バリアフリーチャレンジに関わっていただいている高木さん
過去にも1時間ほどじっくりお話を伺ったことがあります。
その時、消化不良になったところがあり、
その点を深堀りするのが今回の対話の主目的です。
その前にそもそも「ゆるん」(高木さんが理事を務めるNPO)について
どんなことを目指して活動されているのかを再確認しました。
高木:女性がその名の通り、「ゆるやかにゆったりあなたとるんるん」
楽しく生涯を過ごせるようにしていくことを目的にした団体です。
そのためにいろんなイベントをして、
基本的に「みんなで楽しもう!」
という感じの団体ですね。
その「楽しむ」きっかけになるイベントを主にしております。
今日もだったんですけどいろんな人が集まってワシャワシャしゃべって
というような感じの事ををよくしています。
その中で体がしんどいとか気持ちがしんどいとかいう人がいてたら、
ちょっと相談に乗ったりお話を聞いたり、
必要があれば行政などにつなぐこともあります。元気な人からちょっとしんどいなっていう人まで一緒になって
みんなで楽しんでおります。
私や他のバリアフリーチャレンジのメンバーが2021年に年にあったゆるんの主催イベントで
クラウドファンディングに協力したのですが、
血を吐くような勢いで必死になって頑張ったそうで60万円以上の資金調達をを達成されました。
とても結束力のあるチームだなと拝見していました。
二度としたくないとおっしゃるほどのチャレンジだったようですが、
この企画実行過程で「また2年後やる」とアナウンスされてましたよね?
と水を向けると、「その時考える」とのこと(笑)。
私自身「障害」についての情報発信に注力していますが、
このように対象を限定することは適切なのかと考えることがあり、
冒頭のゆるんの説明を受けて次の問いを立てました。
島本:「女性」というところをおっしゃったんですけど、
以前のインタビューでも女性を強調されている発言が多かったと思います。
ジェンダーやセクシャリティに問題意識があるのでしょうか?
高木:女性をテーマにしてるんですけど、女性限定にしてるわけではなくて、
運営に関わってくれてる人の男女比率はほとんど変わらんぐらいで、
ボランティアさんも含めて応援くださってくださってる方も、男女同数くらい。
それこそ島本さんもそうですけど、女性だけってところにはあんまりこだわってはないけど、
単にメインに動いている人が女性なのでそういう言い方になっています。
多様性 1周回って「みんな同じ⁉」
島本:以前のインタビューの中で印象に残っていることについて。
バリアフリーチャレンジでは多様な方に参画していただいています。
ただ、私の障害から始まった情報発信活動なので、参画されてる方には特に障害に関わる方が多いです。
その中で高木さん自身には障害があるわけではありません。
で、多様性が認められる社会になってきているけれども、
逆にラベリングをどんどんしてきて、カテゴリーが細分化していくところに
生きづらさが発生しているのではないかという文脈で、「みんな同じやん?」
ということをおっしゃっていたと思います。
「生物学的に人間だから同じだよね」という発言もされていて、
それはそうだけどっていうところを前回は詰め切れなかったので、
この発言の真意を説明してもらえますか?
高木:真意?真意ね~
ラベリング、カテゴライズして、そこに収まることで基本的に落ち着く人とか
自分はこうだったんだって思う人はそれはそれでいいと思うんです。
全然いいんですけど、カテゴライズをいくらしたとて、
そこからはみ出る人って絶対いてると思うんですよね。不登校の子どもたちがいます。
フリースクールを作りました。
いろんなフリースクールが出てきてフリースクールに入ったとて、
そのフリースクールに馴染めない子もいてますよね。
自宅学習がいいって子も出てくると思うんです。
自宅学習がいいよねってカテゴライズしたとて、
自宅学習も嫌だよねっていう人も出てくると思うんです。
それはもう性的マイノリティの人も同じで外見が女性で中身が男性、
私たちの区切りですけど、なんか複雑化した人たちって実際ほんとに心理的に
一つには区切れない。
私そこのカテゴライズでもないわって人も絶対いてると思うんです。
みんな、ただただカテゴライズして追いかけっこしてるというか、
はみ出た人をまたカテゴライズして、
はみ出た人またカテゴライズして。
島本:どこまでいっても枠からこぼれ落ちる人はでるから、
それだったら最初から面倒な事をやめて同じでよくないかってこと?
