社会全体の合意形成に向けて取り組むことがベター
九州北部で豪雨災害が発生しました。
本稿は昨年発生した熊本地震を受けて書いた文章をリライトしました。
まず、今回の豪雨被害で亡くなられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げるとともに、被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
このような不特定多数の方の目に触れる文章では、答えのあることを取り上げる方が無難です。
例えば、先日UPした障害者差別解消法の法律的な解説などです。
しかし、今回はあえて災害時に「災害弱者は一般の人より優先されるべきか?」
という正解のない問いを設定して、問題提起します。
いわゆる「災害弱者」についての論点は多数あります。
とはいえ、総花的な文章を書くと、結局何が言いいたいのか分からなくなります。
よって、障害者や高齢者などの災害弱者を有事に優先すべきかの
価値判断に関する部分をメインに論じます。
救命では緊急性に応じて治療の優先順位を付ける「トリアージ」
が既に定着していると思います。
この手法では、治療の緊急性が高くなる傾向がある
ということで「結果的に」優先されることはあっても、
障害者だからという理由では優先されないはずです。
で、ポイントは、そのような運用でも
「トリアージ反対!」とはなっていいない事です。
では、災害時における、避難の場合はどうか。
熊本地震の際は、災害弱者との絡みで大きく取り上げられた
熊本学園大学の事例がありましたが、
今回の豪雨被害においてはこれを書いている7月9日時点では、
救助自体が悪天候により中断していたり、孤立してしまった人たちがいる状況で
メディアで現地の障害者がどのような状況にあるかという報道はなく、
検索してみてもヒットせず、寡聞にして知りません。
さて、熊本地震では制度化されている「福祉避難所」が機能しない事例が多数見られました。
福祉避難所は介助が行き届かず、避難所で亡くなる「災害関連死」が相次いだ阪神淡路大震災の教訓を受け、制度化されました。
災害救助法に基づいて国が費用の一部を負担します。
災害弱者の避難先になることを想定しているため、公共施設や民間の福祉事業所が福祉避難所に指定されます。
福祉避難所の趣旨が理解されておらず、一般の人が避難所ということで入ったことが機能しなかった一因だったようです。
ここで災害時に弱者が優先とされるべきか?という問いに対する私の立場を表明します。
私自身災害弱者ですが、「現状法律の規定がない以上、そうでなくてもいい」と考えています。
しかし、私が健常者の立場なら「されるべきだ」と多分正反対の回答をするでしょう。
回答は立場によって揺れていますが、私の価値観はブレていません。
私はどんな立場になっても、まずは弱者の中でも子供を優先して欲しいと思っています。
私の軸にある価値観は、日本は民主主義国である以上、「最大多数の最大幸福」を実現することが
優先されるべきというものです。
「子供は社会の宝」というコンセンサスはあると信じているのでこう考えるのです。
ここで、自然災害とは違いますが、より分かりやすい例で考えてみます。
火事に自分が巻き込まれたとして、何人かが障害者の私を抱えて助けようとしたら
私は拒むつもりでいます。
状況によりますが、身体機能からして避難が大幅に遅れることは自明です。
私一人の命が救われて、仮に2人が亡くなってしまったら、全く喜べないです。
私の場合、他者を優先したいので、健康なら弱者でない自分の家族より、他人でも弱者を助けて欲しい
とこれを書いている今は思っています。
同じ基準で自分の子供と健康な他人の大人がいれば、前述の基準から、その大人に自分の子を優先して欲しいとお願いします。
でも、人間が感情の生き物でもある以上その現場でこの判断通り行動できるかは不明です。
このような価値判断が全ての人の中にある。何の決まりもないまま有事になると、収拾がつきません。
そこで法律で一定の基準なり制度が作られるのが法治国家です。
そこでは本質的にこの国をどういう国にしたいのかが問われることになります。
日本人の国民性からして「弱者を優先する」という世論にはなる気はします。
では、私のこの想定通りの民意が政策に反映されるとして、具体的にどのようなものになるでしょうか。
避難については、メディアで必要性が指摘されている一時的にでも被災地域を離れる「広域避難」の対象者を災害弱者として、
コンセンサスを得ていくというのは筋として悪くないのではないでしょうか。
ただ、これには個人情報と災害弱者自身の意思という壁があります。
そこで、災害弱者についての現実的な政策論。
優先的に広域避難させるという制度ができれば、災害弱者に該当する人のうち広域避難を希望する人は
自ら該当することを、広域避難対象者名簿に登録するように申請をする。
できそうなことからから始めればいいと思います。
以上、今回は私の想定する世論と一部違う私見を開示し、問題提起とします。