インタビュー実施日:2017年2月25日
横山和也さんは、車椅子ユーザーであり、「Be Happy!」というホームページで、私と同じように
障害当事者についての情報を発信されています。
3日間での障害受容
横山さんには頸椎損傷
(首から腰にかけての背骨にある中枢神経がダメージを受ける脊髄損傷のうち、首の部分を損傷)による四肢麻痺の障害があります。
ー26歳の時に転落事故で受傷されたそうですね。年齢からすると、事故までは大学を卒業して働かれていた?
(横山)
院に進み、分子生物学と放射線の研究をして博士課程を卒業しました。
その後、ご縁があって、大阪大学のエネルギー工学科で研究をして、すぐに派遣で研究職に就きました。
―関係としては、大阪大学で働いていた?
(横山)
そうです。そこに就職して1ヶ月後の事故でした。
―そうだったんですね。お医者さんに治る可能性が0%ではないと言われたとことで前向きになれたとか。
もともと前向き?
※少なくとも、脊髄損傷(首から腰にかけて、頸椎、胸椎、腰椎がある)が治るという話を
私はこれまで聞いたことがありません。
(横山)
そもそも、受傷したときに動かないということで集中治療室に運ばれました。
更に、ここでは手に負えないとなり、阪大の高度救急救命センターという、生きるか死ぬかの人が行くところに
移送されました。
でも、すぐに手術じゃなかったんですよ。しっかり準備してから手術するということで、経過措置というか、
首だけ固定されて寝かされていました。
何もない中で何も分からない状態でした。
ーえ!その間って意識があったんですか?
(横山)
はい。意識はありました。
ただ、ずっと何かの音が鳴っているし、電気も消えない昼か夜かもわからないような場所で、
手術前日に主治医の先生から、「君はこういう怪我で身体の状態は今後こういう風になっていく」
とすべて説明されました。
で、もう治らないと思っていたけど、ダメ元で主治医の先生に「治る確率は何%ですか?」と聞きました。
ーへぇ。
(横山)
で、一呼吸おいて、返ってきたのが5%。
ー微妙な数字!
(横山)
ええ!ってなって、0じゃないんだと思ったのがまず一つ。さらに、その5%というのは、
何を根拠に5%か先生は言わなかったけど、僕自身の解釈では、受傷する前、遺伝子関係の研究をしていたので、
再生医療のことも実はよく知っていて。
ーなるほど。
(横山)
iPSが出る前でしたけど、他にもいろいろあったので、もしかしてその5%はそれを含んでいるのではないかと。
で、5%あるんやったらやろうと。
よく5%は小さいという見方をされますが、100から見て、5%ならそうですけど、
0から見た5%はすごく大きいとも言えますよね。
そこからはとりあえず身体を動かさなければいけない。できることをやらなければいけない
という感じになりました。
―うんうん。
(横山)
で、先生と話をするまでの期間が三日間でした。
そこから前を向くようになっていったという話です。
ーそういう発想ができるというのは、研究職だし、かなり合理的だからですか?
(横山)
えっとねー、楽観的かな。
ーあぁ。
(横山)
昔からそうだったんですけど、あまり悩むのが好きじゃない。悩んだらキリがないし。
ーしんどいのが嫌?
(横山)
しんどいというか、まぁ、ポジティブはポジティブですよね。
ー先ほどの話からすると、確率5%という話を聞いてから自分の状態についての受容は早かった?
(横山)
そうですね。そこからは身体のことで悩むことはなかったです。だってもうやることは決まっていたので。
特に当時は、立って歩くということも含めて考えていたので、それに向けてできることからやろうと。
頸椎損傷になるとどうなるの?
以下、障害の後遺症について、好奇心もあってかなり細かく話を伺っています。
脊髄損傷の当事者と会ったことがなくても、その生活が伝わると思います。
ー頸椎損傷の後遺症について教えて頂けますか?
(横山)
頸損は基本的に四肢(両腕、両足)麻痺です。
ー上下肢とも全廃ですか?
(横山)
不全と完全というのがあって、不全だと、「Be Happy!」副編集長の天田君のように立てるし、モノも掴めます。
頸損と一口に言っても多様です。僕の場合は完全なので全廃で重度です。
ー頸椎の何番目を損傷するかなどで変わるんですよね。横山さんの場合、(障害者)手帳上の障害の記載は両上下肢全廃?
(横山)
そうです。でも、程度によっては麻痺が下肢だけの人もいます。
ーえ!頸損で上肢が使える人もいるんですか?
