はじめに

この記事では、
発言部分の多くをそのまま使っています。
文中、青字部分が島本の編集部分、黒がナミねぇの発言です。
是非、じっくりと最後までご覧ください。

現状、チャレンジド*は労働力として期待されていない

*チャレンジド(ナミねぇが日本に輸入したと言っていい、
障害者を挑戦者と捉えるアメリカ生まれの呼称)
の就労支援活動を展開するプロップ・ステーション(以下、プロップ)
理事長
竹中ナミさん(以下ナミねぇ)。
社会におけるチャレンジドの位置付けが
まだまだ「障害があって気の毒な人」や
「手助けをしてあげないといけない人たち」で、
「社会を支える一員」とはなっていないという認識をお持ちです。

チャレンジドが働くことを応援する制度は障害者雇用促進法の法定雇用率のみ。
少しずつ変わってきたけど、企業側が雇ってあげねばならない人
というのが制度の出発点だからネガティブ。
(私は活動の中で雇用されている人も含めて活躍されている方と出会っていますが、)
ナミねぇは活躍して輝いている人はベンチャーみたいな感じで
自分の才能を生かしてやっていると話されました。

重要なのは意識と制度両方の改革

意識が凄く大きくて制度の中にいても仕方がない
と思うののも、自分たちはこうしたいというのも意識の話。
だから、チャレンジドの就労の課題は意識と制度
意識が変われば制度も変わる。制度が変われば意識も変わる。
島本:私はそうありたいと思っていますが、
チャレンジド自身が「制度を変えてやる」

くらいのガッツがあってもいいわけですよね。
全くその通りで、自分も社会で活躍したいと考えるチャレンジドが増えたのは確か。

今は働き方の多様性に制度が追いついていないことが際立ってきた時代

コンピューターを使えば「ベッドの上でも仕事ができるはず」
というチャレンジドと共に
四半世紀以上前に始まったプロップ。

機器を使えば、雇用関係の有無、
場所に縛られずどこでも働ける。
これを25年以上前に言ったチャレンジドはよく努力したと思う。
彼らがそういう思いや夢や無謀な野望とかを持たれたことに私は敬意を表する。
時代が流れてまさに施設にいようが、
どこかのベッド上で介護を受けていようが、
コンピューターで人や仕事、社会と繋がれるようになった。
これは彼らの意思と道具が並行してスパイラルアップしてきたということ
それだけ25年で向上してきたけど、
残念ながら制度はまだ雇用率中心。
制度が追いついていない。

ナミねぇの役割は「つなぎのメリケン粉」

政府委員を歴任しているのは、
行政や制度を直接変えることができる立場にいる人たちや
執行していく人たちに伝える事が大切だから。

霞が関を走り回れるギネス級の「口と心臓」を持つ人間である自分
がやるべきだろうと自認されています。

ただ、 その時にナミねぇが直接語らず、先駆的なチャレンジドたちに、
 それぞれのミッションや活動内容を発表していただく方が
インパクトがあるし、ホンマの感動を得て貰える。
霞が関のトップたちにチャレンジドの声を直接届ける勉強会を
 ずっと続けてるんやけど、日頃なかなか出会わない人を繋ぐのが、
ナミねぇの仕事であり、役割って思う。

個人の問題が、社会全体の問題という文脈で語られるようになった

これは、近年社会的な関心の高まっているメンタルヘルス、ストレスチェックなど
についてのご感想。

昔からあったんやけど、今のように名付けていなかったと思う。
今は何か他の人と違う時に色んなネーミングがある。
発達障害も最近でしょ?
「心が折れて」という言い方もここ10年くらい。
個人の問題が、社会的全体の文脈で語られるようになった。
 善し悪しは一概に言えないけど、
そうなって問題意識を共有するようになったのは事実。
介護を家庭の問題から社会的課題として、
介護保険という制度に繋げたのと同じように考えれば、
前進とは思うけど、
ネーミングにより自分とは違う存在と
レッテルを貼って分けてしまうこともある。
これは一長一短。
ただ、プロップではチャレンジドとのお付き合いについて、

