の子は0.0いくつが多かったので、割と見えている方でした。
(島本)
一概には言えないんですね。
ところで、特別支援学校の内情は一般の人には見えません。
全盲の人と、見えにくい弱視の人の比率などはどのような感じですか?
(青年)
僕がいた頃は半々ですかね。
盲学校で使用する文字は点字と墨字なんですけど、
進行性で途中から点字に切り替える子もいました。
(島本)
校内で全盲の人は、全盲の人で固まるとかありますか?
(青年)
そこのコミュニティを特に意識する感じはないです。
小さいころから全盲だと、他の感覚がすごく尖っていたりするので気配をすごく感じるし、
通い慣れた道だと白杖無しでも歩けるという特徴はあります。
(島本)
ここまで小学校から高校までの流れを聞いて、
「環境がいかに大切か」を思わずにはいられません。
大まかに分けると、環境に恵まれて障害を感じずに済んだ小・中時代。
環境に適応できずに生きづらさを感じた高校時代。それを打開しようとした特別支援校時代
と経験されてきた訳ですけど、色んな環境を経験したことで自分自身の捉え方に変化はありましたか?
(青年)
ありますね。何をもって環境というかだと思うんですけど、仮に自発的になれたとしても
周りに受け入れられなければ失敗ですよね。当時そういう発想や手段を持ち合わせていたなら、
その可能性に賭けてみても良かったのかな、とも思います。
でも、やっぱり環境というか一番の要因は人ですよね。
(島本)
私は広義の環境に人も含めてるんですけど、
高校の時は働きかけることはできなかったけど、
その後支援校に再入学したのは、親の薦めがあったにせよ自分から積極的に変えていこうという選択だと思います。
支援学校に入ってからは、普通校にいた時よりも環境に対して働き掛けるようになりましたか?
(青年)
まず支援校に入ると、見え方とかを先生や生徒に聞かれます。
ですから、その部分は意識します。
それが一般社会ではまだできていないと思います。
その点、支援学校時代はフラットな感じだったので、出し惜しみする必要はなかったですね。
(島本)
フラットとおっしゃいましたが、その流れのまま、
大学入学後も周りの人に対して障害についてオープンにされていますか?
(青年)
東北で普通校に通っていた頃よりは、だいぶ良くなっています。
ただ、まだ難しさは感じますし、どう伝えたらいいのかは毎日考えています。
(島本)
そういう時の壁って相手の側ではなくて、自分の中にあると僕は個人的に思っていて、
そこは自分から踏み出せばいいと思います。なかなかそうはならない感じですか?
(青年)
捉え方は千差万別ですよね。障害という言葉自体が悪い訳ではないと思いますが、
障害と聞くとマイナスイメージでとらえる人が多くて。
(島本)
ちょっと構えるというかね。
(青年)
究極的にやれたらいいのは、自分のことをおもしろおかしく伝えることだと思っていて、
そういうことを割と考えています。それをやるには、まだまだ時代が追いついてないかなと思いますね。
障害に対する固定観念がまだ皆の中に残っている感覚はありますね。伝える相手にもよりますけど、
仕事やゼミの活動で割と長く付き合う仲間に対しては伝えないといけないのかなとは思っています。
この辺りから私の主張をなるべく入れ込むという、これまでのインタビューではなかった初の試みで、
討論の色彩を帯びていきます。私と青年の考え方の違いを楽しんえください。
障害者と接する機会があまりない!?
(島本)
今の時代、障害のことをフラットに伝えるのがまだ難しい、という話が出ました。
具体的にそのように思うきっかけになった「うわぁ、きついな」
という強烈な体験があったのでしょうか?
(青年)
強烈な体験というか、同年代の子に話すと障害者と接する機会がなかったのか、
第一印象で神妙に受け取られることが多いですね。
自分ではそんなに重く思ってないんだけど、
そのギャップが生じた時にどう持っていこうかな、という。
(島本)
仮に僕がそういう状況に置かれたら、いいかどうかは別にして、明るく説明します。
コミュニケーションを軽快にとっていくみたいな感じにはならない?
