はじめに

バリアフリーチャレンジに文章を寄せるよう
島本編集長から依頼を受けて、
少しまとまった文章を書いてみようと思い立ちました。
私事ですが、今月12日に退職して
まだ10日も経っておらず、
自分自身がこれからどう生きていくか、大
切な時期を迎えていると感じています。


大きなテーマは決まっています。
それは「政治のバリアフリー」
市民が本来持っている政治に対する主導権を、
いかに取り戻すか。
これからの人生をこのテーマの実現に向けて
捧げたいと考えています。

政治に対するバリアは存在するか?

そもそも私たち市民にとって、
政治に対するバリアは存在するのでしょうか?
もしかすると、バリアがあると感じているのは
私だけかもしれないと考えて、
まずこの問いを立ててみます。

すでにこのテーマを探究したアンケートなど、
先行事例があるのかもしれませんが、この問い自体が
個々の主観によるものなので、
「何%の市民が政治にバリアを感じている」
といった外面的な数値はそれほど重要ではなく、
一人一人がまず自分自身に
問いかけてみるべきものなのでしょう。
またその答えは、人生の局面に応じて
変化していくものかもしれません。


まずは私自身、政治に対して
バリアを感じていたことを告白することから始めましょう。
学生時代に政治学を学んだこともあり、
また冷戦終結後の90年代は、政治に対する希望が
今よりも多く語られていた時代だったと思います。
「地球温暖化防止」といった
グローバルな新しい課題もテーマとなり、
学生たちも熱を帯びて政治を語っていました。


しかし学生時代の終盤に、
今でいうインターンのような形で政治に関わった時、
一つの事件がありました。
ここで詳細を論じることはできないのですが、
未熟な学生であった私にとって、
「政治」に対する怖れを
意識せざるを得ないものでした。
「権力というものは、このように剥き出しで行使されるものなのだ」
と実感したことを覚えています。

権力が意図していたかどうかはともかくとして、
結果的にそれは、うぶな学生たちが抱いていた
政治に対する希望を打ち砕き、
恐れの中に閉じ込めておくために、
十分な出来事でした。


その後、市役所で勤務するようになってからは、
市議会をはじめ身近に政治家と接する機会
はありましたが、どこかで政治はアチラの世界の事
選挙で投票する以外には自分とは関わりない世界
といった感覚を持っていました。

神輿を担ぐ

 次に大きな変化があったのは、
前回2019年の統一地方選挙の時でした。
私は労働組合の役員として、
組合の先輩を応援する立場になっていました。

これまた私事ですが、ちょうどその前年に
宝塚市北部の農村地帯へ引っ越していた私は、
人生で初めて秋祭りのお神輿を
担がせていただきました。
(地元の方は「かく」という言葉を使われますが、
どんな漢字を充てたらよいのかよく分かりません。)

布団太鼓と呼ばれる村のお神輿は、
ところどころ傷んではいるものの、
長らく村の人たちに愛されて、曳航され、担がれ、
太鼓の音色を村に響かせてきたのです。


私にとってこの体験は、政治=まつりごと=祭り
という言葉の変換を想起させました。
共同体が一致を深めるために
共通の体験をすることは重要です。
そこで生まれる信頼関係が、
コミュニケーションのベースとなるからです。

かつての農村においては農業に関する協力関係を
維持するためにも必須のものだったでしょうし、
孤立化が進む現代社会においても、
伝統的な祭りが持ちうる力を実感しました。


選挙に挑戦する先輩を応援する立場になった時、
自然と口を衝いて出た言葉が、「祭りは見ているよりも
参加した方が楽しい。神輿は担いでみて初めて愛着がわく。」
というものでした。
先輩のことを神輿に例えるのは、
今思えば失礼ですが、これが私の政治に対するバリアをほどく、
魔法の言葉だったと思います。

肌で感じた経験からくる実感が、
自分自身の政治とのわだかまりを
解いてくれたように感じました。


こうして応援した選挙の結果は、
薄氷を踏む僅差でしたが、
勝利を収めることができました。

それ以降、いくつもの現場の課題を
議会の場で取り上げていただくなど、
政治に対する距離感はグンと縮まったように思います。

小さな考察

 あまりにも個人的な話をしましたので、
少し遠くへ視線を運びたいと思います。
昨年、集中的に学んだ台湾の事例から少し。

 台湾は、新型コロナ感染症を
上手くコントロールした事例として称賛されるようになり、
トランスジェンダーのIT担当大臣として有名になった
オードリー・タンさんを輩出するなど、
民主主義の優等生と見なされるようになりました。

 しかし、台湾(中華民国)は80年代まで
戒厳令が継続した一党独裁政権でした。
初めての台湾出身者である李登輝総統によって
総統の直接選挙が実現し、以降4年ごとの選挙を通じて
平和裏に政権交代が行われる民主主義が浸透していきます。

たった30年ほどで、
ここまで大きな成果が生まれるのか、

と台湾政治を学んだ私は衝撃を受けました。
もちろん、台湾と日本を直接的に比較して、
どちらが良いと論じることは難しいと思います。

しかし政治に対する市民の近さ、
つまり自分達の選択によって政治が変わるという実感、
あるいは自分達が関わらないと大変な事になる
(台湾らしさを失い中国化する)

という危機感が、台湾の民主主義を
支えているのは事実でしょう。

日本においても、このままではマズイ!
何とかしなければ、という感覚は、
多くの方が共有しているのではないでしょうか。
しかしそこから、自分達が関わることで
政治を変えよう、という発想が
浮かびにくいのは何故なのでしょうか?

 私は、日本人が政治に対して抱く「恐れ」
がその根本にあると考えています。
そしてそれは、歴史的に「仕組まれたもの」
ではなかったかと思うのです。
なぜなら、恐れは無関心を呼び、
それによって権力が維持され、
支配の継続を可能にしてくれるからです。

本日の結論

それではどうすればこの「恐れ」
は取り除かれるのでしょうか。
私の考えを簡単に記して、
この文章を終えたいと思います。

市民が政治に対して抱くバリア感を払しょくするため、
最も有効なことは「小さな成功体験」
を得ることだと思います。

自分の意見や小さなアクションが政治に届いた
と実感できる経験の積み重ねが、私たちが政治を理解し、
市民と政治のあるべき関係性を取り戻すために
必須のプロセスだと思うのです。

そしてそのプロセスを通して、
実際に起こる政治の変化を味わうことが、
ついには私たちを「恐れ」
から解き放ってくれると信じています。

 

2021年3月21日 日曜日の朝

 

                          政治の道を歩み始めた一市民

                            橋本 成年

投稿者プロフィール

橋本成年
橋本成年
宝塚市職員として22年間勤務して、政治の道を志し2021年3月12日に退職
元宝塚市職労執行委員長
元宝塚まち遊び委員会理事
キリスト教徒(カトリック)