障害の種別や程度は問わない。
最近はそういう精神的な相談が増えているのは事実です。
親の立場からすると、原因が分からない不安はありますよねと水を向けると、
私も娘を授かった時にあちこち駆けずり回って、
色々検査して~中略(詳細はこちらの著書
~結果、医者に「お嬢さんは重度の脳障害です」と言われて、
「やかましいわい!こっちはどうすればいいか知りたいんじゃ!」
って感じやった(笑)。
だから「医療でどうにもできないことを“障害”と言っているのに、
「医療が障害を定義するのはおかしいんちゃうか」って私は思う。

医療以外の分野で、障害に対して
動かなければならないことがあり、

そこでできることをやっていく

医療は人間にとって大切だが、そこで手に負えない範囲のことが障害という認識をお持ちです。

キチンと税金が払えるような働き方をする権利がチャレンジドにはある

ビジョンについては、「活躍したいと思っているチャレンジド達と共に、世の中を変えて行きたい」
と一切のブレがありません。
「社会におけるチャレンジドのありよう」は、
その国の文化や哲学、思想と同義語で、
就労だけやない幅広い視点で考えたい。

「就労」についてはそこを突き詰めて「納税」
ということをずっと言われています。
反論はよく聞くねんけど、大きな誤解
「あなた達は納税者になれない」

と決めつけられることが差別の出発な訳です。
だから、私はまさにその「チャレンジドを納税者に」
と言ったケネディの精神を日本の一つの文化にしたい。
島本:働いて納税できれば、自立して誇りをもって生きられる状態に近づくと
私自身健常と障害のある状態
両方を経験して肌感覚として思います。
だから誇りを持てる社会を自分たちが作っていかなあかんな、
というのがプロップの一つの目標。
一つのことが達成されたら、
次の新たな問題が生まれてくるのでゴールではないとされました。

チャレンジドが納税者になるのは ゴールではないが大きなスタート

「チャレンジドが納税」という主張について
反論があるということについて、

プロップ内部でも当初はそのような議論はあったのかと問うと、
即座に否定されました。
同志のみが集まったそうです。

逆に今みたいに、プロップが世の中に知られて、
「一緒になんかやりたい」
という人の方が初期のメンバーのような
熱い思いを持っている訳でなく、
単に就職先として相談に来るとか(笑)。

そういう人が結構増えてきたね。
福祉施設やと思って見学の希望も
「施設見学させてください」って。

「いや、ウチ施設ないけど」っていう(爆笑)。
だから、名前が売れたら売れたで施設があって、
そこに障害者が集まって、ラインのお仕事をされているのを想像して、
見学希望とか相談希望って言われる方が増えた気はする。

それだけ在宅での働き方が知られていない、
私らのミッション自体が浸透しないで、人気先行というか。

プロップのボランティアには、
ICTスキルと
「障害者に同情しない姿勢」が求められる

でも、ボランティアさんは軽くて全然OK。 
その時、その瞬間、何か助けになるところを持っていてくれたら、ありがたい。
でも、プロップのボランティアには、
ICTの技術は最低限求められる。

それから「障害のある人に同情せぇへん姿勢」
一つの目標として「チャレンジドが納税できる社会」
がありますが、
「ユニバーサル社会」
という言葉もナミねぇは使われています。

「ユニバーサル社会」は形あるモノだけでなく哲学まで含む考え方

「ユニバーサル社会」という理念について、
「誰にとっても今よりも暮らしやすい世の中」
と私は解釈していますと伝えると、
今は何となくそんな位置づけになってるんかな。
  「ユニバーサルデザイン」という言葉があり、
「ユニバーサルデザイン」の街づくりや、
「ユニバーサルデザイン」の社会づくり
いう使い方をしていた。
でも、「デザイン」と言うと、
日本人は形のあるものを思い浮かべる。
本当は法律や哲学までも含むのに、
つい「ニバーサルデザイン」というと、

