実施日:2021年7月10日@zoom
わたしの障害と転機となった旦那との出会い
私は職に就いていないので
普通に家事して日々休みみたいな状態です。
(島本)
その中でネイル とかを作られてるんですよね?
(るー)
それはもう治療の一環ですね。
一応 売っていますけど
そんなに多くのお客さんがいるわけではないので
趣味と治療を兼ねてですね。
(島本)
以前ちょっと話す機会があって
その際に活動をご一緒できるかもと
私は感じていて今回お声がけさせていただきました。
ご結婚されたことが大きな転機になったと伺っていますが?
そうですね。
二人とも障害当事者ですが、
旦那さんと知り合った時には
既に 私の状態は結構良かったんですよ。
どちらかと言うとその前が旦那さんも状態のひどい時と被って
出会ってからはお互いそこまで悪くなることはないですね。
結婚前は精神疾患でお互い入院されていた?
(るー)
そうですね 。
別々に。
(島本)
別々に入院していたってことは
付き合ってから知ったわけですか?
(るー)
そうですね。
距離が近くなったっていう感じですか?
(るー)
それはありますね。
出会った当初、お互いのことを知っていき
そこから仲良くなっていく過程でこういうことがあったんだ
っていうことを話していくと共通点が多かったです。
うつ病になった経緯
精神障害はいつ、
どういう状況で発症されたんですか?
(るー)
そうですね。
初めて病院にかかった時を言えば
二十歳で就職して職場でいろんなことがあって
うつになって そこから病歴が始まってるんですけど
自分としては幼少期にはもう既に病気だった
のではないかなと思ってます。
(島本)
それは家庭環境が表現したい項目に
入っていましたが、
何親でしたっけ?
(るー)
最近聞く「毒親」*ですかね。
*毒親:
毒親(どくおや、英: toxic parents)は、毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、
子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年にスーザン・フォワード(Susan Forward)が作った言葉である。
学術用語ではない。母の場合は毒母、毒ママ、父の場合は毒父等と称されている。
スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。
「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親について語られることが多い。
主に母親が対象として取り上げられる。
毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。
2008年から自己愛の強い母親とそれに苦しむ子供の問題に関する書籍が増え、
日本では2015年時点で毒親という言葉は一種のブームになっており、ひどい親によって被害を受け苦労した体験を語った
という本・漫画等が毒親本・毒親ものと呼ばれるジャンルを形成している。
ブームの一方、言葉が独り歩きしている、悪影響がある等の批判もある。親だけでなく毒家族[7、毒家、毒娘など、その人が問題と感じる家庭の対象に「毒」を付ける形で その派生語が作られている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(島本)
今後るーさんが情報発信される場合、
記事を書いていくスタイルを採られますか?
(るー)
そうですね。
出したいですね。
何故っていうのもやっぱりあると思うし
どうしたら っていうのも 伝えたいと思います。
(島本)
どうしたらというのは?
(るー)
毒親っていうものに自分が遭ってるって言う事に
気づくというのもそうなんですけど、気づいた後
どうやって逃げるかっていうことが大事だなって思ったんですよね。
(島本)
経験を踏まえて 人に伝えておきたい思いがある?
(るー)
それはすごく思います 。
(島本)
似たような環境で 時間を過ごしている方も
いらっしゃると思うので可能な範囲で是非。
次の話題は、言いたくなければノーコメントで構いません。
前話した時に 身体の方にも障害があって
それは 自殺未遂をしてその時に骨折をしたことが
原因になっていると。
(るー)
そうです。
(島本)
それはうつを発症されて
それで入院になった後ですか?
(るー)
最初はうつで入退院を繰り返していて
で、そこからやっぱり家族との関係も良くなくなって
どんどん追い詰められてしまって
気がついたらほんと飛び降りてたっていう状態でしたね。
(島本)
うつ以外の診断もあったんですか?
(るー)
うつ以外はその時はなかったです
(島本)
その時はというのはその後変わった?
(るー)
広汎性発達障害があります。
(島本)
ということは発達障害があって
発達障害は脳の器質的な問題と言われてるので
それがそもそもあって精神的な部分でストレス
がかかり、うつを発症された
という順序になるんですか?
(るー)
どうですかね。
その診断名がついたのは
主治医から「あんまり 診断名は つけたくないけれど
つけるとしたら これだ」と言われて。
まああくまで表面上 ついただけの診断名で
型に当てはまるようなものではないって言われてるんですね
(島本)
それは 社会保障上手帳の取得や 年金のことがあり、
うつだけではその恩恵を受ける要件を満たさないからという理屈?