(青年)
う~ん、できなくはないんですけど、疲れるんですよね。
(島本)
正直なんでしょうね。嘘をつけないというか。
(青年)
そうだと思います。
性格的に、最初から飾らない自分を出しといた方が楽ですね。
面倒くさいというのもあるんですけど。
(島本)
笑。相手が神妙になっている場面で、「いやいやそ、こまでのこととちがうよ」
と取り繕うことに少し罪悪感のようなものがあり、そこで飾らない自分でいる。
そのことで、自分はそんなに深刻に思ってないから、「神妙にならなくていいよ」
と伝わればいいのに、自分の意図に反して、
相手が更に神妙に受け取ってしまう部分があるのかな、
と伺っていて思いました。
(青年)
なるほど。そうなのかなぁ。う~ん・・・。
だとしたら、そこは考えていかないといけないですね。
(島本)
すごい真面目やなぁ、という印象です。
(青年)
難しいですね。思っていることがスムーズに伝われば、というのが一番の気持ちです。
そうするための手段をもっと見つめないといけないかな。
今の島本さんの見方は面白いと思いました。
(島本)
自分のことをすごく考えていると思います。
でも、第三者の視点で、それって「こういう考え方もあるんちがう?」
と直接言ってくる人にこれまであまり出会ってこなかったのかなと思いました。
だから、僕のような日常生活にあまり関与していない人間が言うと、新鮮さはあるかもしれません。
遠慮せずに言っちゃうタイプですし(笑)。
(青年)
仮に第三者と話していても、今の考え方はなかなか出てこないと思います。
(島本)
あと少しで歯車がうまくかみ合うのに、あとちょっとのとこでズレてる惜しい感じがします。
でも、そこを飾らない自分のままいきたいということでピュアな部分も感じます。
20代前半の若者と喋るのが私自身久しぶりなので、ある程度差し引いてもらうとして(笑)。
(青年)
でも、自分にとってこれが一番楽なんですよ。
(島本)
自己評価で楽って言ってるけど、本当に楽な結果かな、という疑問は残ります。
もうちょっと飾ってもいいんちがうかと。
飾ることで楽になる可能性は高いように思います。
(青年)
なるほど。取り繕うのが苦手というか、1回高校を辞めて、特別支援学校に再入学した時に、
最初の2年間年齢を言わなかったんですよ。卒業の1年前に言ったんですけど、
何となくカミングアウトできない状況にイライラというかモヤモヤしていました。
そこでやっぱり飾らない方がいいという癖がついて。
だから、自分の状況については事実を伝えたいというか。
(島本)
普通校に通ったのと、休学期間が通算2年あり、特別支援学校で2つ下の子たちと同学年になった際に、
年齢を言えなかった事が大きいのか・・・。その反動で自分の素性なり、
状況をちゃんと伝えたいという部分と
相手の受け取り方が思い描くモノになってないことでモヤモヤしているようですね。
(青年)
自分でも、結構めんどくさい性格なんだろうなと思います。
(島本)
笑。自分でもそう思うってことは、人からしたら相当めんどくさいよ(笑)?
だから、もうちょっと楽にやれば? というのが多数派かもしれない。
僕もめんどくさい方なんで。めんどくさいという事実を伝えます。そこの自覚はある(笑)。
それを分かりやすく説明する術は持っているから、ここはこういう風になりますっていう取扱い説明書
を渡してから付き合うというか。後から言われたら、いや、説明したやんって言えるようにしておく(笑)。
自分の性格と障害特性が相まって、「中途半端な障害」や「生きづらさ」という表現に繋がってるんでしょうね。
(青年)
自分に要因があるっていうのはそうだと思っていて、
黙っていることに罪悪感があるみたいなところが強いと思います。
(島本)
世の中には逆に「それは黙ってろよ」って空気もあるじゃない?
(青年)
ありますね。でも、障害って黙っているべきものなんですかね?
(島本)
大人の意見としては、状況によるよね。参加して頂いた
昨年の僕と内部障害の方との公開対談で話に出たように、
基本的に仕事のシーンでは言った方がいいと思う。
黙っていることで相手に不利益を与える場合は、言ってしかるべきだろうけど、
純粋にプライベートな場面で言うことが相手の重荷になるような状況では、
相手にあえて言うかどうかはその人の判断になるね。
(青年)
言わない方が楽な場はあるし、それは僕も使い分けていますね。
だから、黙っているとまずいなという瞬間にそういうのを感じるんでしょうね。
さて、ここからは、当事者でない人が障害特性をイメージしやすい内容です。
私の見た目で分かる障害(車椅子や杖で身体が不自由なことが明白)と
青年の見た目で分からない障害(見た感じどこも悪いようには見えない)の違いが
「障害者手帳の見方」に現れました。
(島本)
ネットメディアへの寄稿を2つ拝読しました。
他にも執筆されたものがあるんですか?