「バリアフリー」とどうちゃうんという話になる。
それであえて「ユニバーサルデザイン」の哲学を持った社会を縮めて、
「ユニバーサル社会」というのをプロップが提唱して、
それをプロップの本部のある兵庫県が取り入れた。
今はなくなったけど、「ニバーサル社会課」まで作って、
正式に課長まで置いて、
県庁全体、兵庫県全体を
ユニバーサル社会にしようという動きが
知事をトップに全体に広がった。
ナミねぇもそのユニバーサル社会づくりの色んな委員をさせて頂いてる。
でも、何となくユニバーサル社会という言葉が広まったので、

あたかもユニバーサル社会がいい社会として存在するから、
それを目指さねばならないのだ。という雰囲気になってきたということは、

言い出した頃には全く考えられなかった。
最初は「ユニバーサル社会って何それ?」
って誰も分かってくれなかった。
ポジティブなものとして理解する人はいなかった。
何かややこしいことを言うてという感じやから、
ものすごく丁寧な説明が必要で。

バリアフリーとの違い

例えば、ある教育機関に視覚障害者や
車いす利用者が訪れるには様々な手立てが必要。
それらを整備すれば校内でキチンと授業を受けられる。
これがバリアフリーの話。
で、ユニバーサル社会はと言うと、
その視覚障害者や車いす利用者など様々なチャレンジドが能力さえあれば、
その学校の先生や校長、経営者にだってなれる。
そういう学校を整備する法律や制度を作る人にもなれる。
これがユニバーサル社会であって、そこに行って授業が受けられる
その場所で買い物ができる、音楽が聴けますというのは浅い。

全ての人がその人の持っている力を発揮し、
その力で支え合うのがユニバーサル社会

だから、全ての人がその人の持っている力を発揮できて、その発揮された力で支え合う
これがユニバーサル社会の定義です。
つまり、今までは支える人と支えられる人が線引きされていた。
その障害の有無や年齢や国籍、 そういう枠組みの中であなたは支える人、
あなたは支えられる人となっていたこの線引きを曖昧にする。
どの人にも支える力はあるから、 その力を引き出すようにしようという考え方。

弱者が弱者でなくなっていくプロセスが福祉

だから、哲学が変わり、国の形が変わるということ。
今の福祉は弱者と呼ばれる人が定義されていて、
その弱者に対して弱者ではない人達が何をしてあげるか、
でこれが国の形です。
私が思っているのは弱者と呼ばれる人達が
弱者でなくなっていくプロセスを福祉と呼ぼう。
弱者でなくなっていくプロセス、
これを作りあげていくことそのものが福祉
という考え方で実は全く違う。
これくらいちゃんと説明しないと、なかなか分かってもらえなかった。
ユニバーサル社会って言葉にネガティブじゃない
ポジティブな意味を感じてくれる人が増えたというのは、
私にとっては凄く大きな変化です。
私自身「ユニバーサル」という言葉にプラスのイメージしかなかったので、
ニュアンスで良いものと捉えていましたが、USJと関係あるの?等といわれたこともあったとか 笑

全ての人に社会を支える力がある

今、支えられる側と決めつけられている人の中にも、実は社会を支える力が秘められている。

それを社会全体でどう引き出すか、本人も発揮しようと意欲を持つか、

そういう変化です。だからムーヴメント、動きなんですよ。

障害者福祉が語られる際の前提に 矛盾があることに気付いて欲しい

実際には支える、支えられるというのにそんなにはっきりした線引きはないのに、
制度で線引きしている。実際はものすごくグラデーションになっている。
1人の人の中でもこの部分は支えてもらわなあかんけど、
別の部分では支える側にまわれるなんてことはざらにある。
体調のいい時、悪い時でこれも変わる。
全て社会の色んな要素で自分が生きているにも関わらず、でもそれが福祉、
とりわけ「障害者福祉の話題」になった瞬間に、
「自分は自分の事を自分でできるけど、この人はできない」
という前提で語ってしまうのが、とても残念。
そこに気づく人が増えたらえぇな・・・って思う

