手話歌は手話をつけて歌うもので、
音楽の中の新しいジャンルとして注目され、

学校の子ども達が歌ったり、
ソロ歌手や歌手グループが使用したり
することが増えてきています。

手話歌についての3つの問題点

手話歌は、手話の存在を
広く知っていただく良い機会になっています。

しかし、実は手話歌には問題が3つあります。

1つ目は、手話歌には文法が異なる言語が
使われ混沌としていることです。

異なる文法が混在している

ろう者は、日本手話という日本語とは違う文法体系
を持った言語を使用しています。

一方、日本語の文法に当てはめた
日本語対応手話というものも存在しています。

このため、手話歌は、文法がまったく異なる
2つの言語が衝突した形
になってしまうことが
多くあります。

そのため、受け手を混乱させ、
誤解を与えてしまうという面があります。

例えば、日本語の単語を英語の語順に並べて歌うと、
日本語の歌ではなくなります。
それと同じことが手話歌では起こっています。
おそらく、そのような歌を
日本語を母話とする人が聴いても

何を言っているのかわからないと思います。
そこには日本語の文法構造がないからです。
これが手話歌に潜む一つの問題です。

日本手話の理解・普及を阻害する

国際的な条約である障害者権利条約で、
「言語とは、音声言語及び手話、
その他の形態の非音声言語を言う」
と定義されています。それに伴って、
日本でも手話は音声言語と対等な言語
であることの“理解と普及”が必要
となっています。そのため、
2つの言語境界が曖昧な手話歌は、
理解・普及の障壁とになりえます

文化の盗用のリスク

「文化の盗用」の1つの例として、
「着物」という言葉の盗用があります。
ファッション界でアメリカの著名セレブである
キム・カーダシアンが「キモノ」とよばれる
下着ブランドを発表しました。
界隈で文化の盗用と話題になり、
キムはのちに「敬意を払っている」
と謝罪しましたが、
敬意を持っていようといなかろうと、
その行為が文化的背景を尊重
したものであるか
という論点
こそが重要です。

手話歌をめぐる問題は単純ではありません。
私自身は、手話歌の存在意義はあるし、
手話を使用して歌っている人には
新しい分野を切り開いている先駆者として、
敬意を持っています。

ただ、その活動において、
手話話者であるろう者をリスペクトしているかどうか
というところが大きなポイントだと思います。
立場を尊重し、不快感を与えないように
配慮することは、
最低限必要なことです。

そうすれば、私のようなコミュニケーションが困難な者でも、
生き生きと活躍できるダイバーシティ&インクルージョン
な社会に近づくと考えています。

投稿者プロフィール

伊藤芳浩
伊藤芳浩
コミュニケーションのバリアフリーを推進するNPOインフォメーションギャップバスターの代表として活動中。
DPI日本会議特別常任委員。