(横山)
います。で、さっき言ったように立てる方もいます。
ほんまに頸損?っていう人もいます。
ーへぇ!
(横山)
様々ですけど、僕は重度ですね。
もっと重度だと首から上しか動かない場合もあります。顎で車椅子を操作されていますね。
あとは、体温調節ができないので、気温の変化の影響を強く受けます。
また、起立性低血圧で身体を起こした時に血圧がグッと下がるので、座った状態だと血圧が低いです。
他には、肺活量がすごく落ちます。
ーそうなんですね。
(横山)
一般の成人男性の半分くらいです。
ー常に息苦しい感じですか?
(横山)
そこまでではないけど、声を張れないです。
他にも、褥瘡(じょくそう=床ずれ)のリスクと感覚が全くないので排泄障害があります。
そんな感じかなぁ。
ー排尿についてはカテーテル、排便はストーマというのが必要?
(横山)
そうです。留置カテーテルでずっと管があります。だからトイレに行くのは起きてからすぐと寝る前だけです。
パックが下に付いていて、それを捨てるだけです。だから日中はトイレに行きません。
で、ストーマも3日に1回くらいの交換です。これはベッド上で全部できて、トイレに行く必要がない。
ーえっと、仕組みがよく分からないんですけど。
(横山)
どう言えばいいかな。まず、留置カテーテルは直接膀胱の上から穴を開けて通しています。だから、垂れ流し状態です。
ーそれをパックに貯めて、廃棄すると。
(横山)
そうです。臭いもないです。
ストーマは大腸のS字結腸の下の方を切って、へその横の辺から出しています。便が肛門の方でなく、そっちに行きます。
だから大腸はこの辺から真っ二つに切れています(と言ってお腹を指す)。
ーええ!それ、その辺に付いているんですよね?
(横山)
はい。で、これも垂れ流しですけど、袋が付いていて、3日分くらい許容できて、やはり無臭です。
ー排泄は摂取するものや量の影響を受けますよね?
(横山)
受けます。調整はしたことないですけどね。下痢の時はそうなります。
トイレの時間が少ないのでその時間を有効活用できます。
ー効率が良い(笑)?
(横山)
効率的ですね。最初は排泄が大変でストーマにするまではオムツを使わないといけないし、1日仕事でした。
でも、付けたことで多目的トイレを探す必要すらないし、こんな便利な話はないと思います。
これも入院中に全部したんですけど、社会復帰するために動くと決めていたので絶対そうするという感じでした。
ー横山さんは専門的なリハビリはされてないんですよね。
ここは考え方の分かれるところですが、身体機能の回復にこだわる方も結構いらっしゃいますよね。
そちらを目指そうと思わなかった?
(横山)
はい。なぜかと言うと、早く社会復帰したかったからです。
受傷から1年9ヶ月入院しましたが、早期に社会復帰できずに、療養が長期化するのは避けたいと考えました。
車椅子からベッドへの移乗とか服の着脱とかの訓練施設もありましたが、そこに行くと年単位になる。
26歳で受傷して、1年9ヶ月で28歳になり、そこから2年間療養して、
30歳になると、社会復帰は更に遅れるだろうと。
そこで、とりあえず車椅子で移動ができる体力がつけばいいと。
だから、そこしかやってない。その点については専門的なことをやりました。
ーそれ以外は捨てると決めたわけですね?
(横山)
とりあえず、その段階ではそうして、実家にも帰らず、一人暮らしをすることに決めました。
一人暮らししていく上で足りないモノは、車椅子もそうですが、モノや人に頼ってやっていこうと。
(島本)
社会復帰という目的を達成するためには、「これだ!」と言う感じだったんですね?
(横山)
そうですね。
ライフスタイルの変化~ 一人暮らし・結婚・子育て ~
非常にクールに障害に向き合ってきた横山さん。淡々と話される様子は、「理知的」という言葉がぴったり。
プライベートでもそうなのか、パーソナルな部分を伺ってみました。
ー入院期間、1年9ヶ月は結構長いですよね。これは身体の状態が難しい状況にあったからでしょうか?
(横山)
結果的に良かったのですが、阪大から住吉区にある阪和記念病院に転院していたのが、このことに影響しています。
そこの院長が脊髄損傷に注力していきたいという先生でした。当時病院所有のマンションがたまたまあり、
そのマンションで「一人暮らしをするモニターになってくれないか?」と。
つまり、「一人暮らしの予行演習として住んでみないか?」
という話がありました。全部リフォームして、退院と同時に住むことになりました。
ただ、そこに入るまでの病院側の予算編成やリフォームに時間がかかり、
待機期間が長引き1年9ヶ月入院となりました。
ーそれを待つ間に体力を付ける感じだったんですか?
