7月、8月は1回も記事を書いていなかった。
私の再発卵巣がんはガイドラインによると、
再発してから元気でいられる期間が6ヶ月と読んだからだ。
それが7月。ドキドキとモヤモヤの日々だったのだ。
スローに過ぎ行く時のなかで
体のほうはスローモーションで下降していると実感している。
主治医はこの下降をどれだけゆっくりと長く持たせるかが鍵
だと言っていた。食欲も落ちて、体重も少しずつ減少。
胸水が溜まり息苦しさはあるが痛みなどは薬で抑えられていて、
スローペースで無理をしなければまだ問題ない。
が、スローな毎日って何だろう。
気分転換にショッピングモールを歩き回りたくてもそんな体力はなく、
なんとなくもどかしい毎日。
そんなこんなで生きる意味とかいろいろと考えていた。
まだまだ寝たきりではないのだから贅沢な悩みだが、
やはり中途半端に元気だとどう生きるか考えが巡らない日はない。
舞い降りた天使!
それと、もう一つ。
体も心も下降気味だったところに、
孫の世話という思ってもないことが
舞い込んできたのだ。
末期がん患者が新生児のお世話。
いろいろあったのだが、孫が生まれたのはとてもうれしく、
1カ月に1回程度はジジババの私たちが預かって、
新米パパママにもゆっくりしてもらわないとね。
なんて思っていた。
死んじゃうかもしれない私に最後の幸せのシャワー
と、単純にウホウホしていた。
ここまで病気の治療を頑張ってきた私に
この上ない最高のご褒美!
幸せな病人生活この上ない、
などといいように考えていた。
しかし、そう簡単に幸せな病人生活はやってこなかった。
生まれる前は、コロナがまだ落ち着いておらず、
生まれた孫には1カ月は会えない
と先輩ババから聞いていた。
かわいい写真が送られてきても抱っこできないもどかしい日々が
最初は続くと聞かされていた。
また、「ガルガル期」といって
赤ちゃんを他人に触られたくない、
他人に赤ちゃんをとられてしまう
恐怖心が母親に強く出ることがあり、
それが出たママには必ず許可を取らないと
抱っこはできないし、
3か月ぐらいは抱っこできないこともある
などという話も聞いていた。
いろんな事を考えて生れてからも
「いつ会わせてくれるの?」「写真だけでも送ってね。」
などという言葉を飲み込み、
自分の欲は封じ込め良いババを演じ、
ただただ連絡を待っていた。
それが、生れてからたった2週間で呼ばれたのだ。
あっけなく孫とご対面!そしてあっけなく抱っこ!
そしてあっけなく孫と二人きりの留守番タイム2時間!
ミルクの作り方の説明をザっとして、
出かけて行った若夫婦。
生命再考
取り残された中途半端に元気な末期がん患者と新生児!
こうなったら「末期」の定義すら分からなくなってくる。
新生児なんて、お世話してくれる人のことなどはお構いなし!
というか理解できるわけもなく、お腹が空いたら泣くだけだ。
自分の子供たちの子育てを思い出しながらといっても、
もう二十数年前のこと。思い出しようにも
ところどころしか思い出せない。
孫という存在に感動しながらも、大丈夫か?
いつ泣くのか?ミルク作れるか?とドキドキしっぱなし。
ミルクづくりの予習をしようと確認するも…。
なんと「赤ちゃんの水」などという
使ったこともないペットボトルに粉ミルクならぬ、キューブ型のミルク。
缶の中の粉ミルクをスプーンで擦切りするタイプではなく
キュープタイプなのだ。
自分たちの子育ての時にはあまり普及しておらず
高くて使えなかったものが、なぜに20代の若夫婦の家にあるのか?
と不思議に思いながらも(後で調べたところ今は粉のタイプと
ほぼ値段も変わらず手に入るらしく便利に使っていたようだ。)
必死でミルクの作り方を予習した。そんなベビー用品の進化に
タジタジになりながら
「初孫ミルクタイム」からの「初孫寝かしつけ」を体験し、
帰ってきたパパママと記念撮影をして、帰宅した。
そして思ったより早くきた幸せ初孫タイムをかみしめる間もなく…。
なんと事情があって月の半分ぐらいはうちに預かることに!
