街も他の制度もどうしても多数派の健常を基準に作られると思います。
それを当事者目線に落として、少しずつ住み良い街にしていくのが基礎自治体でやらないといけないこと

ワーキングマザーが議員になるまで

現在ほど女性が社会進出していなかった1980年代、
寺本さんは大学卒業後、東京のメーカーに就職。

その後結婚して、生活情報紙の記者として
色んな街で取材活動をされました。

それを通して自治体による住民サービスの違い
を感じたことが後の寺本さんの人生に
影響を与えることになりました。

具体的には、お子さんができて、
その頃から暮らしていた街、宝塚の不便さ
に驚いたと言います。

今まで自分が取材してきた街に比べると、
とても子育てしにくかったです。

特に働きながら子育てしないといけない人にとって、
保育所の待機が凄くて、
当時日本一でした。
数字上は800人待ちとか言われました。

保育所が今ほどなかく、
新聞に出たくらいです。
当時はもう既に少子化が始まっていて、
かつ、働く女性が少数派でした。

ですから、待機になるという感覚を
子供ができるまでは持っていなくて。

それと、何か手続きするために
仕事を休まないとできないとか、
その前にいた地域なら、
駅構内や駅前にサービスステーション
があって、アフターファイブや休日でも利用できた。

ところが、宝塚はあるんだけど、
市役所の開庁時間にしか開いていない。
「何のために駅前にあるねん!」みたいな。

実体験を通して共働き家庭や一人親家庭を意識していない
このような運用が気になり、
「これは不便すぎる」
と、仕事と子育てを考える「てんびん」
というワーキングマザーの会を作り、
活動に身を投じます。

当事者同士で何が問題なのか、
これは自分だけが困っている問題なのか。
地域課題なのか、
もっと言えば社会問題だと考えた。

地域課題であれば一人では解決できない
ということで、声を上げていこうと
本格的に活動。

このような活動をしたのには、
子供の頃から、
おかしいと思ったら、放置できず、
「変えなあかんやろ」というのがあり、
この時は他の自治体より子育てしにくく、
サービスが劣るから、「そりゃ言うていかなあかん」
と思った。

その他にも保育所保護者会、
会社では世の中にあるベビーシッターサービスを
社員が有意義に活用できると提案したり
政力的に動いています。

ご家庭では、お子様が生まれて半年後に
ご主人が単身赴任になるのですが、
妻は夫と共に行くのが常識という時代の空気の中、
闘いがあったそうです。

ご自身が勤めている会社には、
「当然ついて行くやろ」と思わていたし、
そもそも「子持ちで務まるのか?」
という感じ。

当然ご主人の会社との兼ね合いもある。

ここで私のインタビュー史上に残る迷言(名言?)
が飛び出した珍問答を紹介します。

島本:ご主人は「なんで君の奥さんはついてこないんだ?」
と会社から言われていたんでしょうね。

寺本:そうなんです。
「君は一家の大黒柱やろう」と
「寺本家は・・・」とか私にまで言うんです。

で、私は瞬時に「何が大黒柱や!
今の日本にそんなモノがある家があるかい!」って。
「壁と壁、面と面で支える2×4や、と言ってこい」と(笑)。

島本:すごいですね(笑)。

寺本:当時、私は新聞社で住宅とか建築を担当していたので、
すぐそれを思いついて。

 

島本:その切り返しは手強いですね(笑)。

寺本:それで、俺が説得しに行ったると言ってた上司の方に、
「来てみぃや」と言っていたら来ませんでした。

そもそも当時は、夫の転勤に妻が付いてこなくてもいいかどうか、
つまり、単身赴任を認めるかどうかの決定権は企業にあり、
認める理由は親の介護と子供の進学だけで妻の就労なんて
という空気。

