リスクをとってでも動きたい!想定外の状況ではコミュニケーションが身を助ける

はい。タイトルにある通りの事故が先日のクリスマスに起こりました。
勿論、事故ですから起こらない方がいいですが、私にとっては、
クリスマスプレゼントとも言える体験でもありました。

想定外は起こるので最悪を想定しつつ動くしかない

事故発生時の状況を振り返ります。
仕事で電車移動するために、
最寄り駅に向かう道中でした。

ちょうど少し急げば乗れそうなタイミングの
電車があったため駅前の横断歩道で少し加速。

半ばを越えた辺りで右の前輪に少し引っかかるような
違和感を覚えました。

しかし、道路の真ん中でとまる選択はありません。
そのまま進むと、舗装された路上なのに振動が生じ出しました。

そして、ちょうど横断歩道の終わりでガタッと音を立て、

車椅子が前に傾き、私は宙を舞い、
ちょうど横断歩道を渡り終えた辺りの歩道に身体を叩きつけられていました。

よくテレビであるようなスローモーションになるような感覚でしたが、

どうすることもできず、身を任せたのが、
結果的にケガを防いだと思います。

以前、車椅子を押してもらっていて、
段差にひっかかり前方に投げ出されたことがあります。
その時も思いましたが、
高校の体育の時間に柔道の受け身を
習ったことが少しは役立ったと思います。
あと、反射的に頭だけは守ろうとしたのも良かったと思います。

瞬間は「え?何が起こった?」ですが、
目は閉じなかったので前方に車輪が転がるのが見え、
「あ!タイヤが外れた」と認識できました。

こんなことがあるのか、
という感じですが、このように実際あります。

今年は航空機の部品が飛行中に落下するというのが数件ありました。
また、新幹線の台車に亀裂が入った重大インシデントは記憶に新しい
ところです。

普段、飛行機や新幹線に乗る際に、
そんなことを意識する人は少なかったと思いますが、
報道以降は意識する人も増えたはずです。

私は確実に気にするタイプです。

現在、電車に乗る際もJR福知山線の脱線事故以降、
速いと感じるとそういうこともあると
思っています。

だからと言って乗らない選択はあり得ません。
水難事故があるからと夏に海で泳ぐのを止めるかどうかと言うのと同じ話です。

ノーリスクのことは自然の中で生き、
人が創った社会で動く以上あり得ないでしょう。

今回の事故自体は不運でしたが、
車道の終わりで発生したこと、
この後詳述しますが
周囲の人の親切に助けられたことは幸運だったと思います。

その前に、後日車椅子の販売代理店に事故車を持ち込み、
問題の部分を見てもらった結果について。

普通このようなことは起こらないそうです。
実際起こった原因については、
ネジを受けるカバーのようなパーツがあるのですが、
そこまでネジが完全には届いていなかった可能性があるとのことでした。

車椅子は私の足で乗れなければ年を越せません。

その場でしっかり処置してもらい、
更に耐久性が増すようにタイヤを一回り大きくするために
注文しました。

年が明けてから再訪問します。

私はこのブログでは特定の個人等を誹謗、中傷する
記載は決してしません。

そのような行為には全く生産性がないからです。
特定されない形で問題点の指摘はしますが、
それも提案とセットでやるべきだと
考えています。

政治の場に見るような批判のための批判は不要。
批判するなら対案を出すのが大人だと思います。

今回のことを販売代理店の担当者の方に連絡し、
至急対応して頂きたいと求めた際、
ちょっと首をかしげる対応がありました。

前輪が外れて、前に投げ出されたと告げると、
「え!?」と驚いたのは当然でしょう。
しかし、次に出た言葉が「どういう感じで外れたんですか?」
という車椅子の状況についての質問。

これはモノを売るセールス担当者の言葉として、
私の感覚からは少し信じ難いものでした。

普通「お怪我はありませんでしたか?」
とかまずユーザーを気遣うだろうと思うのです。

人としてと言うのもありますし、商売としても
金を使うのはユーザーであり、車椅子ではありません。

ユーザーの心が離れれば、メーカーが独占販売権を与えているわけではないですから
別の店に替えますとなります。

さて、ここからは私にとってクリスマスプレゼントとなった事故後に起こった奇跡について。

ビックリするほど親切な人達が世の中にはいる

駅前で人通りの多い場所でしたので私が倒れ込む様子を見ていた
通行人の方は何人もいました。

その中でグループでいたわけでないのに、女性4,5人がバラバラに
倒れた私に即座に駆け寄り、
「大丈夫ですか?どこか痛いところないですか?」
と声をかけてくれました。

