児童虐待の種類

今でこそ社会的に広く知られるようになった児童虐待ですが、残念ながらまだ多くの子どもが家族の折檻によって命を落としています。

児童虐待には、

陽性虐待に分類される「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」

陰性虐待の「ネグレクト(無視・養育放棄)」があります。

子どものこころを蝕むネグレクト

陽性虐待のほうは見てわかるので、まだ手立てがうちやすいのですが、ネグレクトのほうはまわりから目を向けてもらいにくいことから、静かに長く進行し子どものこころを蝕みます。

非行少年の生育歴をとっていきますと、このネグレクトを体験していることが多くびっくりします。また、多重人格、いわゆる解離性同一性障害の患者は、多くのケースで幼少期に実父による性的虐待を受けているという事実もあります。

マイケル・ジャクソンの奇行の根

歌手の故マイケル・ジャクソンも、幼少期の父親からの虐待を告白しています。彼の奇行の根は、ムチでたたかれていた幼少期にある気がします。児童性愛もネバーランドも、もしかすると失われた子ども時代を必死でやり直そうとしている彼のこころの叫びだったような気がしてなりません。

加害者は自分を守るべき養育者

心的外傷としての児童虐待は、非常に複雑な病像をとります。

被害者はたったひとりで密室で被害を受け(個別的受傷)、幼少期を含んで長期にわたり、繰り返し繰り返し被害を受けます。

その上加害者は自分を守るべき養育者であるわけですから、この内的混乱は想像を絶するものがあります。

孤立感が非常に強く、解離性症状を訴え、基本的信頼感が育たず、絶望感にさいなまれるといった訴えは、これらの背景を考えた場合、みごとにつながっていきます。

発覚しにくい性的虐待

性的虐待の場合は、「誰もがしていること」「おまえがかわいいから」「おまえがいけないんだ」「おまえも共犯だ」「誰にも話してはいけない」といった矛盾に満ちたメッセージがいつしか統合され、

「誰もがしていること」だけど「誰にも話してはいけない」という相反するメッセージはひとつに統合されてしまい、なかなか問題が発覚しないというパターンをとります。

被虐待児を見分ける方法

どんな子どもが被虐待児なのでしょうか。見分ける方法はあるのでしょうか。

概して自分のつらさを他人に話さないのが被虐待児の特徴です。ですからおとなしい子どもが多いです。これは、積み重ねられた虐待の経験が、自分から言ってはいけない気分にさせているのではないかと思います。

子ども達は自分から言ってこないですが、小学校低学年の先生や、保育所・幼稚園の先生ならば、良く観察していると虐待の可能性はわかります。そのチャンスは着替えの時です。

「服の下に傷がある」「古い傷と、新しい傷が混在している」のを発見すれば、高い可能性で虐待を疑ってみてかまわないでしょう。自分から言えない、言ってこない彼らですから、こちらからの気付きが大きな鍵になります。

当事者に代わってその人の権利を主張すること(アドボカシー)

高学年や思春期に関してはどうでしょうか。

このようなデリケートな問題に関しては、学校というフィールドでの一対一の対応は彼らを傷つけます。むしろ、授業やH・Rなどで虐待のことを取り上げることが大きな力になります。

個人を限定しないで全体に話しかける授業と言う形態です。これならば彼らを傷つけません。

「あっ、わたしだけではないんだ」という気付きはどれほど勇気を与えてくれるでしょう。彼らのほうから求めてきてくれたら、その時は喜んで動きましょう。

親が機能不全に陥っている子どもに対して、まわりの大人や先生の役割は大きいです。当事者にかわってその人の権利を主張することでどれほど子どもたちは救われるでしょう。(total advocacy)