そこでご主人の上司とこのように渡り合うところに
政治家になっていく片鱗を感じます。

結局、「それは違うやろ」
と、子供が生まれてかわいいさかりに
気の毒なことをしたと思うけど、夏のある日
荷物だけ持って、ご主人は旅立って行かれたとか(苦笑)。

このような経緯があり、
その流れで市議会議員へと繋がっていったのは
間違いないです。

しかし、立候補までは紆余曲折がありました。

周囲に自業自得と言われつつ、
不規則な仕事と育児をする
ワーキングマザーとしての生活が
大変だったのは想像に難くありません。

そんな中、阪神淡路大震災で被災。
ご主人不在の中、被災後も孤軍奮闘。

小学校に子供が上がると、
周りの家庭は専業主婦が多いという
ワーキングマザー特有の悩みがありつつも、
学童保育の部屋の建て替えに伴う有料化を予測。

子供が小学校に上がると同時に、
「役員するから」と親の会を作る。

被災地の校庭に学童保育室をプレハブで
作る計画があったのを四国の山間部に
ログハウスの学童保育室が立てられたことを知り、
コスト面、健康面でも木の方がいいと
ログハウスを建てるために奔走。

この過程で県の助成金を見つけて
その活用を県議に持ち掛けるなど
政治家そのものです。

結果、工法はログではないものの、
天然木を使った極めて健康にいい建物が
市で初めて実現したそうです。

その後に市議会議員選挙があるという時期で、
「公共施設ってこんなに住民の意見を
聞かずに建てられるものなのか」
という声が保護者の中から噴出。

いよいよ
「働く親の代表でこの状態が分かる人が
議員になるべきや。
寺本さんが議員になったらいいのに」
という声につなっていきます。

他方では助成金活用を掛け合った県議、

更には、何十年も活動されてきた、
自分たちの感覚を代弁する政党色のない、
本当の市民の代表である女性議員を出そうという、
ジェンダーの視点を掲げている
先輩の女性方、三方から口説かれます。
それでも一夏逃げたとか。

しかし、最後はPTA活動や審議会の活動等
をよくされていた、人望があって、
リーダーシップのある
「ほんとに凄い人」と思う方から

「私は色んな勉強をして、
活動もしてきたけど、出るのは私じゃなくて
あんたがいいと思う」
と静かに言われ、これまで活動してきた自分を振り返り、

ここで逃げたら、これから先、
物言わぬ市民として大人しくせなあかん、
と思ったんです

「女が廃る」じゃないけども、
「分かりました。出ます!」って言ってしまった。
翌朝起きて死ぬほど後悔しました(苦笑)。

攻め落とされて、投降するように出馬しました(笑)。

これが寺本議員誕生の経緯です。

地方議員としての矜持

さて、本題です。

障害者に関わる政治の役割として、
もっとも密接なのは福祉分野。
その中で一番身近な市政に
身を置く寺本さん。

勿論、国政レベルの法律の枠組みがあっての話ですが、
市政が地域で暮らす障害当事者に与える影響を問うと、

影響は大きいです。私が保育所問題に目を向けたのと同じで、
障害福祉の問題もやはり当事者が少数派ですよね。

すると街づくりも他の制度もどうしても多数派の健常を基準に作られる思います。
それを当事者目線に落として、
少しずつ住み良い街にしていくのが政治、
というか身近な基礎自治体でやらないといけないことです。

つまり、

生活者レベルで関係することが多いです。
ですので、どういうところに不備があるか。
制度の不備やハード面での不自由を解消するために、
私たち議員はアンテナを磨き、自分の目でも見ていくし、
当事者の声を耳でも拾っていきます。
それを政策にしていくのが議員の仕事です。

他方で、行政は行政で法改正の時などに合わせ、
制度を作っていきます。

様々な福祉を充実させる制度を作ってきますが、
それをチェックして通すか、やろうとしない、
つまり法律で決められたこと以外の横出し、上乗せの部分で
宝塚独自の形にしていくことを行政だけでなく、
議会からもしていくことはできます。※

※法律の趣旨に反しない合理的な範囲内で法律より広い範囲の定めをする横出し条例、法律より重い規定を置く上乗せ条例を議会の権能として制定すること

市長の考え方、議員のうち、
どのような考え方をする議員が
どんな割合で存在するかにより、
住民サービスのあり方は変わる。

それがその街の暮らしやすさを決めていく
一つの要素です。

寺本さんは「駅前議会」という場を主催して、
広報・広聴活動をされています。

これは議員としての政策立案機能を高めるために、

様々な立場の方の声を聴くのが目的。

「議会の情報を知ってもらい、それに対して、
何か意見をもらう。そういう場として
10年以上40回続けてきました。
議員でいる以上は続けていきたいと思っています。」