(青年)
今頂いているお話があって、それは匿名で出す予定です。
一応、出る予定のモノがあるとしておきます。
(島本)
これまでの発信媒体である『プラスハンディキャップ』は、「生きづらさ」をコンセプトにしています。
ご自身としてはそこにフォーカスしたいんですか?
(青年)
皆生きているから、どんな人にでもあてはまるワードとして、「生きづらさ」
が一番しっくりくると思っています。障害等とカテゴライズすると
「障害があっても全然平気だぜ」って人もいるでしょうし。
典型っていう型にはまったものでなく、単に種類があって後は量だと思います。
「生きづらさ」は。そういう部分で何か共有できるものがあるんじゃないかなと。
(島本)
「生きづらさ」というキーワードに共感されて、メディアを選んで寄稿されたという経緯でしょうが、
今度出すのもそういうテーマですか?
(青年)
そっちは視覚障害の当事者向けのメディアです。
大学に弱視の先輩がいて、その先輩の知り合いの方が僕の書いた記事を読まれてお話を頂きました。
最初どうしようか迷いがあったんですが、最終的にお受けしました。
(島本)
迷いがあったのは視覚障害とカテゴライズされていたから?
さっきの「生きづらさ」に共感したという話からすると、
表現に普遍性を持たせたいという意思を感じたんですけど。
(青年)
普遍性というか多様性というか、そういう方向性は出したいと思ってます。
ですが、その時の話で、「なんで当事者向けなんですか?」
という記事を書いてもいい、という一つの条件が出ました。
島本)
へぇ。それおもしろいね。
(青年)
それで、炎上しても責任取りますって言われたんで、
「分かりました」と。
(島本)
爆笑
(青年)
あと一つ、当事者向けのメディアに発信したらどうなるのかなと思って、
その感覚の共有はこれからです。
良くも悪くもレスポンスがあるなら、どんなもんなんだろうと思って。
(島本)
とりあえずボールを投げてみようと?
「生きづらさ」ということから「多様性」を考えたいというのが表現の根源にあるとのことですが、
寄稿で障害者手帳を取り上げているのは、こだわりがあって、
特に手帳について論じたいという話ではないですよね?
(青年)
そうですね。たまたま自分がそういう境遇にあったから書いただけです。
(島本)
まぁ、ネタとして使えるものがあったという感じでしょうね。
私のことで言うと、私自身、手帳のことを書いても読者にとっては
そんなに面白い内容にできないという考えからメルマガで手帳のことは過去に取り上げていません。
手帳について論じようという動機は僕もそんなにないけど、
いい機会なんでこの記事について話を伺います。
手帳の位置付けが面白いなと、読んでいて思いました。
障害者手帳を持つことの意味
「障害者であることを簡潔に証明できるツール」*事実身分証として使えます
という感じで書いていますね。僕にとっては新鮮でした。
僕は手帳を「福祉制度の恩恵を受けるためのパスポート」
としか考えたことがありませんでした。
ですので、「証明書」と捉える視点は面白いなと。
こういう視点が出てきたのは、ここまで伺ってきた中途半端な障害ゆえの生きづらさがあり、
具体的な出来事として、支援学校の時に取得した手帳の再交付がされない
ということがその後あったからなんですね?
(青年)
そうです。
(島本)
自我の発達と相まって、「自分の障害についてその時に葛藤があったんですか?
(青年)
う~ん。葛藤というか再交付されないことで考えるきっかけになりました。
(島本)
手帳を持っていて困ることは基本的にないと思います。
手帳の再交付申請が棄却されて、
手帳を所持してない期間があった訳ですね?
その間に、ここで言う「証明書」がなくなって困ったことってありましたか?
話を伺っていて自分で思考して、文章を構築して行くタイプと感じるので、
実際に困ったことはなかったかもしれませんが。
(青年)
僕自身は直接的なデメリットに直面したことはないです。
でも、何かあったらということを考えると、ない期間は不安でした。
返却前に、一応「以前は持っていました」と言えるようにコピーをとって、
それを持ち歩いていました。持っている時と、持ってなかった時期の落差は、
気持ちの面が大きいですね。
(島本)
分かりやすい問いとして、
「手帳がなければ障害者でないのか?」
というテーマで書かれています。
法的な問題は別にして、端的に言うと「そんなことはないだろう」という話ですよね。
ただ、障害者と世間が認識するための分かりやすい基準ではありますね?