(横山)
それよりも生活するために何が必要か、ヘルパーさんや医療的なケア等※を先に調べて、準備を進めました。
※前述の排泄に必要なカテーテル、ストーマを定期的に診てもらう。褥瘡(床ずれ)のケアなど。
マンションの立地が入院していた病院の前で、通院できる体制も整え、訪問看護も使う等、色々対応できるように調整されたそうです。
(横山)
生活用品や福祉用具は何が必要か。勿論、車椅子に乗る時間はできるだけ増やす。
できることとできないことをしっかり区別する。そんなことばかりしていました。
ー退院して、その移行期というか、その病院前のマンションで一人暮らしをスタートさせたと。
(横山)
はい。
ーこれって入院生活と並行して、そこで訓練する形ではなかったんですよね?
(横山)
最終調整を少ししただけで、入院中は完全に病院内だけです。
ー「退院です。はい、どうぞ」みたいな(笑)?
(横山)
そうです。そういう感じで一人暮らしスタートです。
実は、ずっと実家暮らしで、一人暮らし自体が初めてでした。これは今でもムチャしたなと思います。
ー英断ですね。そこで実家に帰ることは全く考えなかった?
(横山)
実家がバリアだらけで改装も大変やし、どちらにせよどこか借りないといけないだろうと。
時間的に実家の改装を待てませんでした。いつか一人暮らしするなら、家族に頼らず即一人暮らししようと。
結果的に何もありませんでしたけど、大阪市内やし、「なんかあったら飛んできて」
とそこだけは伝えましたけど。
ーで、一人暮らしの時はヘルパーさんが?
(横山)
そうですね。ヘルパーに頼りました。朝、昼、夕方、夜と4回来て貰って、必要なことは全部してもらっていました。
ーちなみに、現在もヘルパーさんを利用されているんですか?
(横山)
そうです。結婚はしましたが、やってもらうことは変わっていません。
嫁は嫁です。
ー奥さんがケアを担うことはないんですか?
(横山)
基本ないです。ある程度フォローすることはあっても、一人暮らしの頃と生活は変わっていません。
だから、嫁が旅行に行ったり、実家に帰ったりしても、僕は一人暮らしの状態が続いているので同じです。
ー(奥さんには)「どうぞ、ご自由に」と(笑)?
(横山)
「どうぞ、どうぞ」ですね(笑)。
ー奥さんと知り合ったのは、障害者になってからですか?
(横山)
そうです。入院先の担当作業療法士です。
ーなるほどね(ニヤリ)。
(横山)
で、退院して、付き合って、結婚です。
ー入院中から目を付けていたんですか?
(横山)
「いいなぁ」とは思っていました。なんか気楽というか、なんだろう。
自分ができることとできないこと、更にこれからできることを(専門職で)全部分かっているから自然体でいられました。
入院中は何も背伸びしなくて良かったし。で、笑顔の絶えない子だったので、楽しかったというのもあるかもしれない。
―奥さんは年下?
(横山)
年上です。3つ上です。
ー現在の生活における奥さんとの関係性はどういう感じですか?
(横山)
なんだろう。なんか二人ともフラットですよ。
障害があるからとかはなくて、できないことは分かっています。お互いそこを求めることはないので、自然でいられる相手ですね。
嫁がいて、一緒にいることで自然体になれる感じです。だから、障害者ということを忘れます。
車椅子を使っているのにそれを忘れるくらいの感覚で生活しています。
ですから、嫁がいたから生活が楽になったとかはなく、変わらないです。気は遣わなくていいですけど。
ー気を遣わなくて済む関係性って楽でしょ?
(横山)
でも、結婚したことで大変なことはたくさんあります。そっちの方が多いくらいです。
ーですよね(笑)。
(横山)
あります、あります。子育て※もありますし。
※横山さんにはインタビュー当時2歳のお嬢さんがいらっしゃいます。
ー子育てはどういう感じですか?