これは言わば、市民の暮らす地域と議会の中間点に
意見交換できる立ち寄りやすい場を作る発想。
更に地域に入っていって直接声を聞いていく。

「議員は議会開会中、また限られたエリアのことでなく、
住民の地域課題を常に探す。解決に向けて自分で調査する。
これこそが個々の議員の活動です。
カッコつけるようですが、全てが議員活動」
と言う。

障害当事者の政治参画について

 私がしている当事者としての情報発信で参考になるような
ところがあるか、伺ったところ、

当事者だからこそ分かること、
感じることはたくさんあるため、
違う状態にある方の話は参考になる。

そういう現象や気づきの部分を、
人脈を築いて、その方に取材されたお話を
インタビュー記事という間接的な情報も含めて
ご覧下さっているそうです。

ちなみに、寺本さんの中での障害者像が
私と対話する中で、
「全体というか、障害者って障害のある人のことをそう呼ぶけど、
当たり前ですが、「人によって全然違うんやな」
「健常者に色んな人がいるのと同じやな」
障害者というくくりの中で、
「その中の○○さんと見てしまうのは違うな」
と変わったと言います。

当事者の見方ということでは、
実際に議員の立場に当事者が入っていくということがあります。
それは社会の構成からして当然必要だと思いますし、
宝塚にも当事者の現職の方がいらっしゃいます。

寺本さんは、「市議会は住民の代表なので、
住民の形に近い構成になるのが理想。」としつつ、

定数の関係上、色んな属性の代表を
入れるのは厳しいと現実的な見方をしています。

※宝塚には障害者手帳交付者が8,340名います。
その家族など、交付者の3倍の当事者がいると仮定して、
定数から独自に単純計算したところ障害当事者議員は比率的に2名必要。
これについては、1名障害者枠のような形でもいいと思うとこの記事のアップにあたりおっしゃっていました。

定数の中で固定の枠を作るのは現実的に厳しい。
とはいえ、「当事者がいるというのは大きい」
当選当時、議会にいなかったワーキングマザーとして、
それまでの女性像にはなかった思いで、
変えて行くことができたという自負があるからです。

同じように障害当事者が議会にいることで
より強く発信できること、
訴えていけることは、大きい。
更に、議員に与える影響も大きい。
自分たちと同じ議員に障害者がいるのは、
議会に対してももの凄く大きな事です。

一緒に視察に行ったりすると、
頭の中で思い描いていたこととまた違った困りごとを
目の当たりにするそうです。

カバーしながら、
フォローしながら共同で動くので、
それはやはりリアルに実感できます。

障害当事者の中でも身体障害や
精神障害など様々な属性があるので、
その多様な声を代表者が
届けられるような仕組みが選挙の前段階であると
いいのかなと個人的には思います。

寺本さんに「優先座席的な扱い?」
と問われましたが
そういう認識ではありません。

そこまで行くと、全市民の代表を選ぶ
民主的な選挙と相容れないので、
障害当事者が力を合わせて、
「我々の代表としてこの人を送りだそう」
と力を合わせる前段階ですと述べると、

ああ。それは必要だと思います。
市民の皆さんは地域の代表も出て欲しいし、
政治的に近い人にも出て欲しい。
と色んな価値観を持って選ばないといけません。

その時に障害の問題は大きいと思うので、
当事者の中に、
「代表を出そう」という動きがないと、
継続的に選出することは難しくなると思います。

と同意していただけました。

 

現実的に集票を考えると、
属性を広く代表できるように、
特定の声のみを優先しようとせず、
「障害の有無に関わらず誰もが住み良くなるように
配慮できる街にする!」
という広い視野を持っている方が
全市民の代表としては当然いいでしょう。

人はどうしても体験してきた課題を
解決しようとしてします。

ただ、当事者である前に市民の代表なので
「これしかやりません」
という議員では全体としては困ります。
下水道とか学校教育とか他分野もやる必要がある訳です。

寺本さんもその姿勢は持っていたいとのことでした。

宝塚市の福祉について

これはローカルな話ですが、普遍に繋がる部分もあります。

宝塚市では手話言語条例は阪神間で初、
障害者差別解消条例は県内市町村では、明石市に続く
先駆的な取り組みとして制定されました。

寺本:解消条例については、早くから準備していたと思います。
手話言語条例は当事者団体が2年くらい前に議会に請願を出されたのがきっかけです。

たくさんの傍聴の方がいる中で、
その請願の趣旨説明を手話でされたんです。

こんなことは初めてで、
それが意味するメッセージを
私達は強く受け取りました。

だって、代表である議員が分からないんですもん。
「通訳がないと私達分からないねんな」
ということを気付かせてくれました。

 