視覚障害者もそうでしょうけど、聴覚障害者の場合も、これは悩ましい問題としてあるみたいですね。
例えば、難聴の程度により交付されない場合もあるようです。
(青年)
そうですね。聴覚の方の話も聞きますね。
(島本)
で、その難聴の方が例えば補聴器を着けていて、
その人のことを世間は障害者と見ないかと言うと、
そんなことはなくて、少なくとも「耳の不自由な人」と認識するはずです。
補聴器という見えるツールで自分たちの側から障害を発信していると見ることもできる。
手帳が一つの分かりやすい基準だと認めるにしても、
それがなければ障害者ではないという論理にはならない。
あえてここを問題にされたのはどういう意図からでしょうか?
(青年)
再考してみるというのがあったと思います。
私は対話の中に、山と言いえる部分を作り出せるように心がけています。
今回の場合、ここからがそれに当たります。
(島本)
話に出た寄稿については、手帳の申請棄却という出来事がたまたま自分に起こったから、
思考のテーブルに乗せてみたくらいの感じですか?
(青年)
そうですね。
(島本)
僕は何でもシンプルに考えるタイプです。
「手帳があるから障害者」とか、「手帳がなければ障害者でない」
とか、ここを深掘りしても実益はないと考えています。
ここを掘る人がいてもいいと思いますが、掘って行って考えたように、
根源的に「生きづらさ」という部分でどうかという文脈では、
「障害者手帳があることで障害の証明が容易になり、負担が軽減されるという効用がある」と。
障害の「見える化」
で、手帳なくても障害者と社会から認識される例として、
視覚障害者であることは、白杖を持っていれば、誰が見てもそれは明らかですよね。
(青年)
そうですよね。別に証明するツールは、手帳でなくてもいいと思っています。
障害者手帳って、福祉の制度とセットになって効力を発揮すると思います。
実際、証明するだけなら、代わりになるモノがあればいいなと思います。
白杖とか車椅子はまさにそれだと思いますが、僕の場合は他の人から見ても分かりません。
その当時、話題になっていたもので、「見えない障害バッジ」というのがありました。
これは難病当事者の大野さんという方が発起人になって、有志で作られたものです。
僕も今持っているバッグに着けています。透明なリボンの形で
もともと内部障害や発達障害の人向けに作られたものですが、
僕も“見えない障害”に該当するので。
(島本)
自分からアピールするツールとして活用しているんですね。
妊婦さんのマタニティマークと同じような感じですね。
認知度が上がって車椅子や白杖並の効力を持てばいいですね。
(青年)
だから、小さなところからと思って。
デザインもすごく気に入っているので。
(島本)
それ大事ですね。ダサいと着けないもん。
僕はスパッと自分から出していくタイプです。
車椅子で十分と言えば十分だけど、
状況によっては介助が必要という問題もあるので、
行く先々が車椅子で動ける環境があるかを事前に調査したりは当然する。
でも、自力ではどうにもならない状況では、自分から積極的に人に声をかけるようにしています。
だから、特性によってはできない場合もありますが、「生きづらさ」を感じている当事者が
外部に積極的に発信していくというのが解決策というか改善策だと思っています。
当事者のカミングアウトは必要!?
その辺をカミングアウトできなかった過去があって、
今はどちらかというと逆にされている訳ですね。
マークを身に付けるというのは一つの方法です。
ただ、マークの意味を相手が知らなければ通じません。
そこを直接言語的なコミュニケーションで「自分はこのように困るんですけど・・・」
という感じでやっていくのは難しいですか?
(青年)
困る場面についての強いイメージが自分でも無くて、「自分はどの場面で困るのか」
というのがまだパターン化されてないのかもしれないです。
(島本)
にもかかわらず、「障害者」であるから生きづらい?