(横山)
スキンシップがとれず、抱っこもできないからアレですけど、まぁ、
「接することのできる範囲でできれば」という感じです。
声はかけられるので、理解しているか分からないけど、声はずっとかけてきました。
できる限り止められる時は呼び止めて、話しかけるようにしています。
最近になって車椅子を押してくれるようにもなりました。モノを拾ってくれますし。「分かってるねんなぁ」と思います。
例えば、ペットボトルの蓋を「開けて」と頼むのは嫁に言う。
僕ができないのを知っているから、僕には絶対言ってこない。
僕を手伝ってあげなあかんのも分かっているし、スキンシップはできないけど、
声をかけるだけでもちゃんとしていればこれだけできるようになった。
勿論、僕の上に座ったりはします。
ーへぇ。素敵ですね。しつけなどはどうですか?
(横山)
それはあんまりしてないです。ただ、なんかできるようになれば、僕は手を握ることはできないけど、タッチはできるので「タッチ」します。
片付けできたらタッチ、おやすみの時もタッチみたいな。そんな感じでやっています。
横山さんの活動
ここからは現在の横山さんの活動内容についてです。私が個人的に聞きたかったことなので、分量的に厚くなりました。
ーでは、横山さんが制作されているWEBサイト「Be Happy!」について伺います。
運営会社が株式会社万福となっています。株式会社万福の事業の一環として、
広報的な役割をこのサイトが担うという戦略と私は感じました。
(横山)
どちらが先かと言うと微妙ですけど、基本的にはおっしゃるとおり、株式会社万福の事業の一環としてあります。
ー弟さんが万福の社長をされていて、横山さんが監査役という関係ですが、
外から見て、取締役の監督や会計の部分を担当する法的な意味での監査役には見えないですよね。
(横山)
そうですね。まぁ、ファミリー企業なので、
そういう感じの監査役とは違うと思います。
―いや、私がそう感じた理由はそこではなくて、
横山さんが結構表に出て動いているからです。
(横山)
そうですね。出ちゃっていますね(笑)。
そもそも、この会社を設立した意図もいろいろあって、もともと実家がドッグトレーニングとワンちゃんのホテルの事業をしていて、
設立時に犬の訓練とホテル以外の事業について、僕の入院中に弟を代表にして万福でやっていく形にしました。
―実家というのはお父さんが?
(横山)
そうです。父がドッグトレーナーなので、そこからスタートしました。
当時、僕が障害者になり、情報はなかったけど、お金もかかるだろうということで、万福を法人化しました。
で、2015年4月に、「『Be Happy』というサイトをやりたい!」と代表の弟に直訴しました。
「こんなんやりたいからやらしてくれ」と。そしたら「PRにもなるし、やったらええやん」ということでサイト開設です。
全くワンちゃんと無関係の内容が主で、監査役が表に出ることになるけど編集長と名乗ればいいいかなと。
―語弊を恐れずに言うと、車椅子で目立つから、広告塔になれるというのもあるじゃないですか。
(横山)
はい、それもありますね。そこは逆に出していかないともったいないのでうまく活用するという感じですね。
―サイトをやりたいと直訴されたとのことですが、障害者になってからの横山さんの情報発信には、
講演活動とこのサイトがありますよね。これはどちらが先ですか?
(横山)
同時に近いですけど、サイトが先です。講演については機会があれば、
リアルの場でも喋っていきたいという思いがありました。
―最初の講演のきっかけは?
(横山)
最初は自分が講師ではなく、知人の元プロ野球選手に依頼して阿倍野ハルカスで講演してもらいました。
そこからちょこちょこ僕や「Be Happy!」関係者、それに弟で「当事者の視点、家族の視点からの講演」
という形でやってきました。
―万福の事業であるペット防災関連の講師もされていますよね?
(横山)
そうですね。ペット防災事業は2016年の4月に始めました。その1年くらい前から高齢者、障害者等の「災害弱者」
と言われる要援護者の防災活動をずっとしていました。
その中で、「あれ?そういえばペットはどうなるん?」と。そこは全くフォーカスされていないと気付き、
講演活動をしましたがなかなか広まりませんでした。
そこで、万福で認定制度を作り、開始しました。ペットは災害弱者同様単独では逃げられないという共通点があるので、
「同じ角度から話ができる」ということで講師をしています。
―なるほど。
(横山)
「Be Happy!」はこれとは別です。
―ちなみに、講演の時もこういう感じのテンションで淡々と話されるんですか(笑)?
(横山)
はい、こんな感じです(笑)。もともと研究者なのでプレゼンは学生の頃からずっとやっています。
学会でも発表していました。
―「Be Happy!」についてより詳しく伺います。
インタビューにあたり、隅々まで拝見しました。印象としては、ライターさんの紹介を丁寧にされている。
また、各ジャンルの記事が分かりやすく整理されていて、とても見やすいと感じました。
私自身同じ障害当事者として、また同じ情報発信者としてすごく参考になります。
(横山)
ありがとうございます。うれしいです。
―サイトを開設をされて、最初の記事が2015年4月でした。そこから更新頻度は不定期ですよね?
