要援護者と括られる側が日頃から地域との関係性を深める努力をしていくべき

半身淡路大震災から23年。

あの日またその後の避難生活等震災に関連して、
亡くなった多くの障害者、高齢者等の災害弱者がいます。

災害そのものの発生を防ぐことは不可能なので、
特に「減災」の観点から災害弱者の立場でできることを考えてみます。

1.火事場で要援護者にできることは?

まず、発災直後にできることは現実的には避難の方法について
日頃から取り決めてそれに従い、動くことくらいしかない、
と思います。本当の修羅場での対応については、
私個人は自分のために他者に
犠牲を強いるような事はしたくないという主旨で書いた
下記リンク先の記事をご参照ください。

災害弱者について
本稿の論点は上記のような火事場を切り抜けた後のことです。

2.火事場を切り抜けられたなら、共助の仕組みを活用して生き抜きたい

災害発生そのものによる生命の危機を脱することができたならば、
是非とも生かされた命を大切に、
震災関連死が起きないようにしたい。

「自助、共助、公助の順番だ」と
阪神地域に暮らす人間として、
繰り返し聞いてきました。

あの日、ご近所さんの命をがれきの下から命を救った
という事例を聞いたことがあります。

しかし、果たして自分の暮らす集合住宅
でそのような繋がりが現在あるのか、
というと心許ないです。

それまで寡聞にして知らなかったのですが、
昨夏、私の暮らす自治体である宝塚市から
1通の封書が届きました。

中身は「災害時要援護者支援制度のお知らせ」
という文書で私が1級障害者で要援護者に該当する
ということで送られてきたようです。

私が文章で制度の説明をすると長くなるので、
下記をご参照ください。

宝塚市のホームページ
上記と全く同じ文言の文書で、
個人情報の提供に同意する場合、市に同意書を提出、
それに基づき、市内各地域の民生委員などがメンバーの
避難支援組織に市が作った名簿が提供され、
災害時の対応に活かされるというものです。

素晴らしい制度だと思います。
私は自分の動画を400本以上ネットに流出させている類の人間なので
プライバシーをうるさく言うことはあり得ません。

ただ、この制度はこのままの運用では機能しないのではないか、
と危惧しています。

というのも、避難支援組織のメンバーと私は
対面したことがないからです。
そんな関係で災害時に助け合えるか、「?」です。

一度名簿を受け取るタイミングで民生委員の方が
確認のため家に来たそうですが、本人である私が
所用で出ている時で親に簡単なことを確認して
終わったそうです。

来ると事前に教えてくれれば、
日程調整もしたのに、勿体ないです。

顔の見える関係性を築き、血の通った制度に育てたいです。

3.1.17~3.11というタイミングを活用して取り組みの推進を!

そのために、1月の阪神から3月の東日本、更に4月の熊本まで
大きな地震のあった 時期を好機と捉えて動きたいところです。

公助は最後で自助からですから、
自分にできることとして、市に問い合わせて
自分の地域の避難支援組織の方に会う事は可能かを
聞いて会いに行くくらいのことはしたいです。

公助として通知文書には、
「普段から地域でお互いに顔なじみになることで、
災害時に、お互いの安否をすぐに確認したり、助け合って
避難したりすることを後押しするものです」
という説明文はあります。

しかし、あとは「安否確認」は「救助」ではない。
地域の支援を保証するものではない旨の記述があるのみで
顔なじみになるための取り組み
という肝心な部分が抜け落ちています。

組織と地域の要援護者で集まってお茶を飲みながら、
その時どうしたらいいか話し合ったり、
実際の避難訓練を義務づけたりするくらいの事が
制度設計としては必要かな、と思います。

例えば、地域のメンバーで集まる場合、
公民館などを無償で貸し出すくらいの
具体的な動きがあってもいいと思います。

お茶代まで予算計上してくれ、
とは言いませんし。

慰霊のために祈ると共に、
生かされた者は、それぞれの立場で
何ができるか、を考える日にしたいものです。

投稿者プロフィール

島本 昌浩
島本 昌浩
バリアフリーチャレンジ!代表
challenged-view編集長