(青年)
そうですね。
(島本)
やはり複雑で誤解を恐れずに言うと、僕にとっては新鮮です。
パターン化されてないというところで、言葉で伝えることに難しさがあるというのは分かりました。
私が今申し上げたのは、困った場面に遭遇すれば、当事者サイドが主体的に言っていくべきだろう。
それがシンプルで周りも助かると思っているんです。
周りの配慮は勿論大切で、我々の縁を繋いでくれた岸田さんは、それを教える講師としてご活躍です。
私はその前に、困っている側が伝える方が合理的だろうという考えで。
(青年)
そうですね。
合理的というか、お互いにスムーズだとは思うし、必要に駆られれば僕もそうするとは思います。
ただ、支援する側、される側で終わって、瞬間的かなと思ってしまいます。
その場限りの関係の人に対しては僕もそうしています。
支援する、されるに加えて、信頼関係があてもいいと思っています。
多分そこなんですよね、僕が躊躇してしまうのは。
(島本)
今おっしゃった文脈で言うと、「スムーズ」という言葉を捉えると、
その場での瞬発力みたいなものがフォーカスされます。
ただ、僕は1回の成功体験が大切だと思っていて、
分かりやすい例として配慮する側が電車で席を譲ろうとして拒否されたとします。
その失敗体験を1回してしまうと、次に配慮する気持ちがなくなる可能性がある。
だから、手助けできた体験をすることで、同じような場面に遭遇した際、
「また手助けよう」と思ってもらえるように僕は種をまいているつもりです。
例えば、その場でも単に「こうして下さい」とだけお願いするのでなく、
「こういう障害があって、具体的にこういうことに困っているので、このように手伝ってください」
と割と体系化して話すようにしています。
(青年)
ただ、電車の席を譲るという例は偶発的なものですよね。
自分から願い出るというより、周りの人が気付いて
「譲りましょうか?」と言って断られるという話ですよね。
(島本)
いや、断られる側からすると、1回勇気を出して声をかけてみて、
それが成就しないと、その“善行”の2回目はない可能性が高くなる。
そのため、逆に譲って欲しい側、社会的に見て譲られてしかるべき側が
最初から相手に気を遣わせないように積極的に「譲って頂けますか?」
と言ってしまうぐらいやった方が分かりやすくていいんじゃないか、
という考え方です。
(青年)
僕もそれでいいなとは思いますが、
う~ん、僕自身はどこで渋ってるのかな・・・。う~ん。
(島本)
まぁ、渋らないように、この対話で仕向けている訳ではないのでそれでいいのですが。
このスタンスの違いが何に起因するのかに興味があります。
(青年)
そうですね。どういう人と対峙するかかなと思います。う~ん、
なんだろう。う~ん。何かしてもらう側がどうあるかにもよると思います。
ただ手伝って欲しいのか・・・。手伝うというか、人に対する認識というか。
(島本)
その人の個性と言ってしまえば、それで片付けられるところではあります。
私のように厚かましい奴とかね(笑)。
(青年)
してもらう側が何を求めているか、だとも思います。
(島本)
その辺を明快に自分で認識できていて、
それを表現できるタイプならスッと出るだろうし
おっしゃるようにそこを捉えにくい場合だと、
そういうアクションには直結しにくいよね。
(青年)
そうですね。なんだろう。そういうとこも含めて
「中途半端」なのかなと思いますね(笑)。
(島本)
まだアイデンティティが確立されていない段階にいらっしゃるように感じます。
「生きづらさ」を感じることや人からすると分かりにくいという部分での「中途半端な障害」
への対応も先を急ぐ必要はないと思います。
以前、やり取りする中で、「半熟卵のよう」と私が例えたことがありますよね。
今後、多くの人と出会い、いろいろな経験をされる中で、自分のスタンスも固まってくるし
自分の障害についても分かりやすくスムーズに切り出すことができるようになると思います。
この部分については様々な考え方がありますが、私はカミングアウトできないよりは
できるに越したことはないし、できるのなら、していく方が良いという立場です。
(青年)
なんだろう。多分いい方法は見つかるだろうなとは思います。
でも、その時点でも納得はせずに、ずっと半熟でいそうな気がします(笑)。
それはそれでいいかなと思っている自分もいて。
(島本)
笑。やっぱり面倒くさいね(笑)。
今後のビジョン
さて、街づくりに興味があるそうですが、
これまでしてきた手帳の話とリンクさせると、
福祉政策における制度の一つとして手帳はあります。
手帳についてあのような考察をされるということは、
自分の中に、社会についての理想があるのかなと思いました。
この点について、街づくりでもいいですし、
社会をこうしたいという思いはありますか?
(青年)
制度に依存しなくても生きづらい人をケアできる社会になればいいなと思っています。
(島本)
もう少し具体的なイメージを教えて頂けますか?
