がんは治る病気なのか?

ありがたく連載が続けられているが、なんか元気そうだけど…
「卵巣がん」どんな病歴なの?と
感じている人がいるのではないだろうか?

今、がん治療というと人それぞれカスタマイズに近いほどいろいろな治療法があり、
CMで
「がんは治る時代です」などと言われると、
「早期発見の場合」というのを聞き逃し、
「今時、治らないがんなんてあるの?」
という質問を受けるときもある。

また、昔のドラマなどのイメージで、
「抗がん剤=吐く」と思い、1日中吐いて吐いて
やせ細っていくイメージを持っている人などもいる。
私もそうだったが「がん」という病気について
全く知識がなかった。
自分がこんな経験をすると思っていなかったし、
本当に知らない事だらけだった。

闘病史 *後掲の文章は、こちらを参照しつつご覧ください

2021年1月 腹痛→地元の産婦人科受診

     2月初旬 紹介された総合病院受診 

→あっさり「卵巣がん」で間違いないと言われる

     2月中旬 腹水が溜まり動けなくなる

     2月下旬 総合病院転院→腹水を少し取り細胞診

          腹水よりがん細胞検出→術前抗がん剤決定

腹水穿刺(ふくすいせんし)*と抗がん剤治療

*腹腔内に針を刺し、腹水を抜くことをいいます。原因が特定できない腹水の診断や抗がん剤などの注入、腹水貯留による苦痛緩和を目的として行いますが、安易な腹水除去は逆に腹水貯留を加速させる可能性があります。 「ナース専科」より引用

     2~4月 抗がん剤治療 3回

     5月   手術

     6~8月 抗がん剤 4回

     9月~2022年1月 維持療法 分子標的薬(点滴)7回

     2月   再発 腹膜播種増大 リンパ節転移 腹水胸水あり 

緩和ケア開始

     2月~6月 抗がん剤 7回

生の一大イベント!?「告知」

まず、驚いたことは「がんの告知」が、
あっさりと行われたことだった。
ドラマの見過ぎなのか?別室に家族が呼ばれて
「大変言いにくいのですが…」と主治医が表情を曇らせ告知
あとで本人に知らせるなどという場面を想像
というか、そういうことをしてもらえなかった
と告知された後に思ったのだ。
「人生の一大イベント、もっと真剣にやってよね!」
とちょっとした怒りを感じてしまった。

総合病院を紹介されたとき、卵巣が腫れていて
検査が必要だと言われただけで
「悪性」ではないかもしれない、
と思っていた。
ネットで見る限り「卵巣腫瘍の9割は良性」と書かれていた。
旦那も私の不安を吹き飛ばすかのように「大丈夫!」
と言ってくれていたし、
検査するまでは分からないのだから
と良い方向に考えていた。

血液検査と内診、MRIやCTを終え、
2日後に一人で結果を聞きに行った。
先生からあっさりと
卵巣がんで間違いないですね。
と言われた。

腫瘍マーカーが基準値35以内のところ4000を超えていた。
びっくりする数値だった。
その後、ガイドラインに沿った一般的な治療方針を説明された。
頭の中に残っている言葉は「手術は2回以上必要
肝転移しているかもしれない」「抗がん剤は必ず必要
進行が早く、とにかく早く手術しないといけない
抗がん剤で何度も病院に通うことになる長丁場」「再発のリスクが高い
そんな言葉たちだ。ショックとか涙が出るとか、そんなことは一切なかった。

「どうしよう…」それだけだった。

そして、なんでもっと気持ちに寄り添ってくれないのだろうか?
というちょっとした怒り。

うちょっと寄り添って欲しかった。
が、今となって分かるのだが、
「言った」「言わない」「聞いた」「聞いてない」と、
たぶん生死に関わることについては問題になりやすく、
人の感情に解釈が左右されるので、
淡々と事実を伝えられたのだろう。
別室で書類にサインしながら看護師さんに
「なんだか突然の事で…」
というのが精いっぱいだった。

旦那と実家にLINEで知らせてから車で帰宅した。
帰宅途中、姉からビデオ通話があった。
悲しんでいる様子に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
家では娘がいるのでとにかく病気の話はできない。
そもそも病院に行ったことも曖昧にしていた。
娘には自閉症を伴う知的障害があり、
「お母さん=元気」という概念しかなく、
私が咳でもしようものなら、
「なんでそうなったの!!」
と心配な気持ちの表現の仕方がわからず、
怒りとなって私に向けられる。

