中途失聴者でありながら音楽方面の詞章や脚本を手掛ける「宝塚の近松門左衛門」
片山剛さんは、宝塚市在住の方で、千里金蘭大学の教員の中途失聴者である。
音を失ったあとに音楽の仕事をした」実績が注目に値し、
宝塚の近松門左衛門だと筆者は捉えている。

片山 剛氏(千里金蘭大学教授)

 

音を失ってから音楽の仕事ができる背景

片山さんいわく、
昔から西洋のクラシック音楽や日本の伝統音楽に関心があり、

中途失聴によりそれらが聴けなくなったことが大きな苦痛だったという。
そんな片山さんが歌舞伎の三味線弾きさんに義太夫節の詞章を提供して作曲していただき、

各地で公演が行われているという。これは単に言葉の工夫だけではできないもので、
義太夫節という音楽を知らなければ書けない作品なのである。

 

また、片山さんはクラシック音楽と能、狂言、文楽をひとつにした
「狂言風オペラ フィガロの結婚」の脚本も書かれた。
これらはモーツアルトのオペラを知らないと書けないもので、
昔聴いていた経験が生きたのだという。

 


しかし、
出来上がったものを聴くことが出来ないのは何とも残念とは本人の弁。

こういう形で音楽と向き合えたのは、音がないからこそそれを追い求める気持ちが強くなり、
その結果として書けたのかもしれないと感じているそうだ。

その生き様が若者に与える影響


中途失聴にありながら、千里金蘭大学では平安文学を専攻として講義をしておられ、
その姿勢や生き様が学生さんに好影響を与えていることは想像に難くない。
学生さんの中には看護師になる人も多く、職業人に彼ら彼女らがなったときに、
片山さんと交流した経験が生きてくるのではないだろうか。

 

聴力を失ってからも音の世界に携わる。
曲の響きを考えながら作詞を手掛ける。
片山先生のそんな姿を思い浮かべた時に筆者は、
幼少の頃に母や先生に勧められて読んだベートーベンの伝記を思い出したのである。
ベートーベンの交響曲「運命」は、彼の失聴後に生み出された作品である。

 

ベートーベンがそうであったと言われているように、
手負い獅子となって状況を打開するのには
鬼気迫るものがあると思うのだが、
片山先生は創作活動においてそれをさらりとやってのけている。
少なくとも表面には出されていない。
そこに、片山先生の精神の練達を思い知らされる次第である。

 

障がいの発症にかかわらず、
夢追う生き方は素敵だと思うし、それを応援する、

お手伝いする環境があることは関わる人に安心感やセーフティネットの存在を実感させてくれる。
中途失聴した片山先生が今なお作詞家として活躍していることは、
筆者のみならず読者にも明るい希望を日々の中に灯してくれると確信している。

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