島本:その意識を変えていくためには、今支えられる側と位置付けられている
チャレンジド側の意識の変化と社会環境が変わるという両面が必要です。
世の中の構成ってこうなってる(手で正八面体のような形を大まかに描く)
すごい上と下が尖がっていて、世の中を変えようとする凄い少数の
初めは「変なヤツ」と言われてるかもしれん人らがいて、
で、しばらくするとそういう人たちと一緒にやってみたいという人らが
出てきて、少し広がってくる。
で、広がってきてそのことが認知されてくると、
「あ、そういうことって世の中にあるんや」と結構普通になる。
その普通に認識される時代になっても、
この図形のように一番下には必ず足を引っ張る人がいる(笑)感じ。
結局は、自分自身がどの位置にいたいのか、と人が決めるだけ。
普通になって自分はそのテーブルに乗る人
尖っていて難しいけど、それがおもろいと先端に来る人とか。
で、私らは尖がったところからやっていて、これが普通になることを願っている。
普通になってから乗る人が多いのが世の中でそれが当たり前やから、
普通になることを目指している以上はたくさんの人が
一斉についてこなくても何も困らない。

嘆くことは何もないし、焦ることもない。
いつかそれが「普通だね」と言われるようになればいい。
それが何年後かは全然分からない。
自分では25年やってきたけど、

まだ普通にはなってない道の途中。
 島本:戦略的に普通になる速度を上げるために、
尖った人の数を増やそうと巻き込む

アプローチもありますよね。
 そういう人はね、ナミねぇと出会って話したら、
瞬間的にお互い理解し合える。
お互いが触発し合って、おもろいね、とかおもろいことやろう
という仲になる。
島ちゃんもその一人かな(笑)。
その強固な「変えたるぜ」 という人の層が分厚くなることも必要やし、
分厚くなる速度が上がれば、 普通になる速度も上がる。
私にできるのは、その歴史の歯車を少し速く回すことぐらい。
プロップの活動初期から一貫してあるのは、
チャレンジドがICTを活用して、自分のできないことを補う。
そのことで、社会と繋がるサポートをしていくこと。
そこで「パソコンを使って仕事をしたい」という声があったのが原点。

プロップを生んだのはお嬢さん

ところで、ナミねぇには重症心身障害のある麻紀さんというお嬢さん
(公表されているので記載します)がいらっしゃいます。
その育児について何かをナミねぇに教えてくれる人は誰もいなかった。
そこで、 お嬢さんの耳が聞こえないなら耳の聞こえない人に尋ねる、
目が見えないなら見えない人に教えてもらう、
という形で、ずっと自分なりに手さぐりで育児をされました。
おかんである私がそこでコーディネーター
にならなあかんというか、「つなぎのメリケン粉」
としての今に繋がる人生の出発やね。
私は医者でも学校の先生でもないし、福祉家でもない。
だから、その時はまさにそれぞれの専門分野の人たちが持っている知識を
ちゃんと集約し、それが娘の役に立つのかを判断する
というスタンスを採るということやったと思う。
自分がそういう道に踏み込んでいったきっかけは、
最初に私の父が「この子連れて死んだる!」なんて言うから、
私は絶対に父と娘を失いたくない訳で、

