<聞き手:島本昌浩>
インタビュー実施日:2015年1月10日
教師としてのキャリア
(島本)
小学校の教員として、特別支援教育に専門的に携わった経験があるそうですが、
そこに至るまでの経歴を教えて頂けますか?
(古井)
新任教員になって、担任を持つ中で毎年障がいのある子がクラスにいました。
私のクラスはいわゆる通常学級(普通クラス)でしたが、時間割によって教室で一緒に学習したり、
特別支援学級で学習したりするんです。
色んな障がいのある子と接する機会がありました。
(島本)
私が小学校に通っていた頃は、
学年によってクラスに障がいのある子がいたりいなかったりでした。
今は、発達障がいの子がクラスに一人くらいはいると言われたりしていますが、どんな感じでしたか?
(古井)
肢体不自由や、ダウン症のお子さんなどが多かったですね。
(島本)
今ほど、発達障がいの理解が進んでいない時代でしたので、
見て分かる障がいのあるお子さんたちが自然と目についたということですね。
(古井)
そうですね。
その子達は、今では特別支援学級と言うんですけど、
その頃は、障がい児学級とか、養護学級とかのくくりで
そこで過ごしたり、通常学級の教室で過ごしたりします。
通常学級の担任をする中で、特別支援の養護学級と自分の学級との連携や
担当者同士の連携とかにはすごく気を配りました。
この時間は教室で一緒にやりますよ、この時間は下でお勉強をお願いしますよ
とかのカリキュラムにはすごく気を遣っていました。
教室にいる時は、障がい児担当の先生も付いていてくれることが多いのですが、
自分も障がいのある子たちに目配り、気配りをしながらやるんだ、
という気持ちを持って当たっていましたね。
(島本)
そんな中で、これは難しい、あるいは、
やりがいがあると思われたことはありましたか?
(古井)
そうですね。難しいのは課題の面で、みんなで一緒に教室で学習する場合に
何か関連付けたことでその子にできることは何だろう
というようなことを特別支援の担当の先生と一緒に考えたりするのは、
苦労でもあるんだけれども・・・。
(島本)
逆にやりがいでもあった?
(古井)
そうですね。
それと、すっごくかわいいいいんです。
ダウン症の子なんかは、すごく人好きやから(笑)。
(島本)
人なつっこい?
(古井)
そうなんですよ。
そういう子やったんで、楽しかったですね。
(島本)
手のかかる分、よけいに愛情も湧くという部分がありますか?
(古井)
ありますね。それで、新任で7年間過ごして、次に異動になった学校が
大阪市の住吉区で人権教育にすごく力を入れていて、どの子にも個に応じた支援をする。
そして、あらゆる差別を許さないというのが基本でした。
家庭的にも「むっちゃしんどい子」が多い。
それゆえに学力もつきにくいんで、それを何とか保障して付けて行ってあげよう、
という思いをどの先生もすっごく強く持っていて。
(島本)
ある種の熱があった学校だったんですね。
(古井)
そうですね。みんなすごく熱い前向きな思いを持ってやっていました。
三つの柱というのがあって;
・全ての子どもたちの学力保障
・障がい児教育
・在日外国人教育
人権の根幹ですよね。
これらを柱に取り組んでいくんだ、という思いを持ってやってました。
そこで、障がい児教育の主任に指名されました。
(島本)
それは、どういう経緯で白羽の矢が立ったのですか?
自分からやりたいということだったのでしょうか?
(古井)
違います。校内人事で決まったんです。
通常、学校長がこうしようと決めますが、
その当時、自分たちで人事を決めようということをしていたんです。
職員の中で人事委員会というのをつくって、自分たちだからこそ自分たちのことが分かるということで
それぞれの先生の今までの経歴や得意分野で、適材適所ができるだろうと。
人事委員会で話し合った結果、打診があって「はい、分りました。やります」
ということで決まりました。
(島本)
それは、自分としても、最初に赴任した学校での経験もあって
やってみたい、やってみようと思われたのでしょうか?
(古井)
そうですね。そこではすごく良い経験をさせてもらいましたね。
僕の人権意識、差別を許してはいけないとか、在日外国人教育や障がい児教育への理解とか、
僕が今持っているものは、その学校にいたからこそ得られました。
そこでの経験がなかったら、恐らく人権意識の薄い人間になっていたかもしれない(笑)。
教師になって、さらに、そんな学校に行ったことで、そんな意識を持てる人間になったと思います。
(島本)
人権教育に力を入れていた学校で、障がい児教育の主任を引受けられることになり、
自閉症や発達障がい系の子供たちの学力を伸ばすために、
「TEACCHプログラム」というのを研修で学ばれたとのことですが?