(横山)
そうですね。僕以外にも色んなライターがいて、ボランティアで書いてもらっています。
ですので、書きたい時に書いて欲しいし、どこかに行って経験したことを書いて欲しい。
とにかく「当事者に発信して欲しい」というのが始まりなので、どうしても不定期になります。
紹介だけUPされているライターもたくさんいます。「やりたい時にやってね」
という感じで、ノルマもありません。決まりは記事の文字数くらいです。
―上がってくる記事のチェックはされていますか?
(横山)
島本さんも重視されているように、基本的にはそのままの生の声を出したいです。
ですので、しているのは本当に誤字脱字の校正くらいです。
ここからは同じ当事者の情報発信者として、個人的に一番聞きたかった事柄であるサイト運営について
詳しく伺っています。
(横山)
(ボランティアのライターに寄稿を任せていることについて)このスタンスには一長一短あって、記事の更新は不定期になります。
定期的に更新したいけど、有志に頼っているのでこちらから言いにくい部分ですね。
ここの折り合いが付いてないのが現状、うちの欠点かなぁ。
―そこを例えば一記事いくらか払って書いてもらう形にする考えはありますか?
(横山)
それは今後の構想としてはあります(これが近日公開予定の私の主催イベントで横山さんがプレゼンしたプロジェクトです)。
現状は難しいので、「書ける時に書いてもらう」という形にして、ハードルを上げないことを優先しています。
僕もそうですが、書く内容は生活についてです。別に勉強して書いている訳でなく、
体験したこと生活のことを書いています。それをやって欲しいから、あまりかっちりしていない感じです。
―ライターさんを数えたところ、15人以上?
(横山)
はい、います。ライターの定義にもよりますが、ライターとして紹介している方も含めれば、15人はいます。
一時コンスタントに書いていたけど、ピタッと止まったりすることもあるし、繊細ですね。
できる限り、本名と顔は出してもらう形でやっています。
当事者だけでやりくりしているのは珍しいと言われます。
―ライターの皆さんとはどういう風に繋がりができたんですか?
(横山)
最初は僕一人でやろうと思っていました。何をやり出したかと言うと、そもそも、障害者になり、
一人暮らしをした頃に情報がなくて、めっちゃ困ったんです。
情報収集法は役所に聞くか、当事者に聞くか。でも、当事者だと直接聞かないといけないので移動が必要です。
しかも聞いてみたら、使えないものがある。
「なんだこれ?この情報社会で何でこんなに情報がないんだろう」と考えました。
「当事者が発信してないからや!いい情報持っているのに何で発信しないんだ?」と疑問に思って、始めました。
で、自分の記事だけをずっと書いていたんですけど、自分のことは書けるけど、
例えば視覚障害者や聴覚障害者のことは書けない。「これは無理や」となりました。
しかも僕は車椅子に乗っているけど、同じ車椅子利用者でも生活が違う。「どうしよう」となった時期があり、
「ライターを集めよう」となりました。
最初、現・副編集長の天田君が同じ頸損ですけど、不全やから立つこともできるし、杖歩行もできる。
同じ頸損でもこれだけ生活が違うと気付きました。彼を知って「人が足りない」とはっきりしました。
まず、彼が手伝ってくれることになりました。ただ、彼も有志なので書きたい時に書いてもらう形でした。
でも、相棒が欲しいから「副編集長頼んでいいか?」と。
そこで、1人が2人になってからは速かったです。最初知り合いばかりに声をかけていましが、
何回かサイトにざっくりとした募集記事を載せたら、そのうち知らない人から反応があり、先日も京都の人、2人がライターになってくれました。
(島本)
時間の経過とともにサイトを見る人が増え、知らない人からも応募が来るようになってきたと。
(横山)
まぁ、そうですね。もともと、健常者向けに発信したかったです。
でも、やってみたら、当事者の方がよく見ていました。
それで多種多様な当事者の方がいるな、とやりながら思いました。
この人をライターにしていいのか悩んだこともありますが、熱意があれば、断ったことはありません。
有志やし、僕が最終チェックはしていますから、変な内容なら、そこでストップかければいいし。
利害関係なしで、自由にやっています。
―すごく若いチームという印象がありますが?