2人をちゃんとこの世に引き留めて父ちゃんに安心してもらうには
私自身がすごく元気に生きていないといけない。
娘に対して何ができるかと言うより、父ちゃんを死なさんように、
自分が元気に生きる処方箋が何かを考えた時に私の中に
「うわぁ、何にもないわ!」と。
両親に教えてもらおうと思ったのに、親が孫娘を連れて死ぬと言うから
「こりゃえらいこっちゃ」となって、
誰がその知恵を持ってるやろか?
って考えたら、見えないことの意味は見えない人がもっているやろうし、
聞こえない、喋れないことの意味はその当事者がもっているし、
動けないことの不自由さっていうのも同じで、
じゃあそういう人らから話を聞いて、困っていることと、
逆に、でも自分はこんなことができるというのと、
両方をちゃんと教えてもらおう。
その上で自分でコーディネーションしようと考えた。
いざ動いてみたら凄い人がいっぱいいて、
皆「かわいそうな障害者」と言うけど、
「嘘やん。
こんなすごい人が一杯いるんや」という世界で唖然とした。
とても私的な理由からチャレンジドの方々との関係ができていき、
後付けの理由かもしれませんが、
ある時点で、お嬢さんが生きていくのにどれくらいのお金がかかっているのか、
を冷静に計算されます。
それをされたことで視線が世の中にも広がっていった。
娘を私が専ら介護していた時というのは、
夫の給与の中で暮らしていたから税金のこと
社会的なお金や法律について考えたことがなかった。
でも、バツイチになって、娘と二人で生きていくことになって、
このままでは共倒れになっちゃう、という時に
すごく助けて下さる方がいらっしゃって、
今、娘が生活させて頂いている国立病院を紹介いただいて、
娘がそこでお世話になるようになった。
3ヶ月目くらいから医療費の明細書が来て、
それを見て目玉が飛び出るくらいびっくりして

「えぇ~!娘のためにこんなに税金が使われるんや」
ということは、
税のことを無視して、
社会生活を営む訳にはいかない、と自覚した
家庭で夫のもとで育児専念ということなら気付かなかったやろうね。
そこから、必要とする援助の程度は別にして、高齢化社会で介護が必要になる人が増える
というマクロな視点から「こりゃイカン」という問題意識を持たれます。
日本は世界に類を見ないスピードで高齢社会になっていくという萌芽が
その頃からあって、そうなっていくという時に、
娘が生活させて頂くのに
税が使われているなら、
納税者が減ってしまうと、
この図式が成立しなくなると考え、めっちゃ怖かった。
だから、娘と一緒の時は自分自身が働くなんて想像もできなかったけど、
娘がお世話になっているなら、自分も納税者にならないといけないし、
たくさんの納税者になれる人たちと一緒により働きやすいように
していかなあかんなぁ
というのが理屈でなく、
娘のおかげで分かった。

ここでも麻紀さんのために、という 個人的な理由で
色んなチャレンジドの方々と

関わってきたように、
麻紀さんが今後暮らしていくのにこれだけお金がかかるのならば、

社会の行く末を考えておかないと麻紀さんが生きていけないかもしれない
という危機感があって、
プロップの活動に繋がります。
娘が私を「ナミねぇ」にし、
今のプロップの活動を始めさせた。
全ての基礎は彼女です。
だって、私、彼女を授かってなかったら、
ただの不良のおばはんやもん。
娘のおかげで更生したとよく言うてるけど、
恩師であり、宝物!間違いなく。
だから「重度の脳障害のお嬢さん、気の毒ね、かわいそうね」
と私は絶対言って欲しくなくて、
私にとってものすごく大きな存在。
彼女こそがまさに「the challenged」なんです。

娘を授かったので全ての人の中に、
何かを支えていく力があると確信できた

障害によってできること、
できないことがあるって言う人や
チャレンジドって言いながらも世の中に貢献できる人と
できない人がいる

って区分けをする人がいる。
この言葉で私もそういう見方をしているところがある、
と気付きました。
私自身動きにくい障害ですし、障害特性により
できない部分はあるという考えでした。
しかし、補うツールはたくさんあるし、
何より重度のチャレンジドの存在意義は
社会の側の捉え方次第で必ずあると感じられました。