(るー)
それはあると思います。
(島本)
正直なご回答ですね。
(るー)
そうですね 。
自分では障害についてとか
病名についてってはこだわりたい
ところがあったんですけれども
今の主治医は全くそういう考えの方ではなく
自分でもまぁいいかっていつの間にかな って
(島本)
ということは、るーさんが手帳があった方が
就職などを考えるといいのでというような
意向を伝えたわけではなくて主治医の方が
そういうアドバイスをされた?
(るー)
ズバリそうですね。
(島本)
そう言われることに抵抗がありましたか?
(るー)
最初はありました。
でも、今はないですね。
(島本)
でも、気が付いたら飛び降りてたっていうのは、
相当 追い詰められてたのかなというのが窺えます。
(るー)
その時の状況を詳しく 人に話す時に言うんですけれども
自分ではできないって本当に思ってたんですよね。
ですけど、 いざ降りる場所に
立ってしまうと やれてしまったんですよね。
(島本)
飛び降りた場所に?
(るー)
うん。
だからできるとホントに思ってませんでした。
(島本)
そういうつもりは 直前までなかったけども
ふらふらとそこに行ってしまったら?
(るー)
止めることができなかったですね 何故か
(島本)
それはご主人に出会われる前ですよね?
(るー)
そうです。
るーさんはご主人に出会われてから
救われたって感じがあったんですか?
(るー)
そうですね。
ありましたね。
一番大きいのは家族でした。
(島本)
自分を育ててくれた 家族
ではなくてということ?
(るー)
両方ですかね。
新しい家族としてもだし、
私が一緒に暮らしてきた家族とも
和解させてくれたので。
(島本)
それは ご主人が間に入ってくれて
うまく回りだしたということ?
(るー)
そうですね。
多分間に入ってくれなければ
ずっと自分の家族とは
別れたままって言うか。
(島本)
具体的にどういうアクションがあったんですか?
(るー)
そうですね 。
一番大きいのが
私の育ての親がいるんですけれども
その育ての親って言うのが祖父母なんですけど、
まず祖父母と話をしてくれた。
で、話を聞いてくれる機会を作ってくれたんですね。
(島本)
ご主人がおじいちゃん、おばあちゃんのお話を
聞いてくれたということですか?
(るー)
それもあるんですけど 旦那が
祖父母と話をする機会を設けてくれた。
(島本)
つまり、るーさんを育ててくれたおじいちゃんおばあちゃんと
キチンと コミュニケーションをとってくれたってことですね?
(るー)
そうですね。
(島本)
それでおじいちゃんとおばあちゃんとの間にあった
氷が溶けるような感じがあったんですか?
(るー)
実はお互いが誤解をしてたことに気づいたんですよね
結構 その誤解が大きくて
で それが私と祖父母の間の
わだかまりとなっていて。
(島本)
そこに気づけて距離がまた 近づくきっかけに?
(るー)
そうですね。
それが大きいです。
(島本)
ちなみに、ご家族としては
両親がいらっしゃると思うんですけど
兄弟もいらっしゃる?
(るー)
そうですね。
います。
(島本)
その関係も良好とは言えなかった?
(るー)
最初から 破綻してるような状態でした。
実の父親が6歳の時に離婚して
違うところに行ってしまったんです。
で私は母についていったんですけど
母親が再婚して私の面倒をほぼ見なくなってしまって
それで 同居してたので祖父母が代わりに面倒を見ていました。
(島本)
おじいちゃんおばあちゃんは母方の?
(るー)
そうです。
(島本)
これは語りだすと 語りつくせない
思いがありそうですね。
(るー)
そうですね。
(島本)
過去の話を一旦引き取ります。
今は 主に家事を毎日やって
通院したりという感じの生活ですか?
福祉施設での葛藤そして決断
(るー)
そうですね
今、調子がいいので
通院は月に1回 旦那と一緒にしていて
(島本)
共通のドクターですか?
(るー)
違うんですけど病院の系列が一緒なので
同じ系列の病院に同じ曜日に
同じような時間帯に一緒に行っています。
平日の日中はだいたい家事をしたり
ネイル作製したりしています。
(島本)
障害福祉系の就労サービスとかは利用していない?
(るー)
そうですね
今は利用してないですね。
(島本)
そういう事業所に通っていた時期もあった?
(るー)
ありました。
(島本)
その時はどうでした?
(るー)
ちょっとしんどかったですね。
作業所に行ってたんですけれども
就労をしていた時との
なんて言うんですかね
身体のしんどさや金銭面を
考えたりしたらちょっとしんどくて
行けなくなってしまいました。
(島本)
その事業所はl
就労継続支援B型事業所ですか?