(古井)
そうです。それもですね、保護者の方が是非(研修を)受けて下さいと勧めてくれて。
(島本)
それは学校が人権意識の高いところだから、地域的にもその意識が高いということですか?
(古井)
そうなんですよ。みんなすごく熱心で。小学校でこれだけ力を入れてくれるなら、
引っ越ししてでもうちの学校に行きたい、という人もいていたようです。
今は、大阪市も選択制で、自由に選択できるようになっています。
で、保護者が「先生、うちの子にこんなんやってほしい」「是非、研修を受けに行ってください」
と言われるんで、研修に行って「それでは今後こんな風にやりましょうか」
というような話がいろいろありましたね。
(島本)
保護者の方から、このプログラムを身に付けて来てほしいという申し入れがあったんですね?
具体的にはどういうものだったんですか?
(古井)
もっとも、できることとできないことがありますが、
できることはやりますよというスタンスで、この「TEACCH」というのは、
ノースカロライナやったかな、アメリカの大学の先生が実践・研究されて、かなりの効果があったものです。
※TEACCH:
Treatment and Education of Autistic and related Communication Handicapped CHildren
のそれぞれの頭文字をとった造語で、「自閉症及び関連するコミュニケーション障がいをもつ子どもたちのための治療と教育」
という意味です。
何を一番言うてるかというと、大きな理念としては、社会的包摂。
今、よく言われている「地域全部で育てていく」ということ。具体的には、課題などの構造化。
例えば;
・順序立てて「これやって」⇒「コレヤッテ」⇒「これやったらできるよ」、とかですね。
・それと、視覚化、ビジュアルで訴えていく、というようなことがよく言われました。
・そして、1日の流れ、1時間の流れ、課題の流れ、などをスケジュール化し、例えばカードなどにして示していく。
(島本)
この「TEACCH」はアメリカの大学教授が考案されたそうですが、
日本国内の各地で学ぶことは可能だったのでしょうか?
(古井)
はい。今もご活躍と思いますが、佐々木先生という第一人者がいて、
自閉症児に効果的なプログラムとして日本で広められたので、認知度も高くスムーズに学べました。
親同士のコミュニティもあって、各地で研修会がありました。
(島本)
初歩的なことを聞きますが、自閉症自体が多くの人にとっては、身近ではないですよね。
自閉症の子というと、字からすると内に閉じこもる内向的な傾向があるというイメージがあります。
普段の子供たちはどんな感じですか?
(古井)
千差万別というか、それぞれに個性があります。
ですが、自閉症というのは字が悪いですよね。
自分の中に閉じこもるというのは(苦笑)。
(島本)
苦笑。コミュニケーションに課題があるのかな
とどうしてもイメージしてしまいます。
(古井)
確かにコミュニケーションに難しい面もあるんだけれども、閉じこもっているのではなく、
自分の興味のあるモノとか彼らに入ってきやすいモノがあって、
それには貪欲というか積極的で例えば僕の受け持っていた子だと「電車!」
路線図を完璧に覚えてるとかあとはアルファベットとか。
(島本)
なんか知的、発達の障がいのある子供のこだわりとして
電車って多いみたいですね?
(古井)
うん、多いですね。そういう自分の興味のある分野については・・・。
(島本)
普通以上の才能があったり。
(古井)
学校を飛び出して電車に乗って遠くまで行ったり、色んな事件がありました。
あとは、順番にすごくこだわる子どもが多かったですね。
で、1日の中のスケジュールが急きょ変更になると、パニックになってしまったりね。
(島本)
そうなると、暴れたりとか?
(古井)
そうそうそう。そのために、一つ終わったらカードを裏返すとか
〇と×のカードを作って、禁止事項を×に分類して理解できるようにする。
このようなサポートをすることで、皆と一緒に教室で育っていくことができる感じです。
(島本)
コミュニケーションに課題のある子供の教育プログラムということで
自閉症に特化して考案されてはいるんでしょうが、その他の発達障がいや知的障がいのある子供にも応用可能なのでしょうか?
