今回は「患者力」について。

私は子育てに忙しかった(障害の娘に手がかかった)というのを理由に
病院からずいぶん遠ざかっていた。
まずは子育てを理由に(特に娘を理由に)していたことを

子供たちに謝りたいと思う。

ランチに行っている暇があったら、
戸端手話をしている間があったら十分に病院に行けたはずだ。
そのうえ痛いところが出たら病院へ行くという考えだったので
定期的に届く健康診断の案内をスルーしていた。

そんな状態だったので久しく「患者」になっていなかった。
運が良かったのか「おバカ」だったのか?天然だったからか?
風邪もほとんどひかなかった。

それが1年前突然ピッカピカのがん患者1年生に。

さらっと「風邪ですね。」のトーンで
「卵巣がんですね。」
と言われてから
抗がん剤入院の日まで、てんやわんやの3週間。

婦人科病棟劇場


あっという間に入院の日がきた。
大部屋を希望したので
ドラマなどで見る
ワイワイと「お世話になります。」
と言いながら
お菓子などをやり取りし、
ベテラン患者から世話を焼かれるシーンを想像していた。

が、コロナ禍でカーテンは全て閉められ、
患者同士顔を合わせることはほとんど無かったし、

会話することも無かった。
どんな人がいるのかは、看護師や医者とのやり取りに

耳を澄ませるしかなかった。

パソコンで仕事をし、とにかくいつ帰れるのか聞いている人もいれば、
退院後ウナギを食べてもよいか?
ラーメンが食べたくて仕方がないがどうすればよいか
と医者に詰め寄っている人も。

急患で運ばれてきた向かいの患者は痛みと吐き気と闘いながら、
「ブラジャーは絶対にしないと!」と美しさを死守していた。

本当のドラマより面白い「婦人科病棟劇場」
が繰り広げられていた。

「がん患者1年生」の私はその人たちの様子を
会話から想像し、
シャワーの予約は争奪戦なんだとか、
便秘の時は「酸化マグネシウム」
という薬がもらえるらしい

などといろいろ情報を盗んでいた。

そうして抗がん剤入院を3週間ごとに繰り返すこと3回!

少しずつ「患者力」を身につけていったような気がする。
しかし「患者力」を身につけるのに一番重要なのは、
病棟で聞き耳を立てることではない。

医師とのコミュニケーションでしっかりと情報を得て、
自分に最適な治療を選択していくことだ。

「がん」で命に係わる重大な状況であれば、
それこそ冷静な判断ができなくなる。
ましてや「がん患者1年生」の私は、何のための血液検査なのか?
何のためのCT検査なのか分からずに
主治医の言いなりになりそうになっていた。

そんな時、必死になって調べつくしていたのが旦那だった。
良い医師がいないか友人に問い合わせてくれたり、
YouTubeのがん防災チャンネル」で様々なことを学んだりして
「がん」の医学的なことから医師とのコミュニケーションのコツまで教えてくれた。
最初は「がん」についての情報収集により
「患者力」を身につけることに必死だったお陰で
「死んじゃうかもしれない」と悲嘆することもなかった


「がん」について知るには国立がん情報センターが運営する公式サイト
がん情報サービス」というのを病院では勧めている。

それ以外のものを見ると間違った情報を得たり、
死んでしまった人のブログなどを見て精神的にもショックを受けたり
と様々なものから正確な情報を取捨選択するのが難しくなるそうだ。

とはいっても、「この後、自分はどうなるのだろうか?」
知りたい気持ちでいっぱいだった私は多くの闘病ブログを読み、
抗がん剤の名前や種類を頭に入れて外来の時間に挑んだ。
もちろん旦那も一緒だ。

っとありとあらゆる治療の可能性を知って、
少しでも何とかしたいという一心だったと思う

私たちの質問に全て答えてくれて、
しっかりと向き合ってくれる主治医とのやり取りは、
1時間を超えることもあった。

終了して次の患者と入れ替えで顔を合わせるときは
何とも申し訳ない気持ちになるほどだ。会計が閉まる寸前だったこともある。

そんな寧なコミュニケーションのおかげで主治医と良い関係が築け、
自分に合った治療を納得して受けられていると思う。
また自分の飲み薬の名前、抗がん剤の名前、副作用、今後の治療計画
などがしっかりと頭に入り先の見通しも立っている。

最初は「調子はどうですか?」と聞かれ、
「まあまあ元気です。」などと曖昧に答えていたやり取りも
今ではどこがどう痛むか、どんな症状が出て気になっていることは何か
を言えるようになった。

現状を正確に伝えて、欲しい情報を正確に聞き、
正しく理解することは本当に大切なことだとつくづく思う。

専業主婦天然枠代表である私は「正確に情報を聞く」ことが苦手で、
自分の思い込みで理解したり、
都合のいいように解釈する癖があった。

その癖を封印し、正確にコミュニケーションできるようになったのは、
職業柄いつも正確性を求めて会話する旦那に
スパルタで鍛えられたからだと思う。

そしてもう一つ大事だったことは治療経過を記録しておくことだ。

闘病に役立ったという書籍や記録


これもまた「がんとの共存人生」にはとても役に立った。
入院説明資料や治療冊子、血液検査のデータ
などを保管するとともにノートに今までの治療を記録してきた。
いつどんな治療をしたか、少し元気になるとすぐに忘れてしまう。

あんなに辛かった抗がん剤治療もなんという薬剤だったかな?
とか血液検査のどの数値をみて栄養状態を確認したかな?
など振り返ることができる。そうして今では病気発覚から抗がん剤と手術による
合計12回の入院と旦那のスパルタコミュニケーション教育とで
私の「患者力」は爆上がり。

衝撃(笑劇)お腹会議

ただ、旦那の正確性を求める、
とことん突き詰める質問内容は時にすさまじく…。
なんでも気になったことは質問していた。

忘れもしない手術後の抗がん剤治療中の外来。
がん患者と言えば痩せていくイメージがあるが、
ポッコリとしてきた私のお腹。

最初の病気発覚時、腹水が急激に溜まっていった恐怖
がぬぐい切れない旦那は…

旦那→「これは病気の腹水のせいでしょうか?」と真顔で質問。

主治医→「大変申し上げにくいのですが…」
CTの輪切り画像をカーソルで差し、お腹の部分を計測。
「お腹の肉ですね。〇センチです。」

私→「…」作り笑い。

旦那→「筋トレしてもよいでしょうか?」

私のお腹の肉についての会話が続く…。


人生初、真顔の男二人による私のお腹の肉についての真剣な会議。
後ろで女性の看護師、失笑。手術後の痛みは忘れつつあるものの、
この状況はしっかりと映像と音声とともに私の記憶に残り続けている。

きっといつまでも忘れない…。
死ぬ間際の走馬灯にも登場しそうな気がしている。

2022.5.2