私を多面的に知って頂くための記事第四弾です。

今回は3回目までと異なり、
メルマガ読者様からの質問ではありません。

NHK Eテレで放送中の「バリバラ」の特別企画で
何年か前に放映された
『悪夢』というドラマ
のモチーフについて考えてみます。

ちなみに、これと似た話を活動でインタビューする中で
ゲストの方としたことがあります。

 ドラマでは、統合失調症の主人公を中心に

障害者の人間模様が描写されていました。

で、食べると障害がなくなるが、その代わり記憶もなくなる

「禁断の果実」を主人公が食べるのか、という設定の話です。

このドラマの主題は、私の解釈では

「障害の受容」と「アイデンティティ」の2点。

さて、私なら食べるか?

食べません!

即答です。

なお、インタビューのゲストで
WEBメディア「Be Happy!」編集長の横山和也さん
も同様のお考えでした。

ドラマの中で食べるかどうかを色んな

障害者に尋ねるシーンがあります。

「食べる」と答えた方は、例えば私と同じ身体障害の場合、
走り回ってみたい等
物理的に現在不可能なことが可能になる
人生への憧れがある。

よりヘビーな感じで、
障害があることで

これまで散々苦しんだから
それがない
人生を生きてみたい
というセリフもありました。

勿論これらの回答をする心情は理解できます。

逆に、私と同じく食べないという回答をした人は

記憶がなくなるという部分にひっかかっています。

周りの大切な人達のことを忘れてしまう、
という話ですから当然ですよね。

 更にドラマの翌週にキャストのお一人が

このテーマについて番組で語っている中で、

「折角いろんな経験ができるのに勿体ない」

という主旨のことをおっしゃっていました。

前述の横山さんも同じようにもっと障害のある
人生で色々経験したいとおっしゃっていました。

 以上でドラマを見てなくても大筋は

ご理解頂けると思います。

 さて、ここからは私が

もう少し細かく分析します。

障害を負った経緯やこの問いを

突きつけられる時期によって
回答は変わるだろうこと

を指摘しておきます。

私のように人生の途中で障害者になった場合、

障害のない人生とある人生どちらも経験しています。

選択にあたって考える材料は

生まれながらの障害者
よりも多いです。

身体は自由な方が勿論いい。

障害はないに越したことはない。

当然でしょう。
しかし、障害は厳然とこの世に存在します。

私は22年の健常者としての人生の後に

既に18年近く身体障害者として生きています。

 

これについて、どっちの人生が良かったか

評価するのは無意味です。

どちらの人生もあって今の私があるからです。

 記憶がなくなる経験は、

大学時代に泥酔して1度経験しました。

 それがずっと続くとイメージすると、

やはり食べないです。

記憶が私の自我そのものと考えるからです。

それをなくす選択は、

自殺と同じようなものなので

やはり食べません。

 記憶が断絶して生命体として存在し続けるという仮定は、

論理的に考えると生まれ変わっている
ということになります。

(私以外の人間は障害のある私の記憶

を持ち続けていることになるので
微妙ですが)。

今生きていることを

希薄にしかねないので、

私は「輪廻転生」を信じていません。

ただ、人が見たことのない世界を見てみたい
という好奇心で

「それ食べた後の人生どうなんの?」
という興味はあります。

まとめます。

私は障害を負ってから「チャレンジド」
という
誇りを持って生きています。

その信念のもとに
「バリアフリーチャレンジ!」の活動を展開して
皆様とこのように接点を持っています。

つまり、今の人生に完全に
コミットしているのです。

途中で投げ出すような
無責任なことは絶対にできません。

 これが私のアイデンティティなのです。

障害を「乗り越える」
という表現があります。

障害がなくなることははないので、
障害のある人生に意味を見つけられることを
障害の受容と呼ぶのでしょう。

 

投稿者プロフィール

島本 昌浩
島本 昌浩
バリアフリーチャレンジ!代表
challenged-view編集長