(古井)
そうですね。視覚化する手法等は使えます。
また、知的障がいのある子にも細かく噛み砕いて構造化するというのは有効です。
(島本)
分かりやすい手順にするというのが、本質的に効果があるようですね。
地域との連携が大きな力に
(古井)
自閉症の子供たち以外では、
ダウン症や知的障がいの子供たち、また、脳性マヒによる肢体不自由で
医療行為の必要性は無かったものの全面的な介助が必要であった子供からは
すごく勉強させてもらいました。
肢体不自由の子は、足に装具を付け、バキーを使って生活していて
給食は細かく砕いて食べさせてあげるようなケアが必要でした。
2年間その子を担当する中で、すごく学ばせてもらいました。
で、一番言いたいのは、色んな障がいのある子がいる学校でしたが、
親の会が強固に組織されていて、保護者の方も熱心に障がい児教育を推進されたこと。
月1回、学校で親の会を開いて、色んな情報を共有して、近隣の学校の親の会との交流もさかんやった。
時に、「学校にもっと先生が欲しい」という大阪府と親の会との交渉の場もありました。
思いを伝える力があったので、学校だけではできないことも
そういう形で地域との連携により、推進していくことができました。
(島本)
地域に力があったから、先生たちも子供の教育に専念できる環境を得ることができた?
(古井)
そうですね。
学校と保護者の歩み寄りが大切
(島本)
私個人が障がい児の保護者の方のお話を伺っていると
自分のところはあまり学校との関係が良くない、と聞いたりもします。
これは地域に熱心な方がいるかどうかやそもそもの地域性みたいなものが背景にあると思います。
やはり地域差はありますか?
(古井)
ありますね。なんやろう。要は、伝え方の問題もあると思うんやけど
保護者の立場で言うと、要求ばかりしていく。で、学校も「そんなん無理や」ってなったら、物別れになります。
そうでなくて、「一緒に歩み寄りながらやって行こうよ」という場を親の会と学校の連携で育んでいく。
そしたら、お母さんと凄い仲良くなって気さくに話し合えるみたいな。
(島本)
はい。そういう風にうまく行っている地域には、何というか柔らかい人が
保護者、学校どちら側にもいるんでしょうね。だから、学校だけが熱かったり、また、親が一方的でも、うまくいかない。
お話を伺っていてそのように思いました。
(古井)
そうですね。親の会がない学校もあるけど、
大きな力になるから、ここは進めて行ったらええんちゃうかなと思いますね。
学校と親の連携。あとは、インクルーシブ教育。
ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)は色んなところで言われていますが、
僕がその学校にいた20年前とかは、現在のように世間一般では言われてなくて、
どちらかと言うとエクスクルーシブで、養護学級があってという感じやった。
でも、その学校は「それではいけない」と。
(島本)
分け隔てるやり方が一般的な中、割と先進的に取り組んでいたんですね。
(古井)
そういう感じで、今では使わない言葉だけど、
「原学級(3年1組などの普通クラスのこと)保障」と言って、
障がいのある子も、通常学級で見ていくんや、と。
インクルーシブ教育により、大人になった時に多様な人を受け容れられる
(島本)
分けている場合は、普通クラスのことを「交流学級」ということもありますよね?
(古井)
そうそう。でも、そうじゃないんだよ、と。
今のインクルーシブ教育のはしりをずっとやっていて、だから担任にかかる負担は大きくなるけど、
担任も障がいのある子など、立場の弱い子を中心に学級作りをしていく。
そのためには学級での仲間づくりが大事ということで、クラスにいる「仲間」として、
「車いすの全面介助の必要なお友達がおるやろ?」
ってとこからスタートです。
(島本)
それによって、障がいのない子供たちが負担に感じる部分もあるかもしれないですよね。
先生の立場としては、障がい児のいない学級と、このように障がい児のいる学級の両方を受け持ちますが、
障がい児のいる学級の子供たちを見ていて、障がい児のいない学級の子供と違うと感じるところはありますか?
(古井)
全然違いますよね。自分の子供が通っていた学校には、あまり障がいのある子がいなくて、
いてもいわゆる「ひまわり学級」のような特別支援学級で過ごすことが多いので、
やはり知らないんですよね。
(島本)
うんうん。そうですよね。
(古井)
だから、大きくなって、障がいのある人と出会っても、どうしていいか分からない。
だけど、一緒に育ってきた子は何か分かるんですよね。
それだけでなく、子供ってよだれとかついたら、普通「うわー」とかなるねんけど、
もう気にせんで拭いてあげられる。
そういうことが平気でできるように教室で日々育っていく。
先生がやっているのを見て、「ああいう風にやったらええんか」と学んで
僕がいない時もやってくれる。すごく育っていきますね。
(島本)
思いやりのある、そして自主性を持った子供が育ちやすいという感覚が
先生側にはあったんでしょうか?