(るー)
B 型事業所だと思います。
(島本)
身体の面を
就労してた時と比べてというのは、
一般就労していた時と?
(るー)
そうですね 。
特別養護老人ホームで
介護職として働いていました。
(島本)
そこだけ聞くと 肉体面の負担は
福祉就労のB型事業所の方がすごく
軽減されるイメージがありますけど。
毎日毎日フルタイムで入ることが
事業所の場合ほぼないですから。
(るー)
そうですね 。
介護職で 勤務してた時と比べたら
時間的には楽でした。
でも心身ともににしんどかったですね。
(島本)
どういうことをされていたんですか?
(るー)
毛糸を織って 座布団をつくっていました。
(島本)
そういう作業が自分には合ってないという感覚があった?
(るー)
そうですね。
頭がだんだん真っ白になって
何をしているのかわからなくなるのが
こわかったです。
(島本)
その時は福祉専門職の方が何か
フォローしてくれることはなく?
(るー)
ありました。
でも、なぜできないのか っていうところを突き詰める
できないならもう休むかもう帰ってしまうか
の三択ぐらいしかないので
それではちょっと続けるのが 難しいな
と思いました。
(島本)
そういう 状態であれば、
あえて続けるよりは
行かない選択をした方がいいと判断した?
(るー)
続けると良くないというのは
はっきり分かってました。
続けるっていう選択はや
っぱり ないと思いました。
(島本)
今はいかなくなって
だいぶ落ち着いた感じ?
(るー)
そうですね。
今は落ち着きました。
(島本)
今落ち着いて 今後の生活について
希望はありますか?
(るー)
ありますね。
今これをやりたいっていうこと
これをやれば良くなる可能性があるっていうことが
自分の中にあるので これをやってみたいと思っています
(島本)
これというのは?
(るー)
まず 今作業スペースをを和室に構えてるんですが
和室を片付けて座椅子に座って作業をしたい。
それで自分がよくなると思うのでそうしたいですね。
(島本)
1日あればできそうかなと感じたんですけど。
(るー)
いや 、実は今ひな壇があって
七段飾りで 片付けられてなくて。
お雛様です。
(島本)
片付けましょうよ苦笑。
(るー)
ちょっと大きくて自分では片付けられないんですよ。
七段飾り で 今 天井近くまであります。
(島本)
今なんでも屋さんみたいなのもありますし。
ところで、今回バリアフリーチャレンジのメンバーに
加わってくれることになったのは私の方から
お声がけしたっていうのが大きいんですけど
どうして受けていただけたんでしょうか?
(るー)
そうですね。
私も発信したいっていう気持ちが
大きかったからだと思います。
やっぱり聞いてほしいっていうのもありますけど
自分以外にもそういう体験をした人がいる。
じゃあ、どうしたらいいかわからない人もいるんじゃないかな
って思ったのもあります。
(島本)
自分の発信によって経験がいきればいいなという感じ?
(るー)
そうですね。
(島本)
聞いて欲しいっていうところと
ひょっとしたら人の役に立つかも
という自覚が既にある訳ですね。
(るー)
手段があるなら、やっぱり使って欲しいと思うし
わたしも使いたいと思ったんです。
発信できるなら 是非って思いました。
(島本)
ありがとうございます。
るーさんとあと3人
計 4人同時にメンバーとして
加わってくれたので 歓迎する趣旨で
チームの他の方に紹介する場をセットします。
いろんな人がいるんで面白いと思います。
都合が合う日によろしくお願いします。
(るー)
こちらこそよろしくお願いします。
(島本)
今通院している病院というのは
うつでかかった最初の病院ですか?
(るー)
いえ、転院しました。
最初は恩師が 紹介してくれた病院に
かかったんですけれどもそこで悪化
してしまったので自分で病院を探して
転院しました。
(島本)
今は入院ではなく
転院した先で継続して通院でかかってる感じですか?
(るー)
そうですね。
8年くらいにもなると思います。
(島本)
小康状態を保てている?
(るー)
そうですね
今この状態を保てています。
(島本)
お話して結構明るい方だ
という印象です。
(るー)
ほわんとしてて明るく見える
っていうのはよく言われます。
(島本)
チームの発信のあり方として 週に1回
必ず発信していこうということでやってはきたんですけど
つい最近 そのやり方にメンバーも私も負担を感じていたので
メンバーが生活に無理のない範囲で「今これを出したい」
っていうものがある時に立候補して頂いて
それを出していくという話になりました。
(るー)
はい。わかりました。
ありがとうございます。
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