少数派の障害者という視点だけでなく、多様な人々と共に生きる社会の構成員の一人として

社会の中で障害者は少数派(約7%)。
民主主義国である以上、多数派の合意形成により、
制度などがつくられていくのは自明の理。

時に、それが少数派にとって
障壁となることがあります。

このことについて考えてみました。

 1.このことを考えたきっかけ

前回UPした記事で私が手話講座に通っている経験について触れました。

その講座の中で、ろう(聴覚障害)者の先生に受講生が
聞きたいことを手話で質問するという内容の回がありました。

質問する前振りとしてろうの先生が近況について話される中で、
私の暮らす街で手話言語条例が昨年施行されたことに伴い、
行事が増えたり、手話講座のあり方の見直し作業、各種プロジェクト
等への参加で、関係当事者としてやることが激増している。

本当に忙しく、ろうあ協会の人手が足りないと発言されました。

この話を受けて、講座受講生で手話サークルにも
参加されている熱心な方から、
「ろう者だけでなく、聴者にもろうあ協会の会員資格を認めてはどうか?」
という私からすれば、至極真っ当な提案と思える質問がありました。

これに対して、先生は聴者の方が入ると、
会議でのコミュニケーションが難しくなる。

だから、現状聴者の方には、賛助会員として、
決定権を持たない形で関与 して頂いている
という趣旨の説明がありました。
(ろうあ協会の運営規程の詳細は不明ですが、
一般的に賛助会員はお金を出しても、議決権はない。
議決権はなくていいと思いますが、意見を言う場
くらいあった方ががいい気がするので、
私がNPO法人などの運営をするなら、
寄付者の声を聞く場は創ると思います)

補足として、手話通訳の先生から、
「聴者が入ると、音声言語の
コミュニケーションが主になり、
会議の運営が難しくなるんです。」
という運用面での懸念と共に、
当事者だけが集まってそこで形成された意見を
行政が聞くことでキチンと当事者団体の
意思を確認したというプロセスが担保される
という趣旨の話をされました。

個人的には、質問者の提案が建設的だと感じると共に、
講師陣のお話には若干ですが違和感を覚えました。

私の見解の詳細は後述しますが、
違和感を覚えた理由について。

まず、ろうあ協会を積極的に手伝いたいという
熱い想いを持った聴者が協会において
多数派になるとは考えにくく、
手伝いたいのだから手話のレベルが
一定程度あることが前提になる。
つまり、会議は手話主体で行われる現状
は変わらないであろうということ。

次に、会議の運営が手話と音声言語が混在すると難しい
というのは、現状、ろう者の社会参加に貢献している
手話通訳の存在そのものの否定になってしまうこと

そして最後に、当事者団体の声をキチンと聞きました
というプロセスの話は、厳しい言い方をすれば、
キチンと仕事をしたから後で文句言わないでね、
という類の行政の方便に聞こえたのです。

当事者の利益をきっちり形にして、
社会に届けるために、
同質性を保ちたいという論理は理解はできますし、
否定するつもりはありません。

.不当な差別解消のために先人が汗をかいてくださったことには素直に感謝

学術論文を書いている訳ではないので、
私は何冊もの専門書籍を読み込んではいません。

軽くネットを当たっただけでも、
当事者が団結することで、
社会を変えようと動かれてきた歴史を
垣間見ることができます。

例えばこちら

電車を停めたり、バスを占拠するという
方法が正しいのか、
それ以外に手段はなかったのか等、
私はその時代の空気を肌で感じたことがなく、
そうされた方々に直接話を聞いていません。
よって、その妥当性について、
私は正直評価できません。

ただ、昨年施行された障害者差別解消法は、
「当事者のことを当事者抜きで決めないで欲しい」
という思いから始まったと記憶しています。

つまり、こうした部分に与えた影響は大きいと考えられます。

私が生まれる前に動かれてきた大先輩方がかかれた汗によって、
今を生きる障害者がより良く生きるための権利が獲得された
面はあると思います。

そのことには感謝しています。

3.インクルーシブ社会に近づくために

では、今後もそのように当事者が団結してやるという手法だけで良いのか
と考えると、その点については違うアプローチが必要になってくると
思っています。

まず、障害者差別解消法を読み込んで、
分かりやすくよくできているな、と率直に感じました。

しかし、良いモノなのに、残念ながら
世の中の人が広く知っているか
というとそうはなっていないです。

広報が不十分です。
立法され、既存のものになった訳ですから、
現状に何でもNOという姿勢は生産的ではないでしょう。

どうすれば制度が機能するか当事者として
「提案」したいところです。

私自身様々な障害当事者や支援者に会って、
インタビューする中で、健常者との間のみならず、
異なる種類の障害者間に壁があるという話
を何度か聞いたことがあります。

障害ごとに当事者団体ができ、
福祉予算の獲得の綱引きなどがあった
しがらみの名残だと思われます。

社会も変わってきている訳で
この姿勢は変えた方がいいと考えます。

同じ種類の障害者で固まり、
団結して主張するだけでなく、

今後は社会の側に障害者側からも歩み寄ろうとする
バランス感覚がより大切になってくると思います。

なぜなら、少数派の障害者だけで生きていくことは不可能であり、
多数派の健常者で構成される社会で障害者は生きているからです。

ですので、この考察のきっかけとなった話でも、積極的に非当事者と
混ざり合って活動した方が長い目で見ればいいと思います。

旧弊を打破するにはパワーが要りますし、
異質なモノを取り込めば、摩擦も起きます。

でも、それが社会だと思います。

この意識で様々な背景の人が共に過ごす時間が増えれば、
世多様な価値観を認め合えるより良い世の中になっていくはずです。