(横山)
若いチームでやりたいな、とスタートしましたけど、47歳の人もいます。
覇気のある当事者であることが大事やと思いますね(笑)。
―笑。
(横山)
やる気に満ちた部分を「Be Happy!」で出して欲しいという思いで運営しています。
―ここまでの話で同じ情報発信者として、記事の内容はライター次第で、
特に「こういうものを書いて欲しい」と号令のようなものを出したことはないのか、
に興味があります。どうでしょう?
(横山)
ないです。カテゴリーだけ用意していて、「それに沿った内容で書いて」というだけです。
結果、内容に偏りは出ています。
「生活」とか「エンタメ」とかは記事数が結構あるんですけど、
「仕事」とかはめっちゃ少ないです(笑)。「恋愛」もあんまりない。
―笑。
(横山)
自由にできたら、それでいいのかな、と思っていて、その中で有用な情報を見つけてもらう。
それを使ってもらうことで、僕が当事者に会いに行って得ていたことをここでしたいと思っています。
だから、めっちゃ自由ですよ。
―なるほど。ゆるいですね(笑)。
僕には真似できないスタイルです。
(横山)
ほんとにゆるいです。そこがいいのかなと思っています。
制約があるとこっちもコントロールするのが大変やし、
僕もノウハウがなかったので、そこはひとまず自由な形でやってみました。
ようやく新たな形が見えてきたので、次に繋げられるかなと思っています。
―僕と考えていることは似ている部分が多いですけど、手法が全然違います。
(横山)
そうですよね。
―僕は自分のカラーで色んな事を発信したいから、
自分で直接話を当事者に話を聞いて、僕が記事にするスタイルです。
(横山)
それは素晴らしいことやし、凄いと思います。結局、同じ情報発信をしていますから、
何かコラボできたらいいですよね。
という話から、その場で是非一緒にやりたいと思い、
その後少しずつ内容を相談しながら、形になったのが主催イベント【バリアフリーサロン】
「バリアフリーチャレンジ!×Be Happy!~当事者による情報発信の可能性~」です(近日掲載予定)。
ここからは横山さんと私の発信形式の違いなどにも触れながら、今後の具体的ビジョンまで幅広く語って頂いています。
(横山)
サイト開設から2年になりますけど、そこそこ反響があり、ホントに知らない人から声をかけられたりもします。
(島本)
それ、「バリバラ」※の影響ちゃいますん?
※この後話題になっていますが、横山さんはNHKEテレで放映中の番組「バリバラ」に複数回出演された実績があります。
(横山)
それもありますけど、「あのサイトで記事書いている人」という時もあります。
友達じゃないけど、facebook等でよく見るというのがあって、反響の良かった記事は、
例えば、大阪市営地下鉄のスロープの話や新幹線の多目的室の話とか電動ドアクローザーの話といった車椅子視点のものです。
集大成の「車椅子あるある」は賛否両論あるでしょうけど(笑)、結構反響が大きかったです。
「分かる」と言って頂いたり、facebookでも連絡頂いたりとこの記事でサイトの人気が出ました。
(島本)
拝見しました。おもしろかったです。
(横山)
あの記事はもう文章はほとんどなくて、写真だけですが、そんなんでもいいかなと。長文読むのもしんどいやろうし。
(島本)
その点については僕と考えが完全に違いますね。僕は内容次第で読んで頂けると思っているので、長文です(苦笑)。
(横山)
ですよね(苦笑)。
(島本)
「長文ですが、濃い内容なので、ご覧頂ける方はよろしくお願いします!」です。
(横山)
それを毎週定期発行しているのは凄いです。
「Be Happy!」では、ネット上だけでなく、オフ会※をしたいというのが前からあって、何とか2回やりました。
※ネット上のコミュニティメンバーが現実に対面してイベント等をすること
(島本)
今後やりたいことや実現したいことは何ですか?
(横山)
最終的なビジョンとしては、このサイト「BeHappy!」を見れば、だいたい障害者のことが分かる。
このサイトを見たら、あらゆる事が書いているという形にしたい。そのために、当初は自由な形でしたが、しっかりルールもつくり、法人にして行こうと。で、ライターもしっかり募集して、対価を得てもらう。
更に、最近思っているのが僕はすぐに社会復帰しようと思いましたが、社会復帰する、社会参加していくのはなかなかハードルが高いということです。
だから、それを手助けできるようなサイトにしていきたいです。自分の経験が100円でも200円でもお金になれば、きっかけになるのでは、と思っています。
ライターで稼いで生活できるかまでは分かりません。でも、お金を得ていくことで社会に出て行けるようなサイトにしたい。
あとは仲間作りの場にもする。障害の種類によるバリアがあるというか、
そこで繋がりがなかなかなかったりしたこともあったので、脊髄損傷だけにこだわらずそれを無くしたい。
そこを越えていけるサイトにできたらいいな、というのが今後の展開として思い描いていることです。
(島本)
今、聞いていて思ったことですが、現在のメンバーは全員当事者の方ですか?