娘がその力をもっていたので、全ての人に
  何かを支えていく力があるって私はホントに言い切れる。
(この発言時の迫力には圧倒されました)

そんなん全ての人にはない。
ある人とない人がいるって言う人がおるけど、

私は娘を授かってそういう力はあるんやと。
ただ気付くか、気付かないか、
引き出せるか、引き出せないか

の違いがあるだけ。

私はそれに気付いてしまった。
だから、あると確信しています。

チャレンジドが活躍できる機会を増やすには
多様な働き方ができる制度に変えないといけない

プロップは ずっと「チャレンジドにICTスキルを」
ということで活動しています。
企業が外注する仕事について、
それができるチャレンジドと繋げる形で
コーディネートしています。
チャレンジドに限らず、今は企業が雇用するだけでなく、外注するのが、
社会全体に浸透して普通になってきた。
企業はチャレンジドに仕事を出すことに積極的なのかというと、
雇用率で評価する法律しかなく、アウトソーシングを後押しする法律がない。
つまり、(企業があえてチャレンジドに外注する)インセンティブが何もないことで
十分とは言えないとのこと。
だから、やはり国の形が変わるっていうのは、制度が変わらなければならない
ということを私ははっきりと言える。
多様な働き方ができる制度にできるかやね。

チャレンジドができる仕事をもっとアウトソースして欲しい

障害の有無に関わらず、今後は、ロボットやAIが人の仕事を奪うとも
言われています。
ただ、その中でパイオニアとしてこういう形で動き、実績を重ねてこられて、
企業との信頼関係もでき、リピートもある。
その中で、仕事のチャンスを掴むチャレンジドがプロップでは増えて行っています。
並行してずっと、お仕事ができるようになる前の
コンピューターのセミナー等もずっとやっているので、
その意味では働きたいと思うチャレンジドや
働ける技術を持ったチャレンジドは間違いなく増えた。
でも、法律の後押しがないので、出てくる仕事の量が少ない。
そこで、今最も希望することを具体的に言うと、チャレンジドができる仕事を
たくさんアウトソースしてください、ということ。
いくら勉強して、技術身に付けても、仕事がないと。
外注される仕事をとってくるか、それがなければ自分たちで仕事を作るしかありません。
プロップの場合、自前のパソコンセミナーの講師をチャレンジド自身が担い、稼いでいます。
「優秀なチャレンジドは、プロップのスタッフとして取り込む(笑)」というのが多いわ。
それでプロップは回ってる。身体、発達、知的、精神の人皆がプロップのスタッフになって、
それぞれ色んな分野を担ってくれている。
だから、「ギネス級の口と心臓」が私の役割やねん。
パソコンを使いこなすチャレンジド・スタッフとの役割分担ということ。
現状スタッフはチャレンジドの方が多いんちゃうかな。
具体的には、15名弱のスタッフのうち10人がチャレンジドとのこと(インタビュー時点)

チャレンジドが独立して仕事をすることをサポートする法律が全くない

一般企業への就業については、マイクロソフトなどのIT企業に就職したチャレンジドもいらっしゃるけど、

どっちかというと独立というか、SOHOみたいな働き方が多い。
そもそも通勤できへんので在宅ワークを目指す!
ということでプロップが生まれた。
自分のいる場所をオフィスにということの方が多い。
フリーランスやね。
で、プロップからの仕事も受けるし、自分でホームページ作って営業してみたいな。
ただ、チャレンジドがそうやって
独立して仕事をすることをサポートする法律が全くない。
独立志向のお国柄というのもあるかもしれないけど、
どちらかというと雇用より、むしろそういう面での後押しがアメリカでは強い。
 プロップは職業紹介や斡旋は業務としてはしていないけど、
ハローワークから相談がくることもある。
重度でうちではようアドバイスせんからとか
特別支援校の先生がこの子の進路のことでと
一緒に来られるとか、そういうのはあります。

