リハビリは目的でなく、目的達成ための手段
今回は10数年に及ぶリハビリの末に、私が抱くことになった私のリハビリについての考えの結論から書きます。
身体能力や環境によって期間に個人差はあるでしょうが、
「脳出血発病から10年単位の歳月が経過し、年齢が30代、しかも大富豪でない以上、リハビリの目的は、身体機能の改善ではなく、維持である」
1.私の経過
家庭環境に恵まれていたので20代の社会復帰していない頃は身体機能の改善を重視して、一般的な病院でのリハビリができなくなった後も、
全額自己負担の民間診療で、マンツーマンの厳しいリハビリに精を出しました。
「荒行」のようなリハビリにより、数年間は、劇的に身体機能が改善しました。
しかし、更なる改善を求めることは、より高度な機能の獲得を意味します。
人によりますが、麻痺の改善は身体の末端ほど難しいです。
私の場合、下肢についてはひざ関節より末端の足首より先は 自分の意思で動かせません。
上肢については肘の曲げ伸ばしはかろうじてできますが、それより末端の手首、指は使えません。
これが何を意味するか。
いくら肘が動いても指が機能しなければ、上肢としては用をなしません。
「廃用手」と呼ばれる状態です。これ以上は「荒行」によっても機能回復しませんでした。
加えて私は元々運動嫌い。
しかも成果の見えないことへのモチベーションを保つことは難しい。
また、私の元主治医に伺った話では、私のように麻痺が重いケースでは、完全回復は難しいのが実状。
他方で、20代の私には平均寿命換算だと半世紀近くの時間生きる可能性がある。
その時間をリハビリによる機能改善を目指すことを最優先して生きるのか、
そもそもリハビリに専念するにしても、経済的に自立しなければ生きられない。
進むべき道は社会復帰以外にないことは自明でした。
とはいえ、当時の私は、このように簡単に割り切れませんでした。
一般病院のリハビリ医に「車椅子を使ってでも早期の社会復帰を目指すことが望ましい」と言われても、
「人の人生を勝手に決めないで欲しい」と内心反発し、社会福祉協議会のピアカウンセラーをされていた車椅子ユーザーの方の
「そんなにリハビリにこだわっていたらダメだ。僕は生まれ変わっても車椅子の人生がいい」と言う話には、
「変わった人がいるもんだ」と聞く耳を持てませんでした。
そんな私が変わった理由は2点。
①30代となり、より現実的にならねばならなかったこと。
②一所懸命にリハビリを一定期間頑張っても回復が難しかったので、これ以上の改善は難しいだろうと見切りをつけられたことです。
ここからの切り替えは速かったです。
なぜか?
深く考え、この問題についての答えを出せたのです。
つまり、大前提として、時間は有限。
その中で生かされた命をいかに使うのか。
医療スタッフ、家族や友人の応援が繋いでくれたこの人生を最大限、有意義に生きることが目的です。
少なくともリハビリは目的ではない、リハビリは目的達成ための手段であるというのが論理的に導かれる自然な答えでした。
2.今の私が当時の自分に送るアドバイス
・リハビリには期限を設けて目標設定して納得いく成果が得られなければすぐに電動車椅子を導入してくれ。
・どうしても一人でできないことはかたくなにならずに周りに助けてもらえばいい。
・手伝ってあげようと思われる人間であるために、できる限りの自助努力を惜しまないちょうに
と死力を尽くして伝えます。