少しの思いやりで変えていける
現状私が電動車いすを使い、十分な移動能力を備えても
世の中は外出しやすい状態ではありません。
要因はハード、ソフト両面にあります。
まずは、ハードより即効性のあるソフト面について具体的に。
いわゆる心のバリアフリーです。要は人々の意識の話。
東京オリンピック・パラリンピックを
「おもてなし」で勝ち取ったのですから、
それが発揮されれば、誰もが外出しやすくなるはずです。
これは「チャレンジドを特別扱いして欲しい」という話ではないです。
おもてなしの源は思いやりだと思います。
ならば、日常でそれが自然に出せればチャレンジドは勿論、
誰もが助かる場面が増えるということです。
例えば電車内での座席の譲り合い。
日常生活でもっとも身近に高齢者等社会的弱者との接し方が問われる場面です。
以下、内部障害のあるメルマガ読者様からの話を紹介します。
電車内での出来事です。
70歳近いおばあちゃんが足元がおぼつかない感じで乗ってきました。
私のそばにそろって立っていましたが、よろよろして本当に危ない感じです。
誰も席を譲る気配がないので、
とっさに私は自分の身体障害者手帳を手に
「すみません。障害者なのですが、
席を譲って頂けませんでしょうか」
と言いました。
すると何人かが立ち上がり、
「どうぞお座り下さい」
と申し出てくれました。
私はおばあちゃんを
そのうちの一人にお礼を言って座らせました。
自分が座るつもりはなかったので 、数人の方には頭を下げて、
「私は結構ですからどうぞお座り下さい」
と言ってそのまま降車駅まで立っていました。
おばあちゃんは、途中駅で私にお礼を言って下車しました。
帰ってから電車内でのことを考えたのですが、
いい気はしませんでした。
自分が武器を使って相手を従わせたような気持ちになったからです。
こんな恥ずかしいも通り越した年寄りだから出来たのでしょうが、
普通できませんよね。
他方で、私の同業で私よりかなり年上の読者様は、
私の「弱者に席を譲ろうということはアナウンスされるが、
弱者の側もお願いしていく姿勢が必要だ」という意見に、
「私はその意見に賛成です。ソフト面のバリアフリーの意識は浸透してきていると思います」
という感想を下さいました。
思いやりを行動に移すのは簡単ではない?
この話のポイントは2つ。
1.(前者の読者様がおっしゃるようにその方と同じ行動をとれる人は少数でしょうが)
車内で席を譲る人がいない状況で、「障害者だ」と明確に分かった時、譲ろうとする人が複数名出た。
2.(私は間違っていないと思いますが)
ご本人は、複雑な心境になった。
ご本人が杖をついた肢体不自由の身体障害者なら、
手帳を出さずに譲ってもらえて、こうはならなかったでしょう。
内部障害という見えない障害だから障害を「見える化」しないといけない
という意識があったと思います。
それだけ電車で席を譲るという行為は現状自然ではない。
ですから、ソフト面のバリアフリーはまだまだというのが
私見です。
思いやりを行動に移すのに慣れていないのが最大の要因です。
しかし、「障害者がいる」となれば席は空いた。
つまり、障害者は助けてあげないといけない
という共通認識は良くも悪くもある。
悪くもというのは、
紹介した例のように座らないでいい人もいるからです。
まとめ
この現状をチャレンジドかどうかにかかわらず
自然に困っている人が座るという理想的状態に近づけるため
の具体的提言を。
譲る側、譲ってほしい側どちらも積極的にコミュニケーションをとることです。
明らかに身体が不自由な人、高齢者等に関わらずが辛そうな人がいれば、
余裕のある方が、
「お困りでないですか?」か「何か手伝いましょうか?」
ととりあえずお声掛けすればいいと思います。
そしてここが大事です。
この時声をかけてもらった側は、大丈夫なら
そう言えばいいですが、
必ず「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える。
更に、チャレンジドは、今回の例で複雑な心境になったように、
手帳があることは特権ではないことを肝に銘じる必要があります。
チャレンジドも譲ってもらうことをお願いする立場です。
この意識さえあれば、相手は不快にならないはずです。
積極的に話しかけて、失敗することもあると思いますが、
まずは健常者とチャレンジドが混ざっていくことが必要と
考えます。
電車内の話は一例ですが、
ご賛同頂けるようなら生活空間の中で共に実践して頂けるとうれしいです。