(古井)
そうでしたね。だから、「共に育つんやなぁ」って。
ここからは、障がい児の保護者が、程度の差はあれ、必ず直面することになる問題について。
(島本)
混ざっている場合(インクルーシブ)と、分け隔てている場合(エクスクルーシブ)
を対比した話がありました。
その延長でお話を伺います。
断絶しているとまでは思いませんが
「分け隔て」ている場合、現在の教育システムでは特別支援学級があります。
その支援学級で、障がい児をケアするために行われる教育は、どういうものなのでしょうか?
(古井)
特別支援学級では、専門的な部分に踏み込んだプログラムやケアの研究を進めて行って、
その子の教育的ニーズに合った支援をしていきます。
(島本)
個々の障がい児の発達に合ったプログラムを
きめ細かく提供できるといういい面は当然ある訳ですよね?
(古井)
そうですね。
(島本)
障がい児の側からすれば、そのようなケアを受けられるというメリットはあるけど、
デメリットは障がいのない子供たちとの交流の機会が減るということですか?
(古井)
そうやなぁ。相対的に、希薄になるかな。
(島本)
更にこの話の延長で伺います。
この特別支援学級と普通学級という学級単位の話を地域に広げると、
その地域の普通校と特別支援学校(旧養護学校)があって、
幼稚園の時代から保護者としては、どちらに通わせるか悩まれますよね?
(古井)
そうですね。
(島本)
両者の違いは、今伺った特別支援学級と普通学級の違いと同種のものという理解でいいのでしょうか?
(古井)
特別支援学校は個人の力、障がいとか発達の段階に応じて個別に力を伸ばしてあげる。
そういう面では、やはりすごく素晴らしいと思います。
そういう個の力を伸ばすというメリットがある。
子供一人に対する先生の数も多い。私は特別支援学校での勤務経験はありませんが、
見学に行った印象ではすごくきめ細やか。
(島本)
特別支援学校の先生と情報交換などはされていましたか?
(古井)
はい。していました。
地域の一般校は普通学級の仲間と過ごす時間を多く持てる。
同じ地域で育っていくねんから、卒業してからのこともあるし、子ども同士だけでなく、
親同士の関わりもとても大切。つまり、それぞれの良さがあるので、どちらの教育も必要なことです。
(島本)
特別支援学校はなくていいということでなく、
選択肢として、地域の一般校と特別支援学校両方があることが大切な訳ですよね?
(古井)
そうそう、そうなんですよ。選択肢としては、特別支援学校は、
職業訓練に繋がっていくことにも注力していますから、当然そういうのも必要やし。
(島本)
ただ、障害のある子どもがいる私の知人に話を聞くと、その選択のところで特別支援学校に行かせれば、
すごく手がかからなくなるので楽という思いと、
いやいや地域の学校に通わせて色んな子供の中で育つのが大切と思う自分がいて、葛藤があるそうです。
(古井)
ですよねぇ。保護者の方はその選択を本当に悩まれます。
我々は就学前の保育所の時から面談で、
「どうされますか?」という話をするんだけど、すごく悩まれますね。
(島本)
そこまで普通の小学校の先生方が入っていくことってかなり珍しいのではないですか?
(古井)
かもしれないですね。今でこそ結構やってるけど。
保育所とか要支援の子ばかりがいる施設に見学に行って
親御さんと話してとかもやりましたね。
僕らが力を入れても、やっぱり悩まれます。
(島本)
でも、子供が小学校に入る時点ですから、子ども自身が「こっちが良い」とは選べない訳で、
最終的には親の価値観で決めることになりますね。
(古井)
そうですね。小学校は地域の学校で、中学校からは特別支援校でとか
色んなパターンが考えられますよね。
僕らとしては中学も地域の学校どうですか?と言うねんけども。
(島本)
そこは地域の小学校に勤めているということもあり、
地域で学んでほしいという強い思いがあるのでしょうか?
(古井)
そうです。6年間過ごした仲間が行く学校があるねんから
一緒に過ごせたらいいなという思いはあります。
でも、そこでも保護者の方は悩まれますね。
(島本)
小学校入学時は、目立つほど障がいが分からなかったので
地域の学校の普通クラスに通ったが、少しずつ皆についていくのが難しくなり、
中学校からは支援学級にお嬢様が入ったという例があります(以前掲載した大西紀子さんのお話:文末関連記事参照)。
また、高校まで普通校に通ったけど、視覚障がいでなじめなくて特別支援学校に入り直したという例
(来年掲載予定の鈴木歩さんのお話)もあります。
(古井)
今、一つ目のお話に出た知的、発達の場合、年齢が上がるに従って、差が開いてくるというのはあります。
で、将来のことを考えると、やはり職業訓練的なこともいるかな、と考えて
中学から特別支援にと決断される方もいてはる。それはそれでいいことです。
(島本)
古井さんとしては、何度か言葉として出てますが、
「社会的包摂」と言う観点から地域の皆で一緒に子供を育てていきたいという思いがやはり強いですか?