痛みはない旨と、「私自身は大丈夫だと思います」
と伝えました。当日、知人にこのことを伝えると、
「多分脳が興奮してるから痛みを感じていない面もある。
明日以降に出るかもしれない」とアドバイスをくれました。

翌日注意していましたが、現在まで特に異常を感じないので、
身体は軽い打撲程度で済んだようです。

事故現場に集結してくれたおそらく全くの他人同士である
その女性グループが芸術的な連携プレーをそこで見せました。

車椅子が通行の邪魔になる場所にあったので、
一人がそれを迅速に移動。

二人私の側にいてくれたのですが、横たわった状態だった私は
意外に頭は冷静で「自宅が近いですし、仕事に行く途中なので各所への連絡がしたい」
と申し出て、車椅子は運転できるような状態ではなさそうですが、
いす代わりにはなりそうです。立たせて頂ければ、自力で車椅子に乗り移ることはできます。
支えてもらえますか?」とお願いしました。

今、思うと私の側にいた女性の一人は医療関係か福祉関係で
働いた経験のある方だった可能性が高いです。

私の身体の状況を見て、半身まひと把握されていた気がします。
その方がリーダーシップを発揮して、もう一人に「そちらの脇を
抱えてください」と言葉をかけると共に「もう一人いた方がいいな」
と呟き、近くのおばさんを輪に加えました。

「せーの!」で立たせてもらい、脇を持って頂きながら、
車椅子まで動き、ひとまず腰掛けると予想以上のことが
起こっていました。

私がそうしてる間に一人の方が近くのホテルでお客様用の
車椅子をホテルスタッフも伴って借りてくるというファインプレー。

その方は私の側にいなかった分、外れた車輪や落ちたパーツで
見つけられる分を拾い集めてくれてもいました。

他方で、いち早く車椅子を移動してくださった方は、
次に近くの交番に駆け込み、警官を連れてきて、
その後「そこの自転車屋さんで何とかならんか聞いてくるわ!」
と走り出し、自転車屋さんのご主人を現場まで連れてきてくれました。

バラバラに集まった人達がこれだけのことをするというのがすごくて、
その場でただただ「ありがとうございます!」を繰り返しましたが、
その方々にも当然予定があったはずでもっと気を遣う余裕があれば
良かったと反省しています

事後にどう動くかで行動力は失われず、更に磨かれる

私が父に連絡を取り、ひとまず現場に来てもらうよう段取りして、
現場では警官による簡単な実況見聞のようなものがなされました。
自動車にひかれたのでもなく、幸い他の歩行者を巻き込むこともない
単独の事故だったので私の個人情報が聞かれた程度です。

同時に車椅子を見ていた自転車屋さんが「あーここが完全に折れてるな、
できることはしますのでうちの店に運んでいいですか?」とのことで、
転倒現場から、移動することに。

ホテルの車椅子を借りて、警官が押してくれたので、
奇跡の女性グループはここで解散。

自転車屋の店頭で即座にパートで入っている
仕事先に連絡し、事故の概要と身体は無事であること、遅刻は免れないと
連絡しました。
車椅子の様子が分かったら、また連絡を
ということでやってきた父が車椅子を見る中、
状況がどうなのか待ちました。

「一つあるはずのパーツがないですが、やれることをやります」
とのことでその後なんと動かせる状態までもっていってくれました。

当然、専門でなく、パーツがない訳ですから、
「キチンと見てもらってくださいね」と言われました。

続報を職場に連絡すると、職場の近くにも福祉施設があるので「念のため車椅子は用意します。
これる時間に来てくれた方がいいです。」
とのことで、出勤することに。

ただ、事故上がりの車椅子で電車に乗っていくのは危ない気がしたので
その日だけは父に車椅子を積んでもらい、送迎してもらいました。

最後に印象的だったことと今回の教訓を。

借りた車椅子をホテルに返しに行ったところ、
なぜか女性スタッフにしきりに「ありがとうございます」
とお礼を言われました。私も勿論お礼を伝えていましたが、
「なんであなたがありがとうと言うのですか?」
と質問するのも変なので、丁寧な人だな、と思っていました。

私が車で職場に向かう際は見送りで
ドアまで閉めて下さいました。

前述の車椅子販売店の販売担当者との差は歴然としています。

自然とそのホテルで今度食事しようかなとか思います。

さて、このような事故にはできたら遭いたくないです。

しかし、リスクはあるのです。
では、リスクがあるから何もしないという選択をするか、と問われれば完全にNOです。

何かあっても、何とかしようとする意思があれば、助けてくれる人もいるはずです。
常に何とかしようと思えるためには逆説的ですが、リスクをとり続ける生き方が必要だと考えます。