情報量で人生が決まる
22歳の時、私は脳出血に倒れ、左片麻痺の後遺症が出た。障害者となり、今年でちょうど20年!
発病後すぐには、現実をうまく受け止められなかった。
入院中のリハビリで身体機能を少し取り戻せた経験からその後10年超リハビリ中心の人生を過ごした。
現在、この選択は誤りだったと私は評価している。リハビリにより残存した身体機能が役立つ場面はある。
また、実家で過ごしたリハビリ期間での経験、そしてこの時間があったから強固になった家族との絆は財産である。
ただ、端的に言うと、車いすや社会資源等の力を借りれば、社会的自立はできる。
事実、障害者として二十歳の私は車いすで通勤し、ヘルパーさんのサポートを受け、
訪問リハビリの仕組みを活用して間もなく実家を出る。
私がリハビリに執着したのは、社会復帰と可能な限り元通りの体を取り戻すことを同一視したからだ。
障害者がどのように暮らしているかをすぐに知ろうと思えず、
医療から障害福祉へのスムーズな連携にも恵まれず、
無知により、視野が狭くなった。
人生を変えた縁 バリアフリーチャレンジの始まり
それでも、ひたむきにリハビリに打ち込み、
狭い範囲ではあるが外の世界でも暮らす時間を重ねるうち、転機が訪れた。
当時のリハビリ担当医から看護学校で発病後の経験を話して欲しいと依頼されたのだ。
発病後救急病院に入院中、ナースコールを押しても手が足りなかったのか対応してもらえず、
汚物とともに放置されたことや「とても難しいオペになる」と説明を受け、
結果21時間にも及んだ手術を待つ中で看護師の方たちのサポートのおかげで
取り乱さずに手術を迎えられたことなど赤裸々に自分のストーリーを講義で語った。
寄せられた感想には、「実習前にこの機会があって本当に良かった」「自身の看護の指針にしたい」
等前向きな言葉が綴られていた。自分の経験が他の方の役に立つとの確信を得た瞬間である。
それが障害者としての気づきを発信するバリアフリーチャレンジ!という活動に結実した。
この活動は開始から6年が経過した現在も継続中でこの文章の執筆にもつながっている。
活動においては、私が生きていく中で障害があって周りの人との関係において感じたバリアを解消することを通して
暮らしやすい社会を実現することをミッションとした。障害があって具体的に何に困るか等
障害者と接する際、知っておくと役立つことのみならず、「お気の毒に」「(こちらは普通にしているのに)頑張ってるね」
というようなお声がけを受けるというステレオタイプな障害者像への疑問を積極的に伝えることも重視した。
障害があるがゆえにできないことが存在するという厳然たる事実は認めるにしても、
障害当事者が「障害者だから配慮を受けるのは当然」という態度でいるのはかえってバリアになるという考えからである。
障害の有無を問わず、程度の差はあれ、どんな人にも生きていくうえでの困難はあるだろう。
障害があってもできることをして誰かの役に立つことはできる。経験を通して強く感じていることである。
これは困難の程度が重い方々を社会全体で手厚くサポートしていくことを否定する考えではない。
情報発信を続ける理由
活動する中で「知らない」ことがバリアに繋がると感じ、
多様な人の生の声を知らせようと障害当事者のみならず、
支援者、問題意識を持って活動をされている方々へのインタビュー記事をメインメニューに育てた。
昨年からは、取材で出会った人でこの人と一緒に活動したいという方に声をかけるとともに公募も行い、
ライターチームで動いている。
各ライターが独自の視点で情報発信をする。
視野が狭くならないように私自身多様な人と活動したいし、ライターの発信する
ライター自身にとっては当たり前のことが他の人にとっては新たな発見になるという価値を届けたいという想いがある。
私が発病後「知らない」ことにより社会復帰に時間を要したように、
情報がないと選択肢は少なくなる。共に知り、考え、行動するコミュニティを育てることで、暮らしやすい社会にしていきたい。
最後に、障害者になるという難局を20代で私は経験したが、
今は自分で努力してもできないことは「できない」と認め、
道具や人などの外の資源を「活用」すればいいと思っている。
コロナや自然災害のように人生の難局は、誰に、いつやってくるか分からない。
不確実な生において、「人の存在価値は経済性にある」という自立観は危うい。
「困ったときはお互い様」でいい。
この20年障害者として生きてきて、すべてのことを自分でできることでなく、
できないことは理解してもらうように努め、必要ならば「お手伝いいただけますか」と伝え、
共生できることこそが真の自立ではないか、と考える次第である。
障害者となり、多くの人から受け続けているサポートに感謝している。
暮らしやすい社会を実現するために命を使い、恩返しをしていきたい。