毎日の決まった行動するルーティンがあって、
臨機応変に対処することがとても苦手。

そんな状態だったので娘の前で寝込むということはほぼなく、
まさか「がん」だなんてとても告げられる状態ではなかった。
帰宅すると案の定、お母さんが遅く帰ってきた
ということに戸惑っている娘がいた。
旦那と固く握手して何事もなかったかのようにというか
むしろ明るく振舞い、カレーライスを食べて、
いつも通り夜のルーティンを終え、
娘を寝かせてから旦那と向き合った。
なんだか涙も出なかった。

怒涛の3週間

考えなくてはいけないことが山積みだった。
セカンドオピニオンは必要か?転院するべきか?
卵巣がんってどういうものか?
娘の卒業から障害者雇用までのスケジュール調整、
通っている手話講座の継続についてなどなど…。
目の前にあるやらなければいけない事をひとつずつやらなければいけなかった。

そのうえ当たり前だが、
生活していくためには朝になったら朝ごはん、
掃除に洗濯、ま~掃除はしょうがないとしても
そのほかの家事は生きている限り必要だ。
てんやわんやの日常の始まりだった。

そうこうしているうちに、
私のお腹は日に日に大きくなり、
普通の服も入らないほど
腹水でパンパンになっていた。
ネットで4Lの下着などを買い込み、
ユニクロや西松屋で妊婦さん用の服を買ってなんとか着るものを確保した。

旦那に付き添われて西松屋に行く姿は、
どう見ても高齢出産の妊婦にしか見えなったことだろう。

そして痛み止めを飲みながら、
毎晩旦那と今後の事について話し合い、
やっと信頼できそうな病院に転院し、
そこで術前抗がん剤治療をし、
手術に向かっていくという方針を決めた。

「がん」と言われてから腹水穿刺、
抗がん剤の入院まであっという間、
人生が違う道へと進み始めた3週間だった。

そこから1年半弱、たくさんの人に助けられ、
励まされながらここまで進んできた。

病院食に添えられていた「ふりかけ」 栄養補給のために自宅にも通販で。

余命6ヶ月!?

術前抗がん剤をしても、
「卵巣の腫瘍」自体に効かずに大きくなり、
手術の時期を早めたり、
一番効くとい言われるプラチナ製剤の抗がん剤が効かず
「プラチナ抵抗性再発」という称号をもらったりと
悪い確率の方ばかりに進んでいった。
卵巣がんのガイドラインには「プラチナ抵抗性再発」の場合、
元気でいられる期間は再発から6カ月と書いてあった。
高いお金を払ってガイドライン書を買わなくても
今はネットで何でも見られる時代だ。主治医からは6ヶ月とか余命とか
何も言われてはいないが気になったので調べていたら見つけてしまった。

だんだんと再発から6ヶ月後が近づいてきている。
緩和ケアの先生は「あくまで基準ですから・・・」
と言うが気にならないわけがない。
気になりつつも周囲の励ましのお陰もあって、
今はなんだかんだと元気で過ごせている。
「笑いの力で、どこまで生きられるか実験して記録を作ろう!」
と思いっきり盛り上げてくれる仲間たちがいる。
私も天然はまだまだ健在のようで、自覚はないが周りを笑わせているようだ…。

葬式ネタ仕込み中?

ここまでくるとお葬式でもとっておきのネタを用意しておかなければいけないのか…
と真剣に考えてしまうほど。

ちゃんと(髪型の)希望を伝えておかないと林家パー子にするぞ
とノリに乗ってきてくれる友人に、本当に感謝しかない。
いっそのこと、お葬式には全員アフロ指定で!
と前代未聞のお葬式劇場を真剣に想像してしまう。

最期を考えながら暮らすということが日常になりつつある今、
悲壮感がほとんどなく私の感情はどうしたものか?
と思うほどだが、これも天然のなせる業と、
このままで突き進んでいこうと思う。

 

2022.6.8

 

投稿者プロフィール

大西紀子
大西紀子
知的障害&自閉症の娘を持つ母
卵巣がんと共存人生
手話通訳士に憧れる井戸端手話の住人
専業主婦天然枠代表