講演再現記事続き「今、できることを精一杯やるのが恩返し」

分量の関係で2回に分けましたが、続き物なのでこちらの前編をお読みになってからどうぞ。

続いて私が障害者になってから出会った(再会した)
方々について詳しく話します。

医療の力により、可能な限り身体機能を
回復させて、10数年かかりましたが、
私は社会復帰を果たしました。

そこからの恩人について。

障害のある行政書士として働く中で、
私に仕事を依頼してくれた方々。

今日もその仕事とは全く無関係のこの場に
お越し頂いています。

そして、この活動を始めてから私に講演の機会を与えてくれた
小学校時代の恩師である小学5年・6年生の時の担任の先生。

(当日おこし頂いていましたが、タイミング悪く、

ちょうどこの話をしている時に席を外されていました)

私は全く知りませんでしたが、
この先生が市内の別の学校で
校長先生になられていて、
別のきっかけで会う機会のあった

姉の担任の先生を通じて

そのことを知りました。

そのご縁でその小学校での講演が実現しました。

そのような機会を作って下さった恩師、
これらの方々のおかげで私は、仕事や講演をさせて頂け、
誇りを取り戻すことができました。

やはり人生の途中で障害者になるのは、
どんなに強がっても、
大きなものを失う事態であることは確かです。

その喪失感を回復させのは自分にはできることがあり、
人のお役に立てるという自信、だと思います。

 

誇りをとり戻せたことで、発病当初は
「若いから何とかできるし、何とかする」
とがむしゃらに思い込んでいましたが、

「何とかなる」と思うようになりました。

続いて
・・・・・・

この活動を支えて下さっているサポーターの皆様。

つまり、インタビューに協力して下さる方々や
金銭的に応援してくださる方々そして、

私に講演のチャンスをくださる方々です。

今日初めてお目にかかる方もいらっしゃいます。

皆様のおかげでこの活動が成り立っています。

始めてすぐの頃は海のものとも山のものとも分からない
得体の知れない印象を持たれ、「島本は何をしだしてん」
というのが正直あったと思います。

そこを信用して、私に期待をかけて下さったことには、
感謝という言葉では軽いくらいの、
言葉にはできない思いがあります。

・・・(でもこれ以外思い浮かばず)
ありがとうございます!

ここからは私が障害者になってから
関わりを持って下さっている皆様、
全般に言えることを申し上げます。

身体障害に伴う制約が諸々あるので、
率直に言って付き合いにくい部分が
あるだろうと思います。

何かの時に「出てこい」と折角私を誘っても出てこない。

会うにしても、私の側に来て頂くという形が
多くなる中で、良くして頂き
本当にありがとうございます!

私が障害者になってから知り合った場合、
こういう側面をより強く感じていらっしゃると思います。

他方で、私が障害者になる前から関わりのある人、
つまり私に比較的近い距離にいる人たちのことを
今から申し上げていきます。

まずは、今日も見えないところで色々と手伝ってくれ、
講演開始前には会場のセッティングで大活躍だった
私が人生の半分以上付き合っている親友がいます。

彼についてはそれまでの付き合いで培った絶対的な信頼があるので、
変わらない距離感でいてくれるのは、
ある部分では当たり前かなというのはお互いに暗黙の了解ですし、
私自身これ以外の形は想像できません。

ただ、それを私「が当たり前」で片づけてしまうのは、
謙虚さに欠けると思います。

彼には心から感謝をしています。

(会場にいた彼に向かって)ありがとう!

彼にこういうことを言うのは初めてです。

(発病間もない頃の記憶は曖昧で私は覚えてませんが)
彼はなぜか15年前倒れた時に見舞いに来て、彼は涙を流した
と伝え聞いています。

何人か涙した友人がいるらしいのですが、
泣いたのは全員男でした(笑)。

これは当時仕事以外の時間を持てず、
私に特定の女性がいなくて、濃い関係の女友達も
たまたまいなかったというだけの話です。

女性は男性より冷たいと
一般化するものではありません(笑)。

個別に挙げていく最後の感謝の対象です。

最後に身内を持ってくるのもどうかと思いますが、
ここは発病してからずっと一番近くで変わらずに応援
(私には立ち上がろうとする意志があるので
“支援”でなく、“応援”です)してくれている家族、
その代表として今日も会場に入ってくれている両親に。

いつもありがとうございます!

こういうことはあまり公衆の面前では言わないものでしょう。

言う機会があるとすれば結婚式くらいだと思います。

ただ、生涯未婚率が2割を超える時代ですし、
人生何があるか分かりません。

経験を通していつ死ぬか分からないと分かっています。

先送りできないのでこのいい機会に
心からのお礼を申し上げる次第です。

個別の相手を挙げて感謝を伝えてきました。

私が苦しかった時にいただいた応援へのお返しとして、
色々この場での演出なども考えました。

しかし、小細工なしでいきます。

この15年間チャレンジドとして生きてきた中で、
自然とにじみ出てきた言葉を2つ、
今日この時間を共有している皆様に贈ります。

 

一つ目は「当たり前のことはない。確かなのは、今、ここだけ

人は(病気等で)簡単に死にます。

そして全ての人が病気になり得ます。

病気になって、「命は脆いな」と
私は痛感しました。

退院直後に9.11のテロがあったり、
東日本震災があったりと
それらの報道に触れる度に、
「今、ここしかないなぁ」
と噛みしめて、日々この言葉を胸に
刻み込んできました。

で、もう一つの言葉が
今日の主旨にふさわしいので
最後に。

それは、「今あるものに感謝」です。

障害者になって、私は大切な身体機能を失いました。

でも、それを医療で完全に取り戻すことは
現状は不可能です。

そうであれば、それを嘆いている暇は

私には全くありません。

今できることをやる

今生きていられる、
それだれけでも感謝すべき事実、
それを肝に銘じてやっていきたいと思っています。

今申し上げたことは私の個人的な思いであり、
考え方は人それぞれ。それが当たり前です。

障害ではなくても人それぞれ
色んな事情のもとで生きてます。

それに伴って辛かったり、
しんどかったりがあると思います。

でも、生きてさえいれば、
当然マイナスではないし、
ゼロでもないです。

ですから、生きて、今あるモノに感謝して
(少しのやる気とそれを応援してくれる人がいれば)
何とかなると私は信じています。

先ほど申し上げた2つの言葉を
病気で障害者になってから、
チャレンジドになってから
胸に刻んで日々謙虚に
生きてきたつもりです。

ただ、それを行動に移してお返しできていたか
と言うとそうでないところもありました。

ですから、キチンと伝える場を作りたかった。

この活動は2014年の春に始動していたので、
発病14年目の昨年の11月1日にもやるタイミングは
あると言えばありました。

とはいえ、活動実績がなかったので、
やっても説得力に欠けるという思いがありました。

その後講演実績を作り、累計1,000人以上の方に
自分の経験を伝えてきて、今回で講演回数も10回目でそろそろいける
とこの企画を思いついたのが9月でした。

折角なので、記念になる日にしたいと日を探し、
直近の区切りの良い発病15年に当たる
11月1日にこの感謝をテーマにした講演会を
開催することができました。

私自身今あるものに感謝して、
今後も恩返しのために、
もっとお役に立てるように活動していくことを
お誓い申し上げます。

 

本当に最後になりますが、
ご縁があって私と出会い、
今日この感謝講演会にご参加いただき、
長時間にわたりお付き合いいただき
本当にありがとうございます!

心からお礼申し上げます。