全ての人に活躍する力があるという確信が私のモチベーション

島本:とにかく、全ての人に活躍する力があるというのが
キーメッセージとして伝わってきました。

それ、確信。それがなかったら、活動が一歩も前進しないというか、
私のモチベーションやから。「この人は絶対できる。この人たちはできる」
という。

ただ、ナミねぇのように信じてくれる人がいても

意思として活躍しようとしない人たちもいるという指摘をすると、

それはいてはると思う。

それは別に障害の有無とは無関係に働くことに意義を感じない人

っていうのはいて、そういう人たちも含めての世の中やから、
それを責めるつもりは全くない。
私がやっていることは単に、早く自分が安心して
(娘を残して)死ねるように、支える人をちょっとでも増やして死ねればええと
いうことで、
「そのためにワシら仕事するんちゃうわ」
って言われたら、 「あ、どうもすみませんでした」というだけやん。
(~島本爆笑~)


つまり、ナミねぇの活動は「善なるもの」でも「正義」でもない、

まぁオカンのワガママやから(笑)。

手伝いなんぞしたくない、というその人の意思は尊重します。

でも一緒に「ほな自分もワガママやってみよ!」という人とは、やれる。

その人が障害があるという意味でチャレンジドであっても、
(意思がなければ)関わりようがないのは当然です。

向こうも関わりたくないやろうし、こちらも接点を持てない。
それだけのこと。

人のいいところ以外を見ないのがナミねぇ流

確信をもって「この人は何かできるはずや!」
と思おうとすると、その人のいいところ
以外は見ないようにする。
これ自然にできた型。
友達に人の欠点ばっかり上手に探す人がおるねん。
「なんで?」と思うけど。
結局、主観は私にあって、その人が気付いていないことも
あるかもわかれへんよね。
でも、私にとっては 「この人のこの部分好きやな」
「この部分ちょっと欲しいな」と「この力」と思うところを探す。
どの人に会っても探す。癖やね。そういう目線で見たら必ずある。

娘を授かったことで、どの人にも伸びしろがあり、何かあるという確信が持てた

麻紀のおかげやろうね。
だって麻紀がかわいいし、麻紀が私のためにこんなに大きな存在としていてくれている。
でも、(重度の障害があって気の毒という)世間の評価とは全く違う訳でしょ?
私が彼女の手を触ったりしても、発作を起こしたり、ギャーと
叫んでいたのが、数年前に手を握っても大丈夫になって、
最近はなでなでしたら喜ぶ時もあるみたいな、
こんなん健常児なら0歳の初めの方の話でしょ?
でもそれを43歳の娘が私にくれる喜びっていうのは、
凄く大きい奇跡的な出来事なんです。

私は自分が麻紀のおかんじゃなくて、麻紀がよそに生まれてたら、
多分こんな風に思ってない。

「ああ、あそこのお嬢さん重い障害で、
かわいそうに」と思うただのおばさんやったかもわからへん。
 自分が(娘を)授かって初めて、
彼女が何年も何年もかかってくれるちょっとの喜びがどんなに大きいか、
分かった。そのことで、「そうか!そういう風に見たら、
どの人にも伸びしろはあるし、やれることはある。
人を喜ばす力もあるし、何かあるんや」
っていう、これ信じる以外ないんですよ!
これはもう確信。
だから「人をつなぐ」ということだって、自分の仕事としてやれる。
自分がこの人のここは好きとか
この人のここはええなぁというのを見つけて、
その人同士が出会ってもらえるようにしたり、
繋がってもらえるようにしたら、そこで生まれる輪はあったかいものになるよね。
そういう輪の広がりによって精神の部分は
「ユニバーサル社会」に繋がっていく。
だから制度と意識が大切と言ったのは、そういうことです。

投稿者プロフィール

島本 昌浩
島本 昌浩
バリアフリーチャレンジ!代表
challenged-view編集長