(横山)
ライターは全員そうです。
(島本)
そこに健常者の方も入れていくお考えは?
(横山)
先に言いましたが、当初は健常者に見て頂きたいと思って始めました。が、実際は当事者によく見て頂いています。
その当事者の周りの家族や医療従事者にもアプローチしていきたいと思っています。だから、支援者の方も入れていかないといけないと思います。
そういうサポートする人のカテゴリーもあっていいかなと。
僕と弟では考え方が違うという経験もしたので。僕自身はすぐ受け入れられたけど、家族は違いましたね。そういう部分も今後は考えたいです。
(島本)
話を伺ってきて、サイトの認知度向上とは無関係みたいですが、記事にも書かれていましたし、
横山さんが声をかけられるのに影響はあったと僕は思います。
そこで質問ですが、テレビの「バリバラ」出演の経緯を教えて頂けますか?
(横山)
バリバラは大阪頸損連絡会という団体が、毎年やっている新年会に参加した時が、たまたま「キラッと生きる」が
「バリバラ」に変わるタイミングでした。
新たに番組を作るということでディレクターさんが障害者の恋愛に関するアンケートを取りに来ていました。
その時の僕の回答が面白かったようで僕はこうするという話をしたことがきっかけです。
実際にスタジオで喋ったら、「間が良かった」とか「しゃべり方が上手い」と言ってくれはって出演にりました。
ーへぇ!
(横山)
言われたから出ただけでレギュラーでもなんでもないんですけど。
ー5回くらい出ていましたっけ?
(横山)
そのくらいですかね。バリバラのラジオにも1回出ましたし。
―バリバラのラジオなんてあるんですか?
(横山)
昔ありました。パーソナリティがはるな愛さん☆で。それもロケでディレクターさんとの雑談で「はるな愛さんってキレイですよね。
いつか会いたいんです」という話をしていたら、「会う?ラジオあるから出てみたら?」、「いいんですか?」って感じで出させてもらって、
べっぴんさんでしたよ。男やと分かっているけど、女性にしか見えない方でした。
☆ご存知かと思いますが、念のため。ニューハーフ、タレント、歌手、俳優、実業家。本名、大西 賢示(おおにし けんじ)。
大阪府出身。サンズエンタテインメント所属。ANGEL.LOVE株式会社代表取締役。(ウィキペディアより)
障害者になって良かった!?
最後は改めて横山さんの人としての魅力が感じられる対話です。比較的年齢の近い、同じ肢体不自由者でもかなり違いが見えて面白いと思います。
ーここまでお話を伺ってきて、目的を定めて、思い切って一人暮らしを始める等、先を見据えて今の行動を決めるのは昔からですか?
(横山)
全然そんなことないです。昔も今も変わらず、「今を生きる」感じですね。
ーあまり計画的にやるタイプではない?
(横山)
そうですね。今になってやっと考えられるようになってきたかな。ケガしたことで視野が広がってきました。
ー「早期に社会復帰する」「それに向けて動く!」という思いはどこからきていたんでしょうか?
(横山)
もともと健常者時代に献血のPRや就労支援のところに行く等、ボランティアをしていました。ケガをしてからも実は継続していて、それが社会に出て行くきっかけになっていました。
情報も入ってくるし、仕事をしていくのもありますが、それを続けていこうと思ったら、やはり外に出ることが前提になる。
であれば、「トイレどうすんの?」とか「車椅子にどんだけ乗っている必要があるの?」とか。
ーなるほど。そういうことを逆算して?
(横山)
そうです。逆算すれば、行動がビシッと決まってくる。で、必要なことをやりました。
あと、気軽に外に行きたいとか。
例えば、彼女ができたら、デートに行きたいですよね。それで、自然と「何が必要やろう?」となりました。
とにかく外に出たくて仕方なかった。
ー入院生活の反動?
