生老病死が価値観を揺るがす経験であるように、実は、幸福はあらゆる情報などではなく、「価値観を揺るがす経験」に宿るものであると思うのです。
こんにちは。aruiruです。今回は、本人中心支援がなぜ社会的に有用であるのかについて述べています。私の心が震えた経験に基づいた内容で、フレッシュなものです。
【西宮市社会福祉協議会 清水明彦さんの「本人中心支援」90分語り】
先日法人内研修で、昨年糸賀一雄賞を受賞された清水明彦さんがおいでになられました。西宮市の重度心身障害者支援に40年以上携わり、「本人中心支援」という文化を作り上げてこられた方です。
内容の紹介は差し控えます。しかし、その「熱」にあたり、今のパトスを表明したくてたまりません。
私は講演の最中に涙が溢れました。それは、自己肯定できたからであり、まだまだやることがある、できることがあると勇気が湧いてきたからです。
清水さんの語りの中で私に刺さった言葉は、「本人の存在の値打ち」「堂々と生きること」「本人は実態のある変革者である」「心を動かし、共振する」という言葉です。本人中心支援は、それらを支える支援なのだ、と仰るのです。
常々、私は自分の支援観=人生観を書き留め続け、検証し吟味し、更新しています。今回の清水さんの語りを聴いて『これで行く』というものにドスンと行きついたように感じたのでここに堂々表明します。
🔹ここから🔹
追求すること。
『本人が堂々自分を生きること(まっとうすること)、が、家族が堂々と生きること(まっとうすること)。』
生きていこうとしている本人の人間性を支えることで支援者は堂々と生きることにつながるのである。
■■ 本人が人生の主人公である ■■
→障害があるということで、本人も家族もはく奪されてきたものが多くある。
→堂々と悩み堂々と経験すること(失敗・成功・底つき)・場・時間・人間が必要。
→人間性の解放(生きることの自由と豊かさの追求。生きることの大肯定。)
→人を信頼し、自分を信頼することができれば人は豊かに生きていける。
▪️ならば、だから…支援者は、、、
『システムの中にうずもれ、加害者にならないように、自らがはく奪者にならないようにする』
『本人と命(人間性)で出会い、相互に感染(ミメーシス)し、その感染を広げる』
→失ってはならないこと:普遍的な生の価値の明文化を目指し、本人と相互作用しながら社会の営みを変革させていく使命がある。
→本人の存在価値を社会に発信・証明していく使命がある。
▪️私は…
🟡支援者たる私も自分の人生の主人公であり、かかわりの相互作用の中で命の幸福を希求している存在である。
本人にかかわる私に家族がおり、さらに友人もいる。つまり、鼠算式にその価値観が広がる。そのダイナミクスは、新しい文化(もしくは古くから実は受け継がれている生きることの本質)の創生(もしくは再発見)に繋がる、
そして、福祉は、すべての人の人生にかかわる包括的な世界であるということを証明していきたい。
(今年の初日の入り。あとがきあり↓)
あとがき
■危機感=実は誰しも感じている?
私たちは、巷にあふれる享楽や便利さ、目先の情報にもてあそばれているとはいえないでしょうか。市場経済主導の社会システム(新自由主義)は、様々な幸福の代替手段で世界を満たしてきた結果、「こんなはずではなかった症候群」が蔓延し、それが己とは異なる他者に攻撃性として発露するという現象がそこかしこに散見できます。
私は、障害や病気がある方を支えるという行為は、生命の営みとして昔から受け継がれている当たり前のことに心を向け続け、日々更新していくことであり、両者の双方のやり取りそのものが新たな文化・価値観として創り上げていくことにつながると信じています。それが、こんなはずではなかった症候群の処方箋になると思うのです。