高木:そういうこと。単純にそんな感じです。あまり深い意味はないです。
だってみんな人間なんだからっていう。最終そこに落ち着く。
島本:先ほどおっしゃったように、カテゴリー内にいることで安心する
っていう要素はあると思うし、実際違いってあるじゃないですか。
例えば、私の場合身体障害があります。障害というカテゴリーで言うと、
法的に知的障害や精神障害の方もいます。
それぞれに特性があって、こういう傾向があります
という情報がないよりはあった方が知らない人にとっては
近寄りやすい面もあると思います。
高木:そうですね。
島本:カテゴリー自体が悪ではないと思うんですけど。
高木:そうです、そうです。それはひとつの情報として。
例えば、車いすに乗ってる人、車いすに乗っているけど、歩ける人もいるし、
完全に歩行ができない人もいてますよね。
その時に「歩行ができますか?できませんか?」ってことを素直に聞けることが大事やと思うんです。
そこはカテゴライズじゃないですよね。コミュニケーションなんですよね。
白杖ついてる人でもね、うっすら色は見えてる人、全く見えない人もいます。
うっすら見えてる人、光は見えてる人も、ね。その人にとって別に街中歩くのは全然問題ないわけやし。
だから情報っていうのは、ひとりひとりが持ってるのであって。
島本:当人ときちんとコミュニケーションをとることでどうなのかっていうのを探りあっていくみたいな?
高木:そうそうそう。
たまたま電車に乗ったときにね、
お一人の車いすの方はスロープはいらないって言われたけど、
もう一人の方はスロープが欲しいって言われたんです。
島本:ある!ある!
高木:同じ車両に乗っているんです。
でも、やっぱり一人一人の車いすの使い方は違うわけやから。
それを車いすに乗ってるからみんなスロープが要りますっていうのは勝手なカテゴライズですよね。
島本:うん。
高木:スロープ使われますか?
結構です。
分かりました。
というコミュニケーションの結果、
情報としてその人にベストな方法がわかるっていう感覚です。
もしいろんな人が集まって私がどうしたいかっていうところでの話ね。
島本:そのあとに、いろんな経験を積んで世の中、離婚をしてる人もいるし、
虐待を受けている人もいるし、そういう人と全部並列で障害がある人も見てるみたいな話もありました。
高木:それは並列じゃないかも…、
気遣いはしますよ。ちゃんと。
気遣いがその人にとって押しつけにならないようにも考えるし、
でも会話とかみんな同じでふつうにしゃべって大笑いしてるだけやし、
要は同じなんじゃないかな~。おうちの中のハプニングとかね、
そんな話で盛り上がるのってどんな障害があってもみんな共通してるのかな~。
他者の存在によって自分の軸が定まる
島本:以前のインタビューでもっと聞きたかった店の二つ目です。
いろんな人と接することが大切だとおっしゃっていて、
それによって視野が広がる、視野が広がることによって自分を取り戻せる
というようなことをおっしゃっていたんですけど、
これについてもうちょっと具体的に教えてもらえますか?
高木:例えば子育てについてなんですけど、自分ひとりで子育てをして、
例えば育児本を見ながら頑張っても答えって一つじゃないと思うんですね。
育児本に「何か月になったら、ハイハイします」とか
「何か月になったら、立ちます」とかあっても子供それぞれだと思うんです。
でもおうちにしかいないと、それこそ頼るところって育児本しかないんですよね。
島本:目の前の我が子と、育児本の情報を照らし合わせるしかないですね。
高木:そうなると不安になりますよね。
早すぎても不安になるし、遅すぎても不安になるし、
へたこいたら、ぴったりで進んでていても、なんかこれでほんとにいいのかな?