(横山)
いや、入院はそんなに苦痛ではなかったし、それはそれで楽しみました。
ただ、折角一人暮らしするねんし、ずっと実家暮らししていたのがやっと自由にできるあの感覚です。
「引きこもってもなぁ」と思って、遊びまくってやろうって感じです。
ーおもしろいなぁ。
(横山)
自分と似たような人はあまり見当たらないのでやはり少し変わっているでしょうね。
同じ頸損の方を見ていても、結構疲れている方が多い印象です。まぁ、実際生活するのはしんどいですけどね。
ーそりゃね。
(横山)
でも、楽しくいかんと勿体ないと思って。
ー「Be Happy!」やね。
(横山)
ホントにその通りで、折角なんだから。僕はケガをしたから結婚できたし、テレビにも出られた。
ケガをしたからこそ更生もできたんです。学生時代めっちゃ遊んでたんです。女遊び、ギャンブル、お酒、
やらなかったのはたばこだけです。
ー今もお酒は?
(横山)
結構飲みます。けど、どっかで「ちゃんとせなあかん」という気持ちはあったんです。
でも、変わるのはエネルギーのいることやから頑張る事がなかなかなかできず、ケガした事が分かりやすい転機やと。
で、ちょっと頑張ったら、めっちゃ褒められるじゃないですか。
ーああ。別に普通にしてるねんけどってやつね。
(横山)
普通やねんけど、評価してもらえるから頑張りやすいですよね。
ケガして、ご飯を食べられるようになった時に親友に涙されたんです。僕らからしたら、もともとできていたことができただけやから普通。
でも感動されるし、今もこうして生活する中で、「明るく生きていてすごいね」と言われると得した気分になる。
ーそう?そういう場面は確かに結構あるけど、僕は得した気分にはならないなぁ。
(横山)
嫁にはずるいと言われています。「皆同じ事をしているのに、なんであんただけ言われるねん」みたいな。
ーそりゃ、評価する側の偏った見方ですやん。
(横山)
そこは上手く使っています。車椅子で人に覚えられやすくなったのは嬉しいし。
だから、ケガして良かったくらいに思っています。
ー記事に「2回行ったら常連客」という話がありましたね。
(横山)
ほんとその通りで覚えられるのが嫌な時もありますけどね。
ー僕は人と会う機会が多いんです。「それ前から」という指摘もあるけど(笑)、視覚情報に弱い。
空間認識を司る右脳に損傷を受けて、更に人の顔を覚えるのが苦手になりました。
(横山)
ああ。でも、逆に覚えてもらえるでしょ?
ーうん。ただ、名刺交換した相手でも、よほど印象に残ってないと私の方は覚えられていなくて、
知らない人と思っていたら、声かけられて、「え!誰やったっけ?」みたいな。
よう分からんけど、とりあえず「どうも!」みたいなことが結構あります。
(横山)
一緒です。そういうのは得ですよね。両親や弟とか家族には、「なんでやねん!」って言われますけどね。
嫁は立って歩いているところを見たことなくて、これが普通やからなんとも思ってないですけど。
ーOTという専門職ですから、よくご存知ですしね。
(横山)
以前、「目の前に飲んだら障害が消えてなくなる薬があったらどうする?」って話を嫁としていたんですよ。
僕は得していることがなくなるから躊躇します。色んな得が全部無くなると思うと、このままでええかなと。
「どう思う?」と嫁に聞いたら、「好きにすれば?」って言われて、「飲んで欲しい」という答えやと思っていたので、「え!」みたいな。
「もし、五体満足になれたら、子供お風呂に入れてやれるし、お父さんの役割できるで」と言うたら、「それは私がやりたいからあかん!」と(笑)。
【インタビュー後記】
根底にある思考回路のようなものはとても似ていると感じた横山さんですが、行動レベルになると似ていないな、とも。
横山さんが「ケガして良かった」というのは、よく聞く「障害者になったのは不運かもしれないが、不幸ではない」という文脈での話でしょう。
「障害はない方がいい」に決まっています。
他方で、障害者になってもなお続く人生の意味づけとして、この立場を採れるメンタルは必要です。
そうでないと、生が彩りを失うという意味で、横山さんと同意見です。
最後の障害がなくなる薬についての私の立場はこうです。そもそも、私に妻がいたとして、
その手の話を私からすることはないです。
聞かれたら、「仮定の話はしたくない。実際できてから考える。それより今なすべきことに命を使う事が最優先」
と相手にしません(苦笑)。
この辺の違いが情報発信スタイルの違いに繋がっていて、横山さんがカジュアルなのに対し、私はお堅い感じになります。
人として「あそび」の部分があるかどうか。どちらがHappyか、ここに優劣はないでしょう。
対話してみて、どちらもHappyと思えていると感じたので、近日掲載予定のイベントで彼と共演しました。