個々の子供たちが必要とする支援をするのが合理的配慮
(古井)
そうですね。それは大事やと。最近その流れになってきて、凄い良いことやと思います。
で、更にそれを進めるような法律の施行もあったし、
そこで言われている「合理的配慮」があって当然なんやと。
※(2016年4月に施行された障害者者差別解消法のこと)
で、一緒に過ごすのが当然でその中でちゃうことするのもアリやし、
その子が自分に合った支援を受けて育っていくのが当然や
というようなことが言われてすごい時代は進んだなぁと。
(島本)
主任をされていた頃からすると隔世の感がありますか?
(古井)
ですよね。そういう機運が高まるのは、すごく大切でいいことやと思います。
ただ、今そう言われている中、例えば校長の中でも捉え方が違う人がいる。
(島本)
先にお話にあった学校と地域の連携がうまく行けばすごく大きな力になる
という部分に関連しますが、学校内部の教員間で温度差はあるのでしょうか?
(古井)
例えば、極端な話やと、ある校長が今のインクルーシブの流れで合理的配慮が大事やと。
それはいいんですけど、特別支援学級の教室で習してはいけないと。
(島本)
ああ。一緒の扱いをしないといけないんだと?
(古井)
そうそう。全部普通クラスでみたいな。
でもそうじゃない。集団の中では落ち着かない子には、必要な支援がある訳で。
(島本)
今のは合理的配慮を極端に解釈されている例ですね。
(古井)
そうなんですよ。こういうのはこれからもあると思います。
絶対分けたらあかんじゃなくて、状況に応じて
子供たちが必要とする支援をするのが合理的配慮やと思うんです。
人の意識がそうやってどんどん変わってきて、
いい世の中になっていってるんでしょうかね?
(島本)
私は当事者の立場から、小学校で話をさせて頂く機会を何度もいただいたんですけど、
学校に伺う前に、障がいのあるお子さんは学校にいますか? と尋ねます。
今まで伺った学校では障がい児がいましたので、
その場合、障がいに慣れていますから、自然体で行きやすい。
私としては障がい者を見たことないと言う場合の方が、
行く意義はより大きいとは思いますが。
(古井)
今や車いすバスケとかパラリンピックの認知度も高い。
(島本)
そういうのが、今はかっこいいと言われる対象になりましたね。
(古井)
いい世の中になっていってるんやろな。
(島本)
パラリンピアンもそうですが、障がい者の有名人が増えて
いい影響はあるのかなと思います。
(古井)
お子さんに障がいがあるというのを明らかにして活躍されるタレントさんも増えましたよね。
そういう方たちの影響力で認知度が高まって、障がいのある人もおって当たり前の社会
まぁ、障がい者だけでなく在日外国人の方々などもそうやと思うんですけど。
色んな人がいて、それが当たり前で、一緒に育っていくんやという意識を育むのが教育の役割
(島本)
今おっしゃった社会を実現していくのが古井さんが理想と考える教育だと思います。
その理想と比較しての現状の課題、それを改善するために必要なことをまとめると何になりますか?
(古井)
難しいな・・・。課題は、そうやな、「社会的包摂」というのは、だいぶ認知されてきたけど、
まだまだというところはありますよね。バリアフリーにしても推進されてるけど
まだまだ不便なとこっていっぱいあるでしょ? だから継続ですよね。
ハード面もそうやけど、意識については学校教育でやっていかなあかん。
色んな人がいるのが当たり前で、一緒に育っていくんやという意識、
特別支援教育も在日外国人教育も一緒なんやけど、当事者のための教育でありながら、
周りの子たちへの教育でもあるっていうんかな。
一緒に育っていれば、将来大人になって在日外国人の知り合いがその子にできた時、
仮にその人が差別されていたら、「それおかしいやないか」って言える。
障がい者に自然に必要なサポートができる。そういう人間を育てていかなあかん。
学校教育の課題はそこかなと思いますね。
(島本)
今おっしゃったような機運を盛り上げていくために、
「認知度は上がってきたが、継続して・・・」というのは
教育現場のみならず教育に直接携わらない方々の意識にも働きかけていくということですよね。
それが盛り上がれば、地域を巻き込んでという話になるでしょうし。
そこは先頭に立って旗を振る人がいて、でも一方的にならないように調整する人がいて、
という感じでうまく回って行くようにしたいですね。
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