(青年)
人が持っている色んな生きづらさに
それぞれが少しずつ目を向けられるようになればいいなと思っています。
僕の場合、まだそれを形にできる段階ではありませんが、地域の中で居場所というか
オープンスペースとかサードプレースになるような場所を作る。
そこで何か社会に対して不安がある、「不登校」とか普通に暮らしていく中で違和感があるとか
そういう思いのある人が気軽に集まれる場があればいいと思っています。
で、「吐き出す」というか自分の中のもやもやを聞いてもらうことにかなりの効果があると思います。
それには人の意識を向けないといけないので、できるだけ人を呼び込む工夫が必要だと思っています。
そこで何か街づくりの技術のようなものを生かしたいと思っています。
(島本)
そのために現在、街づくりの理論やノウハウを大学で学ばれているのですか?
(青年)
そうですね。本格的にはこれからですが、
できるだけフィールドに入って見ていきたいと思っています。
(島本)
生きづらさを感じている人に対して、周りの人の意識が向くようなコミュニティ
を作りたいということですね。
なぜそのようなことをしたいと思ったのでしょうか?
(青年)
これは自分のためでもあります。
僕がそういう空間に入れたら、という気持ちもあって構想してるんですけど。
自分の中の弱さを共有できることが大きいと思っていて、それは僕もそうだし、
他の人のも聞けるという信頼関係ですね。それができると思っています。
他者からの承認を特効薬にするのが狙いです。
(島本)
伺ってきた話をまとめて考えると、過去から現在も継続してある生きづらさを抱えている自分を救済するために
そういう場を作りたいということになりますか?
(青年)
そうですね・・・。
もちろん自分本位はダメですけど。
(島本)
いや、個人的にはここで「はい、自分のためです」
と軽く即答できて、「それが他の人の役にも立てばいいな」
という順番の方が信頼できる。あまりに「世のため人のため」
が先行するのは、嘘っぽいと思うので。
私も「恩返ししたい」という個人的な思いがこの活動の原動力です。
(青年)
まぁ、自分を真ん中にはしないということで。
徐々にそういう場が増えているのは、必要性が認識されてきているんだろう
というのがあります。社会全体からはまだまだ認知されていないけど、
これがメジャーになればいいと思っています。
(島本)
こういう場が増えているんですか?
(青年)
SNSが発達して、前々からあったものが知られるようになった、
というところもあります。
(島本)
現段階でこういう場に何か関わっているのですか?
(青年)
関わっているというか、完全なスペースでなくても、
イベントという形でもできるかなと思っていて、
それを企画していけたらいいなと思っています。
あと、ハード面での居場所としては、いくつか関与しています。
(島本)
そういう取り組みとリンクさせて、メディアでの発信もしていきたい?
(青年)
そうですね。
(島本)
今いくつかやっていること、やりたいことを伺いましたが、
今後是非これをやりたいというのをお願いします。
(青年)
イベントを企画したいと言いましたが、少人数で自分の中に何か言いづらいことがある参加者を募り、
皆でそれを聞くというのを前提に、安心して話せる場づくりです。
(島本)
フェイスブックで少し拝見しましたが、コーチングを生かしたワークショップでしたっけ?
(青年)
そうですね。あれでコーチングの勉強をさせてもらって、
そこから動こうと思い始めたところです。
(島本)
先ほどおっしゃっていた承認をベースに生きづらさを癒して、
これから更にマズローの欲求階層説で言うところの、
より高次の自己実現に向かっていきたいという感じですか?
(青年)
そうですね。島本さんのおっしゃるようながっちりしたものになるかは分かりませんが。
(島本)
まずは場を作ることが当面の自分のやりたいことなんですね?
(青年)
そうです!
逆質問コーナー
このコーナーができこのインタビューがきっかけ。
これまで約50名の方にインタビューしてきました。
その中で初めてゲストから、「僕の方からも質問したいんですけど」
と言われたのです。
その場で「これ面白いな」と思い、それ以降しばらくの間インタビューでは、
質問を考えてもらうようになりました。
今それが発展して一方的に私が聞くだけのインタビューでなく対談となっています。
(問)
病気で障害者になる前後で、対人関係に変化はありましたか?
(自分が先天性の障害なので、中途障害の人の認識に興味があるとのこと。)(答)
私の場合、家族や友人に恵まれていたので、全く変化がなかった。
その対人関係のお蔭で、障害のことをネガティブに捉えることもなかったです。