もちろん夜中もだ。「かわいい」と「大変」の狭間。
昼夜問わず3時間おきのミルクタイム。
私が病気でさえなければ…と何度思ったことか。
旦那と私で協力しながらのお世話。
抗がん剤入院の朝までお世話していたこともある。
退院後、副作用でギリギリのところ預かったこともある。
お世話しているときはアドレナリンが出ているのか
疲れはあまり感じない。とても不思議な心と体の関係。
重たい鍋は持てないが孫は抱っこして立ち上がることができるのだ。
8月に入ってからは保育園に入園できるとのことでホッとしたものの、
孫疲れと孫ロスでしばらく放心状態だった。
これから体調と相談しながら何をやろうか?
考え始めたころ…まさか平日はほぼ来ることはないだろう…
と思っていたのが甘かった。諸事情あり、
予想外に時々、預かることに!
孫が生まれてから4か月。
自分に降りかかるいろんな出来事から
「命」について思いっきり考えさせられた。
ある人からは「のりちゃんばかり、なんでこんな苦労が降りかかるの…。」
と涙ぐまれることもあった。実際、自分の気持ちが落ちているときは、
ほんとになんで?って今までの人生にネガティブタイトルをつけて
「自閉症の娘」「息子の家出からの授かり婚」
「旦那のうつ病からの回復」
「私の治らない卵巣がん」などと、
思いっきりネガティブモードに浸ってしまう。
でもちょっとしたきっかけで少しでも気持ちが上向きになれば
「やってやれないことなんてない!」
とまるでディズニーのお姫様のように、
なんでもできるハッピーエンドの結末を想像する。
気持ちなんてコロコロと1日の中でも変化するのだ。
ちょっと私よりも先を進むお姉さまからは、
「この年になると私が1番とばかりに不幸自慢よ。」
という言葉を聞きハッとする。
いつまで自分は不幸自慢しているのかと。
本当に不幸だとか、病人だとか、
逆にもっと頑張らないと!とか、
ありとあらゆる考えを巡らせてしまうが、
孫の世話をしているときはそんな考えはどこかに行ってしまう。
命と向き合って「生きている」時間なのだ。
小さい命が泣いて、飲んで、寝て…最近は大きくなって
その間に遊びの時間も入るようになってきた。
そんな純粋な命と向き合っていると、大人になるにつれて
こんなに様々な感情にまみれていくんだな~
としみじみと感じてしまう。
その第一歩なのか、最近は人の顔をじっと見て笑顔を振りまいたり、
目で人の動きを追ったりするようになってきた。
生まれたてのの新生児期は私がウィッグをかぶってようが、
極端な場合、何も被ってなくてツルツルだろうがまだ目もほぼ見えず、
しがみついてきていた。それが、だんだんと顔を認識するようになって
私がケア帽子の時、ターバン帽子の時、
ロングのウィッグ、ショートのウィッグ、
いったいどれが本物のばぁばなのか?
認識するようになってきたのではないだろうか?
もしくは別人と思っているのだろうか?
こないだ初めてのロングウィッグバーバを見たとき、
最近よく笑うようになってきたのにキョトンとしていた。
これからもっといろんな感情が芽生えたとき、
がんと共存人生のばぁばや自閉症の「おば」など
いろんな人が周りにいる人生。
どんなふうに思うのか?
それも素敵なんじゃないかな、
と思える今日この頃。
虹色ダイバーシティ
娘は「おばさんは嫌」と言いながらも、
孫がいたずら盛りに成長したころ
私のウィックを引っ張って取られないか
といつも心配している。
初めての妹ができたみたいに、
やきもちを焼きながらも様子を気にかけ、
今後の成長を楽しみにしているようだ。
そして最近覚えた「虹色ダイバーシティだから」
を何かにつけて連呼している。
これからの「孫」と「おば」の絡みもとても楽しみだ。
どうか、私も寝たきりになってもいいから
二人が家の中で遊び、いろんなウィッグを被りあって
お姫様ごっこでもする様子を見たい
そうなればとても幸せだろう。
孫育ての不安や苦労なんて吹っ飛ぶに違いない。
2022.9.12
投稿者プロフィール
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知的障害&自閉症の娘を持つ母
卵巣がんと共存人生
手話通訳士に憧れる井戸端手話の住人
専業主婦天然枠代表