島本:それはインパクトが大きいですね。

ここで私に直接関係する福祉サービスのことを話題に出しました。

「移動支援」という障害福祉サービスがあり、
所得制限はありますが、それにより公費で
日常生活の外出に事業者のサービスを利用できます。

この仕組みを仕事に利用して
仕事をして生きていこうと私は考えました。

しかし、市に利用可能か問い合わせたところ、
「経済活動には使えない」と。
仕事はできるが、
移動に困難がある人が仕事するために利用できない
制度の存在意義はなんだろうと感じました。

このような場合、法律でカッチリと
規定されていなければ、法理論的には
条例で横出しして救済というか、
適用対象に加えることは可能と寺本さんに確認しました

補足:当該法律の条文を精読しましたところ、
使えないと言う規定はありませんでしたが、
適用対象に経済活動の記載はなく、
現在の法律上市町村の事業となっていて、
その運用上使えません。
個人的には改正が必要だと思います。

こういうサービスが使えないと今の私がまさにそうですが、
独力で何とかするか、身内に頼って対応しなさい
という話で、社会的障壁になります。

寺本さんは
「身内等個人的な資産に頼らなければ働けないのは
保育にしても一緒

子供を預けられる祖父母がいれば働き続けられるけど、
そうでない人は仕事を諦めるという図式に近い。」
と指摘。

「社会全体で」と言う
介護保険制度の理念と同じで、
財政問題でもあるでしょう。

でも、働ける人がサービスを利用して、
健常者と同じように社会参加して、
できるだけ経済活動できる状態にして
納税する。
それがいい循環のはずということで一致。

当時、寺本さんご自身が働きながら
子育てしにくい街だという話がありましたが、
地域固有の問題かは比較しないと
単純に言えません。

条例制定を見る限りは
宝塚は進んでいるように感じますが、
先進的かを問うと、
かつて先進的だったと言えるかも知れない、
が寺本さんの認識。

個人的に車椅子生活者として思うのが、
宝塚の歩道の傾斜の怖さ。

寺本:それはやはり健常者の感覚で造られているからです。
それはベビーカーを押す親御さんも感じるはず。

私も育児をしてその立場になって、
初めて勾配や段差に気付きました。
車椅子で一人だと危険ですよね。

島本:今の話は介護で車椅子を押す方にも当てはまる。
今後、更に超高齢社会になるのは確実ですから、
優先課題として取り組んで頂きたいです。

寺本:子連れも、障害者も、障害者でなくても、
高齢者になれば身体能力は低下する。
でも、車椅子があれば元気に活動できるという方はいらっしゃいます。

そうであれば、誰にとっても「フラットな方がいいよね」
というのがバリアフリーであり、
ユニバーサルシティですよね。

ソフト面に関わる話として、障害者に対する理解について
果たす役割が大きいと考えられる教育について。

以前から宝塚は障害のある子を別にせず、
普通教室で一緒に、という方針、理念で
教育を進めていると思います。
で、他所の自治体に比べるとその部分の意識は高いです。
それは私自身議員としてだけでなく、
親としても感じてきました。

障害のある子が地域の学校に入ることで
子供達が凄く伸びるのも私は見てきました。

障害児も周りの子供もいい感じで成長します。

それを見てきた者としては、
分けるよりは、一緒に学んだ方が
社会にとっていいという感覚はあります。

ライフワークについて

最後に、寺本さんが特に力を入れている分野について。

子育て支援、男女共同参画という切り口から
社会を変えていきたいと活動しています。
これがライフワークで、議員を辞めても
何らかの形でやっていかないといけないと思っているそうです。

議員になってもう4期目です。
今力を入れていかないといけないと思っているのが、
子供と女性の問題を基本にしつつ、
加えて宝塚をどういう街にするか、
という長期的な街づくりのビジョンについてです。

更に、議会をどう機能させるか。

議員も目の前の課題解決だけをするという要望型の姿勢では、
ただの御用聞きになります。

ですので、そこは「議会がしっかりせなあかん」
と4期目ともなると思います。

将来的に何で稼げる街にするのかなど
気になることだらけです。