この本ってほんとに合ってるのかな?って思ってくると思うんです。
でも、それが例えば周りに同世代の子供を育てているお母さんがいてたりすると、
この子はまだ歩いてない、同じ月齢のこの子も歩いてない、
同じ月例なのにこの子はもう歩いてるとか、いろんな子を見られるじゃないですか、
不安は残るかもしれへんけど、「アッ!これでもいいんや!別にまだ歩けてなくても大丈夫なんだ!」
とか、「この子はむちゃくちゃ早く歩いてしまってハイハイもしないで早く歩いてしまったけど、
こんな元気な子がいてんだったら全然いけるよね。」とか。一つの情報にとらわれると一つの情報に頼るしかないんですけど、
いろんな情報があることとか、人といろいろしゃべることによって
いろんな情報を得ることで安心感につながるし、
なんていうのか、否定しないようになるのではないかと。
島本:比べなくてもいいんじゃないかっていう見解もあると思うんですけど、
比較対象があることによって安心できるっていう面は確かにあると思います。
今例に出された子育てだと自分がやってる子育て、
かわいいわが子の立ち位置がはっきりすることによって安心感を得られるということですね。
高木:そうなんです。例えばね、星一徹の家族しか知らない。
「まあ古っ!」って言われそう(笑)ちゃぶ台返しがあるような家族しか知らん!
そういうご家庭も今だにあるんですよ。よその家庭もちゃぶ台返しするんだと
家の中って見えないからわかんないですよね。
きっとそういう家庭でしか育ったことがない子はへたしたらみんなそうだ思ってるんですよね。
でも、よそのおうちでご飯食べてむちゃくちゃ優しいお父さんがいてて、
自分とこのお父さんと全然違うやん!ってひとつの気づきだと思うんです。
なんかそういう、いろんなほんとに、人と出会っていろんなことに気づかされるんじゃないか
っていうところですね。
島本:そういうところで「ゆるん」にはいろんな方が集まってワイワイやってるから、
視野が広がるって感じですか?
高木:何も間違いじゃない。みんなやってること正解なんです。
そりゃあね、残念なこともありますよ。暴力とかね犯罪につながるようなことはだめですけど。
いろんな夫婦関係があったり、いろんな社会人経験があったりでみ~んな一つの経験やから
辛い経験だって聞いたら私もおんなじ経験してるってちょっと共感してる人も。
そういう思いを共感できることも知ることもあるし。
島本:直に人と関係をもって、
話ができるっていうのは今ネットでしゃべってて何ですけど、
ネットで得られる情報よりやっぱり手触りがありますよね。
高木:そうですね~。
ゆるんの「さやぽん」から「ゆるんさんに出会ってから視野が広がりました。また話すだけでも助かりますと言われたので
スタッフとしてサロンでご一緒させていただいて自分でも人の役に立てるんだと思いました。」とコメント頂いております。
島本:「ゆるん」のチームワークがすごいですね。(笑)
高木:すごいですよ!ありがとうございます。
島本:このPR力!(笑)
高木:今もこのタイミングでコメントぶっこみました(笑)
すみません、話が飛びまして。
島本:視野が広がって自分の軸ができるっていうのは周りを見て、
いい意味での比較をして立ち位置がわかり、
しっかりと地を踏みしめられるという感じですか?
高木:正解!
島本:(笑)、なんか無理やり締められたけど。
視野を広げて自分の軸を作る。そのプロセスを経ることによってみんなおんなじっていう考えもあって、
自分がフラットな視線を獲得できればより世の中優しくなれるね、
といつも白黒はっきりとはさせないふわっとしたところに着地…
島本:締めますが、高木さんはすごいバイタリティがあるなって感じてます。
高木:私「ゆるん」と別にもうひとつロックスっていう団体の事もやってまして。
島本:時々拝見してます。
高木:それはもっともっともっとハードな方です。
女性の相談を受けるもっともっとハードな方です。
バリアフリーチャレンジやってるったってまだ発信してないし。
島本:ぜひ、ゆっくりとゆるやかにで(笑)
高木:す~っごいゆる~い内容になっても良いんでしょうか?
島本:それが、高木さんの人生であり、リアルであれば。
高木:いいんですか?
島本:OKです。
高木:やった!
島本:その人が見えるものが、おもしろいって思うんです。
個人的には一般化はできないかもしれないけど、
こういう人がいますよっていうのをどんどん紹介したい。
この企画もそのコンセプトで行っています。